『早稲田文学』2015年冬【世界文学ケモノ道 ぼくたちはなぜ動かずにいられないのか?】

「望遠鏡」ダニーラ・ダヴィドフ/秋草俊一郎訳(Телескоп,Danila Davydov,2012)★★★★☆
 ――イペリマンはついていた。爆発はバスの乗客を鏖しにした。ひとり、彼をのぞいて。爆発で目が見えなかったが、行けるところまで行かなくては。鶏の鳴き声が聞こえてきた。ともかくも村が近いということだ。意識を失い、気づくと少年の声がした。ここはどこだ? ばあちゃんは昨日街にいっちゃったんだ、そしたらあんなことが。あんなことって? 彼は異星人の襲来にいたるまで、あらゆる惨状を思い描いてみた。

 ロシアの作家。目が見えない主人公と、それを救った少年の、どちらもがそれぞれの空想に思いを馳せています。イペリマンは目が見えないゆえの想像力と、事件に巻き込まれたショックで。少年は少年なりの、子どもの空想力で。噛み合っていないようでいて、わずかにどこか影響され合っています。現実に存在する望遠鏡すら、この時点の少年にとっては未知のものであり、空想の及んでいる範疇なのでした。
 

「遠い」エドゥアルド・ハルフォン/松本健二訳(Lejano,Eduardo Halfon)★★★☆☆
 ――つまらない授業の、さらにつまらない文学談義、学生たちはそう思っている。だがフアン・カレルだけは違った。星みたいですね、短篇小説は。彼は本物の詩人だった。それから準教授である私とフアンの交流が始まったが、突然フアンは退学してしまう。

 グァテマラの作家。大学で文学講義をおこなっている著者と同名の準教授が語り手を務めています。作品の前半はそれ自体が文学論のようになっています。やる気のない学生たちに囲まれるなか、恵まれない天才を見出したのはしがない準教授。見つけたのが伯楽でなければ、やはり才能は埋もれてしまうのでしょうか。占いに書かれた未来はどのようなものだったのでしょう。
 

アコーディオン弾きの息子(冒頭)』ベルナルド・アチャガ/金子奈美訳(Soinujolearen semea,Bernardo Atxaga,2003)
 ――新任の教師に名前を聞かれた。「ダビです。でもみんなはアコーディオン弾きの息子と呼びます」「本当?」その日の授業はダビのアコーディオンで締めくくられた。それから四十二年後、ダビは故人となり、僕は未亡人のメアリー・アンとともに墓の前に立っていた。「彼は回想録を書いていたの」「驚いたな」

 バスク語による作品。長篇『アコーディオン弾きの息子』冒頭部分の抜粋。「君の言語を話す人は五億人以上もいる。僕らの場合はといえば、百万人にも届かない。事情が違うんだ。きみが自分の言語を捨てたとしても何も起こらないだろう。でも、僕らが同じことをしたら、言語を衰退させ、消滅に向かってさらにもうひと押ししてしまうことになる。(中略)そういう感覚がすっかり染みついているんだ」。バスク人であるということはそういうことなのですね。
 

『世界収集家(抜粋)』イリヤ・トロヤノフ/浅井晶子訳(Der Weltensammler,Ilija Trojanow,2006)
 ――リチャード・バートンは手紙を書き始めた。ようやくたどり着いてみたら、海岸では死者を燃やしてるんだからな。ボンベイという臭くて汚い場所の真ん中で。/紙もペンも用意してある。ほかの代筆屋たちから目を離さないようにしている。あの男、客だろうか。

 ブルガリア出身のドイツ語作家。こちらも長篇からの抜粋です。『千夜一夜物語』でおなじみのリチャード・バートンが登場します。
 

「鹿とお母さんとドイツ」ヌルセル・ドゥルエル/宮下遼訳(Geyikler, Annem ve Almanya,Nursel Duruel,1979)★★★☆☆
 ――ベッドを抜け出すと、お婆ちゃんとお母さんがひそひそ話をしていて、お父さんの名前が聞こえてきた。お父さんはドイツに行って身を持ち崩しちゃっただとか、私たちに全然お金を寄こさないとか……みんな頑張っているのに、お父さんはただの馬鹿たれだって。それから夢を見たの。

 トルコの作家。トルコはドイツと雇用協定を結んでいる関係で、ドイツ帰りの人間やドイツを描いた作品の流れがあるそうです。この作品の父親もそんなふうにドイツに出稼ぎに行っている一人ですが、どうやら駄目人間である模様。母親のドイツ行きや祖母との会話から感じ取った不安をなだめるかのように、夢に見る思い出が印象的です。
 

