第一部 幻想小説篇
「零人」(1949)★★★☆☆
――「僕の妻ナナを紹介しましょう」彼こそこの秋海棠の栽培者、そして花を妻と呼んでいる偏執狂的園芸家なのだ。「美人はその盛りで花に変ったらいい。肉体の凋んでゆくさまは見るに堪えない。僕は妻を花と咲かしたんだ」
大坪砂男にしては珍しく、戦前戦後「探偵小説」らしさ漂うエログロ系幻想小説。牡丹とか秋海棠とかいった、血の色の花ばかりなのが暗示的です。
「幻影城」(1950)★★★☆☆
――私がリマ子に近づくのは、画家としてリマ子の描いた絵に興味を惹かれたからだったが、もはや潔白の色情から顛落して痴情の男性にすぎないのだろうか? リマ子の手紙に導かれるまま沖縄にやって来た私は、リマ子の許嫁について聞かされる。
沖縄もの。ですが、第二巻収録の作品とは違い、横溝世界のような因襲に染まった沖縄が舞台となっており、その点では「零人」と同じく探偵小説的な作品でした。
「黄色い斑点」(1953)★★☆☆☆
――琥珀色の角封筒。それがシナラからの逢引状であったのは、去年の事であったのに。品子が失踪して一年。手紙は品子の夫である仁科先生からであった。
敢えて「幻想&SF」というジャンルにくくった作品は、どうも落穂拾いの印象が強く、この作品も大坪特有のアクがありません。
「幻術自来也」(1954)★★☆☆☆
――あのメーデー事件の真相です。白昼堂々、厳重警戒のなか、ガマが現れた。水垣技師がこんな天然色立体映像を作りあげたのは、隣に住むタイピストのツナ子が目当てであった。
ユーモア小説であるにもかかわらず、大真面目な作品のほうがよほど奇想がはじけているのが皮肉です。
第二部 コント篇
「コント・コントン」(1950)★★☆☆☆
――諸君! 裁判化学者S・O・サンドマン博士の発明したる名酒ベリタスを飲んだ者は、嘘偽りなく心のなかの真実を口にするのである。
嘘のつけなくなった世界の顛末を描いたユーモア作品。
「寸計別田 SUKEBETTA」(1950)★☆☆☆☆
――スケベッタ――というのは歴とした固有名詞である。K村にある五百坪の美田。この村には喜太郎と庄作という二人の百姓が住んでいたが、人格者でもない庄作も女房のオイトだけは十人並以上だった。
民話風にしていたり、スケベッタという田圃があるだのと言ったりしていますが、とどのつまりは現代の性愛事情。
「階段」(1950)★★★★☆
――「あの鉄管は首を吊るのに持ってこいだからなあ」女の首吊のあったこんな場所に身を隠すのも、針山の執念のせいなのだ。針山は自分で飲んだ酒で盲になったというのに。メチールで毒殺しようわけがない。
二つの殺意がリンクして起こる事件の顛末。語り手の想像する真相は飽くまでも合理的なはずなのに、最後の一文に象徴されるような底なしの闇が、どんな怪談よりも恐ろしい。
「賓客皆秀才」(1952)★★☆☆☆
――十三夜の月明かりに年頃の男が離レ山の近道を通り抜けようとすると、並木の下から巡礼娘のうしろ姿が浮かび上がり、一定の間隔を置いて目の前を登って行く。途中一度も振り返ろうとしないで、月光を正面にする曲り角までくると消えてしまう。誰もこの幽霊娘の顔を見た者はいない――この怪談をお化け大会に応用しようという。
語り手が真相を想像するという大坪作品に多いパターンの作品ですが、作中作の怪談こそ面白いものの、いかんせん長すぎてイマイチでした。前半部分の風流人ごっこめいた知的遊戯を楽しむべき作品でしょうか。
「銀狐」(1952)★★★★☆
――見たことのある女だ、と思ったところ、それはA君の元妻B子だった。あるだけの金を着物に費やしてしまう着道楽の病癖がきっかけで離縁したB子が、半年前とは打って変わってファッション誌から抜け出たような恰好で歩いている。
何ということはないショート・ショートなのですが、当時とは生活様式や社会状況が変わった現代に読むと、却って虚を衝かれてしまうのが面白い。
「日曜日の朝」(1952)★★★★☆
――通りかかった青年が炉端を見ると、トラックから落ちた荷物で頭を打った男を、女が介抱していた。あわてて交番へ駆けつけた青年が戻ってみると、女は消えていた。事件を新聞で読んだ村井は、妻の友子に言った。「この二人は密会していたんだね……身分のバレるのを恐れたのさ」
