先に出た『短篇小説日和』の姉妹編。こちらは『怪奇小説の世紀』全3巻からのチョイス及び『書物の王国15 奇跡』から一篇及び新訳四篇から成ります。
「墓を愛した少年」フィッツ=ジェイムズ・オブライエン(The Child Who Loved a Grave,Fitz-James O'Brien,1861)★★★★☆
――その墓地にはほかのものには似ていない小さな墓がひとつあった。少年は小さな墓に対する愛情から、その墓を飾るようになった。夏のあいだそこに横たわり、村の子供たちが遊ばないかと誘いにきても、穏やかな口調で断るのだった。
新訳。創元の『金剛石のレンズ』は絶版なんですね。例えばアンファン・テリブルやヒステリー&不思議ちゃんという少年少女ものが存在するように、「繊細すぎるがゆえにこの世では生きられない子ども」の系譜は確かに存在するのだと思います。
「岩のひきだし」ヨナス・リー(The Earth Draws,Jonas Lee,1891)★★★★☆
――若者の舟は岸近くまで押し流されてしまった。満潮の潮の跡のあたりで光る小さな輪に気づいて、舟を繋ぐための物だろうと見当をつけた。輪に手をかけて力を籠めた。と、岩がぱっくりと口を開き、抽斗しとなって迫り出してきたのだった。ふと見ると、女が立っていた。麻袋よりも毛深い腕をした女だった。
元版『1』で既読。
「フローレンス・フラナリー」マージョリー・ボウエン/佐藤弓生訳(Florence Flannery,Marjorie Bowen,1949)★★★★★
――斜陽がガラスに刻まれた文字を照らしている。フローレンス・フラナリー、一五〇〇年生。「見て。私の祖先よ、きっと」フローレンスは指輪をはずし、現在の年号を記した。すなわち「一八〇〇年」と。夫のダニエルが覗きこんだ。「おかしな感じだな。一五〇〇年に生まれて一八〇〇年に死んだみたいだ」
元版『1』で既読。幻想の果てに待ち受けるおぞましさが強烈でした。
「陽気なる魂」エリザベス・ボウエン(The Cheery Soul,Elizabeth Bowen,1945)★★★★★
――わたしは配給を取り出して並べた。テーブルの上の紙切れに、何か書いてあった。〈魚の鍋を見ろ〉。開けてみると、またしても一枚の紙切れだった。〈ランガートン‐カーニーはじぶんのあたまをにる〉。「ランガートン−カーニーさんたちと料理番のあいだで、何かあったんですか?」と叔母さんに聞いてみた。「料理番はいなくなったわよ。一年ぐらい前だったかしら」
元版『1』および『ボウエン幻想短篇集』「陽気なお化け」で既読。罠にはまったような、自分だけが取り残される感覚が痛切です。
「マーマレードの酒」ジョーン・エイケン(Marmalade Wine,Joan Aiken,1958)★★★★☆
――サー・フランシスからすすめられた自家製リキュールを飲み干すと、ブラッカーはたずねた。「外科医というのは、神さまになった気分がするのではないですか」「文筆家であるあなたこそ神性に似た力を感じるんじゃないですか」「どうでしょうね。未来を予測する力は持っていますが」
新訳。コンラッド・エイケンの娘で、児童文学作家。爽やかな自然と、一転して不気味な雉の死骸に、冒頭からたちまち引き込まれます。狂気という前振りがないだけに意表を突かれる展開は衝撃的ですが、そのあとに待ち受ける残酷な結末はさらに不快なものでした。書かれてはいない――けれど結果は歴然としています。
「茶色い手」アーサー・コナン・ドイル(The Brown Hand,Arthur Conan Doyle,1899)★★★★☆
――伯父のサー・ドミニックに頼まれ、わたしは心霊現象の観察者としてその部屋の長椅子で眠りについた。ふと目が覚めた。茶色い顔の男が両手を挙げて失望の素振りをした。両手ではなく両腕と言うべきであった。その男には右手がなかった。
元版『2』所収。怪しいインド人という怪異に始まり、知恵による解決、医学(病院)の利用など、いかにもドイルらしい道具立てと言っていいのかもしれません。
「七短剣の聖女」ヴァーノン・リー(The Virgin of the Seven Daggers,Vernon Lee,1927)★★★★★
――小さな礼拝堂のなか、無名のマリアたちに囲まれて、すべてを領しているのは七短剣の聖女である。跪く男の影があった。名はドン・ファン、ミラモルの伯爵であった。「私はあらゆる罪を犯してきました。しかし、あなたの名前を敬うことはつねに忘れなかった。ですから、どうか私に与え給え……」