「どこに駐車したか忘れた」アンテ・トミッチ/亀田真澄訳(Zaboravio sam gdje sam parkirao,Ante Tomić,1997)★★★☆☆
 ――ゴガが働いているカフェで、男はジュースを飲んだ。四つ目のブルーベリージュースの時、ゴガは男の名がクレシミルだと知る。カップルが長いキスをしていた。「彼女を食べちゃいそうね。蛇が卵を飲み込むところ見たことある?」「生で?」「テレビで、よ」二人はピンボール台の前で過ごした。「やりたいの?」「うちに行こう。あそこに車置いてきたんだ」

 クロアチアの作家。ごくふつうの若者たちのけだるい日常が描かれているかと思いきや、唐突な幕切れ。倦怠と衝動というと『異邦人』を思い出しますが、この作品には衝動(の結果)とのあいだに断絶があり、ショッキングだけれど置き去りにされた感が残ります。
 

「待ち時間」ロイ・キージー/藤井光訳(Wait,Roy Kesey,2006)★★★★☆
 ――第四ターミナルの待合ラウンジは隅々まで埋まっている。霧が濃く、飛行機はまだ飛ばない。会計士は紙を取り出し悪戯書きを始める。ブルガリア人が額を手でつかむので、医者を呼んできましょうか、と尋ねるが、「考えているだけだ。私は詩人なんだよ」。ガーナ人の女の子は信じられないほど美しい。子どもたちは遊んでいる。

 アメリカの作家。飛行場の待合ラウンジが、ごく当たり前のように「ここではないどこか」に変わってしまいます。待ち時間のあいだに自然と発生するコミュニティのようなところまでは、あるあるネタと言えなくもありませんが、爆発とともにそこは実世界と切り離された別世界になってしまいました。
 

国際線ターミナルにて」藤井光

「文学にとってホームとは何か」秋草俊一郎+浅井晶子+金子奈美+亀田真澄+松本健二+宮下遼+藤井光
 

「他言語の交錯するほうへ――『歩道橋の魔術師』を通じて」呉明益+鴻巣友季子+温又柔/天野健太郎通訳
 インタビューではなく鼎談なんですね。もう少し呉さんの話も聞きたいところでしたが。。。
 

「幽霊としての翻訳家」都甲幸治+マイケル・エメリック
 「日系ブラジル人が日本語で書いた作品」である松井太郎『うつろ舟』『遠い声』は気になるところです。
 

「未来の世代の読者へ向けて――「日韓若手文化人対話」より」朝井リョウ+チョン・セラン/武田康孝・聞き手、延智美訳
 

「シールの素晴らしいアイデア雪舟えま
 ――害虫のタビソムシが冬に大発生した。私の勤める職業局の向かいで、若者がずぶぬれになっていた。シールと名乗ったその基礎学生と、面談室で話をするようになった。
 

『クィシ 書物、そして死の章』タチヤーナ・トルスタヤ/貝澤成・高柳聡子訳
 長篇連載の中盤。
 

「第五回 早稲田大学坪内逍遙大賞発表」
「詩人としてまっとうするにはこれしかなかった」伊藤比呂美インタビュー

 町田康に殺意!(嫉妬にあらず)。このくらいの感性がないと詩人ではいられないのでしょうね。

福永信が読む2016年の星座」福永信
 ――もうしばらくすると平静28年の星座うらなひが、雑誌や本などの民間の媒体から発表されることと思ふ。そこで今日は、来年の星座うらなひを書ゐてみやうと思ふ。素人であるが、がんばつて書くことで、努力は報はれることを証明したいと思ふ。
 

「第三の川岸」ジョアン・ギマランイス・ローザ/宮入亮訳(A terceira margem do rio,João Guimarães Rosa,1962)
 ――ある日、僕らの父が一隻のカヌーを作ってくれと命じた。父は真剣だった。帽子を押さえて皆に別れを告げた。父はカヌーに乗り込み、戻ってこなかった。ただ、あの川の空間、真ん中の真ん中、常にカヌーの中に居続けるという考えを実行するだけだった。

 ブラジルの作家。父が突然カヌーのなかで暮らし始めるという話です。
 

『テルリア』(第4回)ウラジーミル・ソローキン/松下隆志訳

『炸裂志』(第6回)閻連科/泉京香訳
 

「ことばの庭 「モダン語」の誘惑」平山亜佐子
 大正期に刊行された辞書に収録されていた新語から、「モダン語」の魅力を語る。「高等貧民」「羅漢様」など。
 

「村上想像神話」辛島デイヴィッド
 これまで未刊行だった英語版『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』の刊行を機に、改めて村上春樹のオリジナリティーやイリュージョンなどを語る。
 

「文芸誌で出来るかな? その3 電子書籍とふろく、そして……!?」名久井直子&奥定泰之
 紙の書籍ならではのこととして、表紙の紙・ふろく・小説ジグソーパズル、など。
 

  


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