四ページのうち前半は事件自体が描かれているので、実質二ページほどの夫婦の心理劇です。何気ない所作が疑心を生み、疑心が暗鬼を生み、二人のあいだに生まれる緊張感に、冷や汗が落ちそうです。
「憎まれ者」(1952)★★☆☆☆
――鼻ッつまみ野郎の太田が、ドシンドシンと四股を踏みはじめた。太田は角力くずれのアブレ者だった。図にのった太田を、私はおだててポンと叩いてやった。
もうちょっと長ければ伏線なども仕込めたのだと思いますが。
「露店将棋」(1953)★★☆☆☆
――「一回五十円」で詰将棋をしていると、下手は下手なりに素通りはできないらしい。
第3巻のサスペンスとハードボイルド篇に収録してもよかったような、香具師とギャンブラーの生きざま。
「蟋蟀の歌――「怪奇の街」の一節より――」(1953)★★★☆☆
――それはほんの幽かな空気の振動にすぎなかった。しかし、いかに微かでも、恐怖の振動だったことに間違いはない。秋雨、蟋蟀――それは床下、浸水、を意味しているのだった。
未定稿。ノイローゼ患者の見た幻想のような文章で綴られた物質的な危機という構成が素晴らしい。
「三つのイス」(1956)★★★☆☆
――謙吉が買ってきた九官鳥が、「お客さんだよ」と声を出した。宮子は夫を見た。「あなたのお留守に、わたしがお客様と何を話してくれるか教えてくれる録音機ね」
浮気をめぐる夫婦の腹の探り合い。「三つのイス」という夫の話が説教臭い。
「現代の死神」(1959)★★★☆☆
――競馬で全財産をすった男に、見ず知らずの男が声をかけた。あなたの問題を解決するのが、この青い液体です。この媚薬を服用すれば、あなたの心臓はストップします。あとの現実処理はわたしが引き受けました。
奇想を誇る著者にしては嘘のように平凡な作品です。
「ビヤホール風景」(1959)★★★☆☆
――去年、麻子から「恋愛に失敗してしまった」と聞かされたのも、このビヤホールだった。今日、この同じホールで、麻子は「わたし結婚しようと思うの」と話し出した。
旧全集未収録。サッポロビール広報誌(?)に掲載された、ビヤホールの人間模様。「蟋蟀の歌」に続いて萩原朔太郎「虚無の歌」が引用されています。一話目ビヤホールで知り合った男女の出会いと別れ。二話目では誇り高い古いタイプのビール造りが、新製法の缶ビール造りの若者(娘の婚約者でもある)に抱く複雑な心境が描かれています。一話目はバーか何かならともかく、ビヤホールは似合わないと思いました。
「天来の着想」(1962)★★☆☆☆
――梯子の足が腐っていたのだ。彼は柿の木から放り出されて頭を打った。天来の妙想がひらめいたのは、そのときであった。直接行動! それがいちばん簡単なのだ。その通り女房の脳天を粉砕すれば、完全犯罪が成立するに違いない。
旧全集未収録。やる気が無え(^^;。この短さのなかで、頭を打つシーンから始めてトントン拍子に進んでゆく文章こそ小気味よいものの、短い弊害が肝心なところで出てしまいました。伏線らしきものこそあるものの、何のひねりもない完全犯罪の穴。あるいは【ネタバレ*1】というのが当時の世相を反映していたりするのでしょうか。
「旧屋敷」(初出不明)★★★☆☆
――横井が屋敷まちに住みこんで、花作りになっていたのには驚いた。「屋敷のひと間を借りられたまでは良かった。それが屋敷の方では一人息子も主人も亡くなるし、奥方は髪を切って未亡人に取澄まされたんでは……」
新聞の社会面に掲載されているかのような即物的な事件と、その裏にある男の身勝手とロマンチシズム。見方を変えればありがちな犯罪実話でしかないのですが、小説だと思って読むと、恋愛譚のように始まりながら、恋愛譚のようには行かぬ現実を突きつけられ、短いながら鮮烈な印象を残します。
第三部 SF篇
「プロ・レス・ロボット」(1955)★★☆☆☆
――カトンボ博士が発明したプロ・レス・ロボットは、動きだしたとたんにぶっ倒れ、手足をばたつかせるばかり。子どもにさえどっと笑われうしろ指をさされる始末。
旧全集未収録。『中学生の友』掲載。一応ロボットは出てくるし、犯人当てでもあるのだけれど、文字通り子供騙しとしか言いようのない作品です。
「ロボット殺人事件」(1956)★★★☆☆
――ロボットプロレスの試合終了後、負けたロボットが立ち上がり、人間のレフェリーを殴り殺した。ロボット三原則に反する行動を取ったロボットの故障なのか?