ヴァーノン・リーは元版『1』に「人形」が収録されていましたが、『書物の王国15 奇跡』収録の本篇に差し替えられています。あらゆる罪を犯してきた伯爵が、眠れる王女を手に入れんがためにおこなった禁断の黒魔術の果て。美麗な言葉で綴られるオカルトは堂々たる聖女の奇跡譚に相応しいといえるでしょう。
「がらんどうの男」トマス・バーク/佐藤弓生訳(The Hollow Man,Thomas Burke,1935)★★★★☆
――男はあの出来事から十五年を経て、アフリカから一路ロンドンの街へ、名なしという名の友が営む飲食店に向かっている。頭に血が上って殺人を犯し、罪の意識に苛まれるのは忌まわしいことだ。では、アフリカに葬ったはずの死体が、十五年後に訪れて来たとしたら。それは一層忌まわしい。
元版『2』所収。不穏な出来事をあおるかのごとく外堀から内側に分け入っていくような、冒頭の語り口に独特の味があり、見る間に引き込まれました。十五年の時を越えて罪の意識を克服するために訪れた残酷な試練に、にじみ出るほろ苦さを感じます。
「妖精にさらわれた子供」J・S・レ・ファニュ/佐藤弓生訳(The Child That Went with the Fairies,Joseph Sheridan Le Fanu,1870)★★★★☆
――ネルは母親に言われてちびちゃんたち三人の名を呼んだが、帰って来たのは二人だけだった。「ビリーはどこ」「行ちゃった。女の人と一緒に行っちゃったの」三人の子供が遊んでいるとき、大時代な造りの豪勢な馬車が現れた。従僕たちは異様に小柄で不格好だった。「姫様のおなり」御者が金切り声で叫んだ。
元版『2』所収。百鬼夜行のような妖精の姫君行列の、圧倒的な豪勢さが、もはや人間にはどうすることもできない無力感を誘います。妖精の国で幸せになってくれていればまだしも救われるのに、そんな残酷な後日譚を語らなくても……。
「ボルドー行の乗合馬車」ハリファックス卿/倉阪鬼一郎訳(The Bordeaux Diligence,Viscount Halifax,1936)★★★★☆
――三人の男がうれしげに近づいてきて、通りに立っている女を指さし、こう切りだした。「あそこにいる御婦人に、ボルドー行の乗合馬車は何時に出発するのか、とお尋ね願いたいのです」彼が言われたとおりに声をかけると、警官が彼を逮捕し、警察署へ連行した。
元版『2』所収。不条理系のアイデアに殺生な切れ味が加えられたためにちょっと印象的な作品になっています。
「遭難」アン・ブリッジ/高山直之・西崎憲訳(The Accident,Ann Bridge,?)★★★★★
――ヴァイスホルンの北東壁では事故は多くない。ブルとホワイトレッグがなぜ墜ちたのか誰も知らない。ちょうどひと月前だ。ブルのことを思い出しただけで、アラード博士は不快になった。ビースホルンから戻って来たフィリスとロジャー姉弟の顔色が悪いのが気になる。「休んでいたら、足跡が目に入ったんですが……」とロジャーは言った。
元版『2』所収。要は人を道連れにする幽霊譚なのですが、心霊現象を専門にしている精神科医を語り手にすることで、恐怖をあおり立てるようなB級な味ではなく、雪山の怪談に相応しい静かで冷やかな、心理的サスペンスをもたらすことに成功しています。雪中に忽然と現れる足跡や、死者からの手紙、音もない出立など、要所要所で不安を駆り立てられ、最後にはクライマックスの追跡劇で祈るような気持にさせられました。
「花嫁」M・P・シール(The Bride,Mathew Phipps Shiel,1902)★★★☆☆
――ウォルター君の仕事先に、アニーがタイピストとして雇われてきたのが、知りあうきっかけだった。アニーの母親は下宿人をさがしており、渡りに舟とばかりに話はまとまった。アニーの妹のラケルに会ったのはその時が最初である。二人の娘はどちらもラケルだった。
元版『1』で既読。
「喉切り農場」J・D・ベリズフォード(Cut-Throat Farm,J. D. Beresford,1918)★★★★☆
――「まあ、みんな喉切り農場って呼んでるな」馭者は言った。不十分な量の朝食を食べた後、ぼくは窓辺に立っていた。外にはぶざまな鶏が群れていた。「あわれな畜生だ。腹を減らしているんだな」
