『書物愛 日本篇』紀田順一郎編(創元ライブラリ)★★★☆☆

 書物がテーマのアンソロジー、日本篇。

「悪魔祈祷書」夢野久作(1936)★★★★☆
 ――いらっしゃいまし。雨で御座いますナア……古本屋なんてところにはタチの悪いお客もずいぶん御座いますよ。この間コンナ本がありましたよ……創世記のブッ付けだけは本物の聖書ですが、そこから先は悪魔の道を世界中に宣伝する文句になっているんですね……。

 冷静に考えると、悪が説かれているからといってどうだというんだ、と思ってしまいますが、読んだだけで悪の信仰に染まってしまう魔書――しかも聖書に模してあるという点に、背徳的な魅力が宿っています。一人称の語り口調というのも技巧倒れになっておらず(そんな小説の多いこと!)、本当に引き込まれてしまう語りと内容でした。
 

「煙」島木健作(1944)★★★★☆
 ――「今日の洋書の市、おれが行ってみようか?」三十になった耕吉が身を寄せている叔父の周造の店では、小さな店にしては洋書を多く商っていた。美術書の山がまわって来て名著揃いだったので耕吉は興奮した。「八円五拾銭」「九円五拾銭」……「なかなか奮発されますね」と声をかけた者の調子には嘲笑がこもっていた。

 ギャンブルと同質の競りの魔力に取り憑かれてしまった素人のお話ですが、むしろP.40あたりに描かれた当時の都会の往来の様子に、冷たい都会に取り残されてしまったような主人公の哀れを感じました。
 

「本の話」由起しげ子(1949)★☆☆☆☆
 ――私の義兄、白石淳之介はその年の二月一日、K病院の一室で五十八歳の生涯を閉じた。姉の療養費を工面するために義兄の蔵書に手をつけねばならぬ場合であった。義兄の意志としては散逸させずに郷里仙台の学校か施設に寄贈したい、ということはわかっていたが、海上保険と云われても見当さえつかない。

 たとえば「私は○○で、××と思ったから、〜した」というような単調な文章が積み重ねられているだけでもうんざりしてくるのに、語り手の身勝手さにますますいらいらさせられました。挙句の果ては「そういうものをのみこんでいる日本の社会というものを考えた」……。これがまさかの戦後初の芥川賞受賞作です。
 

「本盗人」野呂邦暢(1978)★★★☆☆
 ――啓介は『古書通信』を読むふりをしながら、それとなく客をうかがった。その若い女はきのうも来た。おとといも来た。古本は一冊も買っていない。挙動だけに限れば、万引きをする客に似ている。だが盗られたものはなかった。

 古本屋を主人公にした『愛についてのデッサン』中の一篇。時代を考えれば仕方ないのでしょうが、「土方」と「三好達治」のくだりや、「大学教授」と「コミック雑誌」のくだりなど、気の利いた話のつもりなのが痛いです。謎の女性客をめぐるミステリ的な興味をたどれば、まるでラノベのような主人公に都合のいい展開が待ち受けていました。
 

「楽しい厄日」出久根達郎(1985)★★★☆☆
 ――本を買いにきてほしいと電話があった。聞けばキタムラモンタロウ「ソなんとかのシ」。北村透谷の稀覯本だといさんで出かけたが、ヤハタという家はない。建場の買子さんたちに事情を話すと、「八幡さまのことじゃないか」と言われた。

 リアルな古本屋事情に好奇心を捕えられ、敬語で話し合う夫婦に別世界に連れ去られ、リアルと奇想の両面から引き込まれる作品でした。古本の魔力に絡め取られる古本屋が、悲愴感なくコミカルに描かれています。
 

「古書狩り」横田順彌(1991)★★★☆☆
 ――デパートの古書展で見かけた老人は、『外蒙古の謎』の奥付だけを見てレジのほうへ歩いて行った。ところが約一か月後、神田の古書展で同じ老人が同じ本を買っているところに出会ったのだ。

 理由はどうあれ「恥ずかしいから回収している」というのは不自然ですが、ただの作家ではなく職人だからこだわりもあるだろうという理屈なのかもしれません。よほどの本好きでもその存在を意識することは少ないかもしれませんが、そこもやはり「書物」の一部である点にスポットを当てた作品でした。
 

「歪んだ鏡」宮部みゆき(1993)★★★☆☆
 ――由紀子が網棚に置き忘れられていた文庫本を手に取ると、名刺が一枚はさんである。しおりがわりにでも使われていたものだろうか。「高野工務店 営業部 昭島司郎」。山本周五郎赤ひげ診療譚』の台詞に感銘を受けた由紀子は、持ち主に興味を惹かれ……。

 短篇集『淋しい狩人』の一篇。古書店が舞台であるだけでなく、実在の小説作品が重要なキーとなっている点で、ひときわ読書好きの心を捕えるであろう作品です。
 

「嗤い声」稲毛恍(2003)★★☆☆☆
 ――吉永は芥川賞直木賞の初版本マニアだった。先買いせずに受賞が決定するまで辛抱して買わなかった。候補作が発表されると、市内の書店を梯子して、目星をつけておく。平台の下に隠しておくことも忘れなかった。

 主人公がマニアのことも大衆小説のことも老人のとこも上から目線で馬鹿にして自分だけは崇高だと思い込んで自己正当化している絵に描いたようなゴミです。そんなクズの生態を詳細に描写しているという点で興味深くはあるのですが、いかんせん読んでいて不快感を感じるのは否めません。
 

「展覧会の客」紀田順一郎(2000)★★☆☆☆
 ――古書展で出会った大沢という男は、本集めの極意は「殺意」だという。興味深い話もいろいろ聞いたが、大沢には芳しくない噂もあった。古書展では万引の常習犯であり、自著の資料だと言って借りた本を返さずにいるらしい。

 二作続けて古本狂の話です。こういう人たちは「本好き」というよりもたびたび問題を起こす撮りテツなんかと同じ「オタク」に属する人たちなので、完全に遠い世界の出来事でした。

  


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