量的には本書中でもっとも読みごたえのある作品です。結局は人間の仕業だという点で、SFというよりはミステリであり、ロボットの仕業に見せかけた動機の点で、論理ではなく感傷が押し出された作品でした。
「ロボットぎらい」(1957)★★★☆☆
――「養老年金なんか、ロボットにでも食わせろ!」まだまだ老人扱いされたくないロボットぎらいの老人が、手続きのため都会に行くと、どこもかしこもロボットばかりで……。
星新一のようなスマートなショート・ショート。このオチはけっこう現代的で古びていないと思います。
「宇宙船の怪人」(1958)★★★☆☆
――宇宙船A一〇三号に乗り込み月を目指すA国の六人の飛行士と少年ロボット。だが少年ロボットによると、乗船しているのは五人だという……。
旧全集未収録。『中学生の友二年』に発表されたものですが、SF篇4篇のなかではもっともSFらしい解決のつけられた作品でした。
エッセイその他
「πの」「原理」「影の」「?の」「見ぬ」「夢中」「街の」以外は旧全集未収録。「推理小説」の名称についての文章も多い。ミステリの源流をポーに求める発言が散見されます。
「推理小説とは」(1949)
「推理小説私見――大坪砂男氏にこたえて」高木彬光(1949)
「再び「推理小説」に就いて」(1949)
「困った問題」(1949)
「讃えよ青春!――不可能への挑戦――」(1950)
「受賞の言葉」(1950)
「宮野叢子に寄する抒情」(1950)
これは毒舌芸なのではないか(^^;。どう見ても褒めてません。だけど文章が面白いので取り上げられている作品自体も読んでみたくなる不思議。最後には持ち上げているものの、たぶん貶している方が本音でしょうね。。。
「戦後派探偵作家告知板」(1950)
「夢中問答」(1951)
「改名由来の記」(1951)
「πの文学」(1951)
「アンケート」(1951)
「アンケート」(1952)
「相馬堂鬼語」(1952)
「意義ある受賞」(1952)
「怪奇製造の限界」(1952)
「推理小説の原理」(1952)
「ミステリーとは何ぞや」(1953)
「願望」(1953)
「佐久の草笛」(1953)
「「花束」の作意に就いて」(1953)
本全集2巻『天狗』に収録の「花束」についての自作解題。
「筆名もとに戻る」(1953)
「椅子は空いている」(1954)
「短篇形式について」(1954)
本全集1巻『立春大吉』に収録の「検事調書」についての自作解題。
「地下潜行者の心理」(1954)
「POST ROOM」(1954)
「私人私語」(1954)
「重厚な作風」(1955)
「人生を闊歩する人」(1955)
「新人らしく生真面目に」(1956)
「透明な空間の中にあって」(1956)
「?の表情」(1956)
「会計報告について」(1956)
「新しき発展へ」(1956)
「ノーベルが残した五つの賞金」(1956)
「ミュスカの椅子」(1956)
「アルバイト」(1956)
「病気という名の休養」(1957)
「アンケート」(1957)
「街の裁判化学」(1972)
著者自身による鑑識時代の回想録。石油を検出する試薬を見つけたことや、鑑識の苦労話など、興味は尽きない。
「ふるえ止め」(1959)
「影の理論」(初出不明)
「見ぬ恋に憧れて」(初出不明)
「奇妙な恋文――大坪砂男様に」宮野叢子(1950)
「アラン・ポーの末裔――大坪砂男氏と語る」渡辺剣次(1953)
対談(というかインタビュー)。ホームズとルパンに憧れて警察に入る。警視庁退職後、作家デビューまでのあいだは韜晦しています。
「幻物語」山田風太郎(1970)
「推理文壇戦後史(抄)」山村正夫(1973)
大坪の金銭感覚など私生活についての情報も多い。都筑道夫が保管している「「天狗」と同じような文体で、終戦直後の花柳界を舞台にした私小説風の」長篇があるらしい。本全集3巻『私刑』収録のエッセイ「水谷先生との因縁」によれば、大坪の筆名はホフマン「黄金宝壺」からと書かれていましたが、このエッセイによれば、砂→馬場→大坪流の連想であるようです。関西探偵作家クラブ会報『KTSC』誌上での覆面書評家・魔童子との論争も再録されていますが、まさに泥仕合です。
「夢幻の錬金術師・大坪砂男――わが懐旧的作家論」山村正夫(1975)
「故人」色川武大(1978)
「書評 逆さまの椅子――『天狗』(国書刊行会)」倉阪鬼一郎(1993)
巻末エッセイは桜庭一樹。
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