『贈る物語 Terror』で既読。
「真ん中のひきだし」H・R・ウェイクフィールド(Herbert Russell Wakefield,The Middle Drawer,1961)★★★★☆
――「奥さんの遺体が再検死されるそうですね」「家内は心臓病で亡くなりました」スケルトは記者の質問に答えた。その瞬間、家が身を揺すり、窓が鳴り、大机の真ん中のひきだしが半分飛びだした。
新訳。元版『1』所収の「湿ったシーツ」が短篇集『ゴースト・ハント』に収録されたためと思しき差し替えです。超自然の脅威に押し出される犯罪者心理の顛末を描いたコンパクトな怪談です。意思を持つ幽霊屋敷のような揺れ、隠れる気のない幽霊、明らかになるひきだしの中身、など、怖がらせるというよりも愉しませてくれる作品でした。
「列車」ロバート・エイクマン/今本渉訳(The Trains,Robert Aickman,1951)★★★★★
――ミミとマーガレットの旅は二週目に入っていた。地図には一軒の家しかない。「ローパー婆さんの家だ」と中年の泊まり客は言った。「運転手はあの家の前を通ると、手を振っているのが女の子だと思って手を振って答えるんだ」二人は地図をたよりにローパー家にたどり着き、宿を借りた。出て来たのは老婆ではなく、喪に服しているらしい四十代の男だった。
元版『3』所収。これまで読んだエイクマン作品のなかでは、何が起きているのかが格段にわかりやすい作品でした。「鉄格子すなわち精神病院と考えるのも極端に過ぎます」 通常であれば誤解が解けて安心できるはずの台詞であるだけに、真の意味がわかったときの恐ろしさは言いようもありません。また、最後の一行に向かって周到に組み立てられたと思しき文章は、最後の瞬間にすべてのピースが嵌る構成といい、作中人物はまだ気づかず読者だけにはわかっているという状況といい、喩えようもない絶望がその一行に込められていました。
「旅行時計」W・F・ハーヴィー(The Clock,William Fryer Harvey,1928)★★★★☆
――叔母のところにはお客さんがいました。ミセス・カルプといって、どこか奇妙で、秘密を抱えこんだ感じ。私が知り合いの家に出かけるのを見計らったように、「家に寄ってきてくださらない? 旅行用の携帯時計を忘れてきちゃったんですよ。鍵はここにありますから」と言いました。
元版『1』で既読。
「ターンヘルム」ヒュー・ウォルポール/西崎憲・柴崎みな子訳(Tarnhelm; or, the Death of My Uncle Robert,Hugh Walpole,1933)★★★★☆
――父と母がインドに住んでいたわたしは、親族の家を転々としていた。カンバーランドにはロバート伯父とコンスタンス伯父が住んでおり、御者のアームストロングがわたしの友人だった。塔に入ることは禁じられていた。最初の夜、わたしは恐ろしい夢を見た。黄色い歯をした犬が牙を剥きだした。
元版『3』所収。「これがわたしのターンヘルムだ」という言葉が、まさか譬喩ではなく、言葉どおりの意味であったとは。ロバート伯父がどういう意図をもってそのような行動をしていたのかがまったくの不明のため、忌まわしさばかりが目立ちますが、伯父の側にはもしかすると語り手の少年のような内省的で夢見がちな事情があったのかもしれません。
「失われた船」W・W・ジェイコブズ(The Lost Ship,W. W. Jacobs,1898)★★★★☆
――船は帰ってこなかった。嬰児は少年と少女になった。少年と少女は年頃の青年と娘になった。けれど遭難した船の行方は杳として知れないままだった。暗く、荒れた、九月の晩。年の寄った女が一人、祈りを捧げた。その時だった。家の戸が不意に開いた。「誰だい、そこにいるのは」。戸口にいる男は足を踏み出し言った――「母さん」
元版『3』所収。読者が謎の答えを期待し、作中人物が家族の行方を期待した先に待ち受けていたのは、あまりにも切なく残酷な定めでした。
「怪奇小説の黄金時代」「境界の書架」「The Study of Twilight」西崎憲
「怪奇小説の黄金時代」には、『短篇小説日和』のエッセイにもあったデフォー「ミセス・ヴィールの幽霊」に触れられています。「境界」とはすなわち「辺境」。怪奇小説のことでした。「The Study of Twilight」は文字通り「Study」研究についての本、すなわち研究書の紹介です。