『パウリーナの思い出に』アドルフォ・ビオイ=カサーレス/高岡麻衣・野村竜仁訳(国書刊行会 短篇小説の快楽)★★★★★

「パウリーナの思い出に」(En memoria de Paulina)★★★★★
 ――ぼくはずっとパウリーナを愛していた。パウリーナも「私たちの魂はもう結びついている」と言っていた。モンテーロが現れるまでは。

 人は人を映す鏡とはよく言ったものですが、これにはなんと文字通り他人に映された幻影が登場します。魂の半分を失ったまま、染められた魂を見せつけられるという、残酷な試練が語り手には待ち受けていました。
 

「二人の側から」(De los dos lados)★★★★☆
 ――少女はカルロータ、子守はセリアという名前だった。ジムはセリアに「愛している」と言ったが、誓ってはくれなかった。「この世界は通過点にすぎない。夢をとおして魂をさまよわせ、死なないようにするんだ」

 夢による臨死体験に取り憑かれた男と、惚れた男に誘われるままに夢の世界に旅立つ女と、子守女に導かれるままに協力する少女――誰が一番冷静なのかは……最悪の悲劇は回避されました。
 

「愛のからくり」(Clave para un amor)★★★★★
 ――空中ぶらんこ乗りのジョンソンは落下事故を起こし、山で静養するよう指示された。そこには古代ギリシア・ローマを思わせる祭壇があり、大戦の話ばかりする将軍や、傲岸なスキー教師、女性客を目の敵にする夫人らがいた。

 作品全篇にわたって通底音として流れる「あの曲」は、まさにこの世とは膜一枚隔てた世界を流れる異界の楽の音で、古代のギリシア人やローマ人、あるいは妖怪や神様と共存していたかつての日本人は、このような世界に生きていたのかと思えるような魔力に満ちていました。
 

「墓穴掘り」(Cavar un foso)★★★★☆
 ――アレバロとフリアは若い夫婦だった。宿屋を経営して暮らすことを夢見ていたが、客は来なかったし、金はたまらなかった。そんなとき、ひとりの婦人があらわれたのだ。婦人のスーツケースには金がつまっていた。

 フィクションにしても嘘くさいほどのひどい偶然が、それだけに逃れられぬ運命を暗示しているようで、「そんな馬鹿なことで……」と唖然とするほかありません。そして人を殺すときには、邪魔が入らないようにしなくては……。
 

「大空の陰謀」(La trama celeste)★★★★★
 ――十二月二十日、モリス大尉とホメオパシーセルビアンが飛行機に乗って姿を消した。失踪の直前モリス大尉は事故を起こして入院中にスパイとして糾弾され、知人からも身許を明らかにしてもらえなかった。あとには馬頭の女神像のある指輪が残されていた。

 あるジャンルの話としてはよくある話なのですが、埋め込まれた伏線にかなりの教養が必要とされます。翻って「見知らぬ」理由にこうした、日本では出来ないスケールを感じるとともに、かつて殖民地だったのだという事実に思いを馳せざるを得ません。
 

「影の下」(El lado de la sombra)★★★★☆
 ――久しぶりに出会った友人のベブレンはすっかり変わっていた。レダという人妻に入れあげていたが、不実を確信してレダの許を去ったが、後悔しているのだという。

 もともと伝聞であったり別世界との交感であったりする作品が多かったのですが、そのなかにあって本篇は、明らかにベブレンの妄想なのではないか――という度合いが高い作品でした。信じていたものすべてに裏切られたベブレンですが、そもそもの初めから猫にさえ裏切られていたのでした。
 

「偶像」(El ídolo)★★★★☆
 ――競売がおこなわれたグルニアック城の当主は代々視力を失うという。私は競売で犬の頭部をもつ神像を手に入れた。アルゼンチンに戻ると顧客の一人が寝込んでいたため、グルニアック城で知り合ったジュヌヴィエーヴという使用人を看病に送った。

 怪談を読み慣れている人間からすると、目がない像に目を嵌め込めば助かるのでは……と思ってしまいますが、そんなこの世の道理が通じないからこその恐怖なのでしょう。魔性の女と呪いが手を組んで追いかけてくるのでは気の休まる暇がありません。
 

「大熾天使(El gran serafin)★★★★★
 ――神父が温泉の噴きだす掘削現場を見つめていた。アルバレスが話しかけると、神父は穴から見つかった大きな黒い翼を見せた。まるで悪魔の翼のようだった。ある夜アルバレスの夢にネプチューンが現れ、世界の終わりを告げた。

 「愛のからくり」のバッカス、「偶像」のアヌビス、そして本篇のネプチューンと、本書に登場する神々は多彩ですが、先の二つが悪しき精霊といった描かれ方をしているのに対し、ネプチューンは啓示をもたらすという点で完全に「神」と同格であり、その存在が際立っています。その存在感ゆえにこそ、終末を迎える宿泊人たちの人間くささが目立ちます。
 

「真実の顔」(Las caras de la verdad)★★★★★
 ――ベルナルド氏が式典での演説をやめるとは信じられなかった。おまけに家族の一員たる馬を殴りつけているのも目撃された。錠剤を飲んで以来、「あれ」が始まったのだ、とベルナルド氏は言った。

 訳者によれば当時のアルゼンチンの状況を風刺しているそうです。何とも即物的な輪廻現象と、人を食った語り手の合いの手が、狂気と爆笑を生む怪作でした。
 

「雪の偽証」(El perjurio de la nieve)★★★★☆
 ――フェアミーアンというデンマーク人の農場では、いまだに二十年前のような暮らしをしていた。模倣の天才である詩人のオリーベは興味をそそられ、「農場に行ってみるまではこの地を去りません」と言っていた。だが農場の一人娘が死に……。

 騙りと手がかりと推測を駆使したもっともミステリらしい一篇。変態じみた殺人者の行動が、娘を長らえさせたいがために常変わらぬ生活を送るという観念に凝り固まった一家から娘を解放するという救いにつながっている点は、まだまだ語り手に甘い解釈であると思いますが。

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