『ミステリーゾーン』60「暴力教師」「失われし時の番人」「劇作家の願い」「バーニング・マン」「悪魔のジョーカー」
「暴力教師」(Theacher's Aide,1985.11.8,ep016)★★☆☆☆
――不良ばかりの学校で教師をやっている女性・ピーターズは、ガーゴイルの目が光っているのを見てから、夜中にうなされ、生意気な生徒に手をあげるようになった。
オリジナルの頃と比べて、特殊メイクは格段に進歩しているのに、アクションの特撮は安っぽいままなので、違和感があります。悪魔に取り憑かれたものの、最終的には良心が勝った、という話ですが、こういう短い作品だと伏線や演技力や心理描写が不足しているため、どうしても物足りなさを感じてしまいます。
「失われし時の番人」(Paladin of the Lost Hour,1985.11.8,ep017)★★★★★
――墓参りをしていた老人ガスパーがチンピラに襲われたが、奪われそうになった懐中時計はぼうっと光ってもとに戻った。居合わせた青年ビリーが襲撃に気づき助けにかけつけた。ガスパーはビリーの家にお邪魔することにした。ベトナム帰りのビリーはニュースを見て戦争を心配するが、ガスパーは時計を取り出し、「まだ11時だから、君は死なない」と言うのだった。
ハーラン・エリスン「失われた時間の守護者」原作・脚本。ダニー・ケイ、グリン・ターマン主演。死んだ妻を悼む老人と、戦争の記憶と死の不安にさいなまれる若者。一見妙な取り合わせのこの二人は、死と記憶というどちらも時間に関係のある要素に縛られています。改暦にともなう失われた一時間という発想、全世界を負うというスケール、ほぼ二人だけの出演者による競演、尺も充分で見応えのある作品でした。
「劇作家の願い」(Act Break,1985.11.15,ep018)★★★★☆
――才能のない劇作家モリーは家賃を滞納していた。書きあげた作品は傑作だと信じているのにヒットは一本もない。仕事仲間のハリーが発作で倒れると、願い事を一人一つだけ叶えるという石に、願い事を頼む。「最高の劇作家を相棒に欲しい」と。
かなり単純極まりない話で、主演のジェームズ・ココの一人舞台です。こういうコメディは吹替えではなく字幕のほうがよいですね。
「バーニング・マン」(The Burning Man,1985.11.15,ep019)★★★★★
――甥と女性ドライバーがヒッチハイクで拾った老人は、今年は「17年蝉」が生まれる年だと話し、蝉がいるなら「17年人間」もいる、土から出たばかりの人間に太陽の光は激しすぎ、地上のものは何でもごちそうだと話すのだった。
レイ・ブラッドベリ「灼ける男」原作。蝉から発想を得たのは明らかですが、一足飛びに人間の話になるのではなく、「17年蝉」という存在を経由することで、より不気味さとリアリティが増しています。同じように、襤褸を着た老人で不安を煽っておいてから、身なりのよい子どもを登場させる手順も秀逸です。子どもの口許のアップ〜消える車のライトで終わる演出に、静かな恐怖の余韻が残りました。
「悪魔のジョーカー」(Dealer's Choice,1985.11.15,ep020)★★★★☆
――男たちがポーカーをしていた。ニックが6ばかり引くことを不審に思った男たちは、「666」が不吉な数字であり、ニックは悪魔であると考え始めた。悪魔が現れたということは、誰かが死ぬのだとジェイクが言いだした。悪魔はそれを認め、誰が死ぬかはカードで決めることになった。
モーガン・フリーマン(トニー)、ダン・ヘダヤ(ニック)、ギャレット・モリス(ジェイク)、M・エメット・ウォルシュ(ピート)、バーニー・マーティン(マーティ)ほか出演。悪魔ではないかと疑っていたときには慌てていたのに、悪魔だと白状した途端にやいのやいのと騒ぎだす仲間ノリが楽しい作品でした。如何にして悪魔の裏を掻くか、というのもこの手の作品の創意ですが、悪魔のツキを逆手に取ったカード勝負というのは、機知もあり、ゲームの種類を変えたり666が揃ったりといった伏線もあって面白かったです。
『ミステリーゾーン』61「復讐のハイヒール」「失いしもの」「影男」「アンクル・デビル・ショー」「解禁日」
「復讐のハイヒール」(Dead Woman's Shoes,1985.11.22,ep021)★★★☆☆
――古着屋に売られたカイルの亡妻の遺品。地味で内気な店員の女性がそのなかにあったハイヒールを履いたところ、別人のような態度を取り、店を去ってカイルの家に向かうのだった。
エピソード第83・第3シリーズ「死人の靴」のリメイク。とはいっても「死人の靴を履いたらその死者の人格になる」という設定だけを活かしたまったくの別物です。邦題どおり、死者が復讐に来る話です。幽霊にしては靴を脱いだら何でもなくなってしまうので、のどかといえばのどかですが、靴を履いたら誰もがその人になり得るのですから、特定の誰かを警戒しても防ぎようがなく、これ以上なく怖いことなのだと悟らされました。
「失いしもの」(Wong's Lost and Found Emporium、1985.11.22,ep022)★★★☆☆
――アダルトショップを訪れた青年は、「失くしたもの」の場所を店主にたずねた。店主は「あるときもあればないときもある」と言って、2番目のドアに行くよう指示する。だがそこには誰もない。失くした「時間」を探しに来た老婆や「尊厳」を失った中年男性がいるだけだった。青年はある出来事をきっかけに、「思いやり」を失くしていた。
ウィリアム・F・ウー「遺失物見つけます――ウォンの店」原作。失われたものが、謎かけのような指示という形であらわれるのは、いかにも不思議な店らしくてわくわくするのですが、「店主」の正体が唐突すぎて釈然としません。
「影男」(The Shadow Man,1985.11.29,ep023)★★★★★
――ダニーは13歳にもなって暗闇が怖かった。夜道で級友エリックたちに脅かされて大好きなリアナの前で恥を掻き、母親には夜寝るとき電気を消された。そのとき黒い影のようなものがダニーの前に現れ、「私は影男。ベッドの下を住処として貸す者には危害を加えない」と言って窓から立ち去った。
『グレムリン』のジョー・ダンテ監督。ロックン・S・オバノン脚本。いかにも子どものあいだで流行る都市伝説のような「影男」。必然的に影男そのものの恐怖ではなく、影男を取り巻く子どもたちの噂話が描かれることになります。無差別に人を襲う影男を憂う友人が、我関せずのダニーに向かって言う「町を見捨てる気か」というひとことが胸に刺さります。普通に考えれば文字通り関係ないに決まっているのに、この作品は「僕(たち)」が主人公の子どもたちの世界なんですよね。掟破りな結末が、この世はそんな君たちだけのルールで動いているわけではない、と諫めているようでした。
「アンクル・デビル・ショー」(The Uncle Devil Show,1985.11.29,ep024)★★★★☆
――ジョーイは父親に買ってもらった『イタチのティム』というビデオに夢中になっていた。デビルおじさんが魔法を使って何でも叶えてしまうのだ。ジョーイはビデオを真似て呪文を唱え始めた。
「子どもの空想」をストレートに描いたショートショート。現実と非現実が何の脈絡もなくつながって同居し、神出鬼没である様は、まさに子どもの頭のなかをそのままひっくり返したような混乱と衝撃でした。
「解禁日」(Opening Day,1985.11.29,ep025)★★★★☆
――カールとサリー夫妻の家で開かれているパーティ。サリーは夫の友人ジョーと浮気をしていた。翌早朝、カモ猟の解禁日、カールと二人で猟に出かけたジョーは、銃でカールを殴って湖に沈めた。気づくと子どもたちがジョーのことを「パパ」と呼び、サリーと暮らしていた。
まるで『火の鳥』みたいな因果応報と繰り返しの物語が強い印象を残します。知っているからこその、疑心暗鬼。知っているからこそ、伸ばせない手。サリーの最後の一言「それでいいのよ」がエグいうえに意味深すぎて混乱するのですが、英語だと「I'm glad it was not you.」。「死んだのが悪意のないあなたではなく悪意を持ったジョーのほうでまだよかった」くらいの意味でしょうか? そもそも二人は関係を持っていたのでしょうか。字幕だと「彼は悪くないわ」。これだと「誘ったのは私」と言っていて関係を持っているように聞こえますが、英語だと「I swear Carl is innocent.」で、「なにもない」と断言しているようにも聞こえます。
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