『ミステリマガジン700 海外篇』杉江松恋編(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★☆☆

 『ミステリマガジン』700号を記念して編まれたアンソロジー海外篇。過去に『ミステリマガジン』に掲載された作品のなかから選んだもの。すべて単行本未収録作。

 バラエティに富んでいてそこが魅力ではあるものの、出来から言えばB級集でした。
 

「決定的なひとひねり」A・H・Z・カー/小笠原豊樹(The Crucial Twist,A. H. Z. Carr,1943)★★★☆☆
 ――ひとごろしとは奇妙なもので、こわいといいながらも一目おいてしまう。妻の顔を見つめると、羨望としかいいようのない感情が襲ってくる。妻はかつて、きわめて意識的に、故意に、人を三人殺したのだ。美術館から来たと称する男が、家具を買い取りたいといって我が家を訪れたのが始まりだった。

 この場合の「twist」とは「急展開・急転回」の意味でしょう。過去を回想している形式だからとはいえ、夫も妻も命の危険ではなくまったく別のことを考えていて、それなのに緊迫感があるのがすごいです。それにしても、事件後に妻が「そういう」心境になったということは、たぶんそのとき、気分がよかった――のでしょうねえ。
 

「アリバイさがし」シャーロット・アームストロング/宇野輝雄(The Case for Miss Peacock,Charotte Armstrong,1965)★★★☆☆
 ――ミス・ピーコックが二人の警官に呼び止められ、洋品店に連れていかれると、赤毛の店主が大声でわめいた。「この女よ! 拳銃をつきつけて、売り上げのお金をせしめちゃったわけよ」「あたしにはアリバイがないんです。二か月前に越してきて、知人もいません。透明人間みたいなものですわ」

 シャーロット・アームストロングを指してよく称される「善意のサスペンス」という言葉がぴったりの作品でした。店主のほうも、「ひとりぼっちのオールドミス」だと思って餌食にしようと思っていたのでしょうが、あにはからんや――でした。
 

「終列車」フレドリック・ブラウン稲葉明雄(The Last Train,Fredric Brown,1950)★★★☆☆
 ――エリオット・ヘイグは、酒場で独りカウンターに腰を下ろした。「つぎの汽車は何時だい?」「行先きは?」「どこだっていい」ヘイグは以前に同じ問いをして、同じ返事をもらった記憶があった。「おれはアル中だろうか?」「たしかにたくさん召し上がりますが、でも――」

 単純であるがゆえに効果的でした。そもそも単純で陳腐なアイデアであるにもかかわらず、最後までそれと悟らせないから、効いているわけですし。
 

「憎悪の殺人」パトリシア・ハイスミス深町眞理子(The Hate Murders,Patricia Highsmith,1965)★★★☆☆
 ――アーロンは六時に郵便局の仕事から帰ってきた。しばらく残業したのは、ロジャーの死体が裏の物置にころがっていようとも、局を出るのを急いだりはしていない、と思わせるためであった。アーロンは日記に殺人の様子を書き綴った。つぎの犠牲者は局長のマックにするとしよう。

 好機が向こうから転がってきた誘惑に、抗えるはずもなく。とはいえ憎む理由すら現実のものなのかどうかは怪しいところです。勝手に被害妄想になった挙句に、極端に走る人――現実の異常犯罪者はこうなのだろうと思わせる不気味さがありました。
 

「マニング氏の金のなる木」ロバート・アーサー/秋津知子訳(Mr. Manning's Money Tree,Robert Arthur,1966)★★★☆☆
 ――逃亡するつもりはなかった。だが罪を償い終えた時、ぜひともいま書類かばんの中にあるこの横領金に頼りたかった。マニングは、一軒の家の庭に、エゾマツの木を植えるために穴が掘られているのに気づき、すばやく土の中に隠した。三年後、大きく育ったエゾマツを掘り返すにはどうすればいいか考え……。

 トリッキーな「五十一番目の密室」「ガラスの橋」で知られていた著者ですが、どう考えても本篇のような作品の方が出来がよいです。展開は予想の範疇ではありますが、そういうありきたりの人間くさいところが、ちょっとO・ヘンリーのようでよかったです。
 

「二十五年目のクラス会」エドワード・D・ホック/田口俊樹訳Reunion,Edward D. Hoch,1964)★★☆☆☆
 ――友人からクラス会の連絡を頼まれたレオポルドは、卒業ピクニックで溺れ死んだクラスメイトのことを思い出した。ボートから落ちて溺死したフィッシャーは、実は殺人だったのではないか――?

 同窓会を機に過去の事件が蒸し返されるという図式こそ面白そうなものの、レオポルドのあり得ない記憶力、被害者の髪が抜けていたどうとでも取れる理由など、魅力的な謎にしょぼい解決というホックのイメージそのままの作品でした。
 

「拝啓、編集長様」クリスチアナ・ブランド/山本俊子訳(Dear Mr. Editor...,Christianna Brand,1968)★★★☆☆
 ――編集長様、あたしは今、台所でお湯の沸くのを待ちながらこれを書いています。居間にはガスが充満していて、ヘレンがおそろしげないびきみたいな音を立てているんです。ヘレンが水に落ちたあの時は、助けられてしまったので、殺人にはならなかったんです。人は、同じ罪で二度罰せられることはできないそうではありませんか?

 ? 破綻しているのか、執念・妄念が描かれているのか、下手くそな犯罪工作だったのか、判然としません。狂人と被害者の殺す殺されるの知恵の応酬は面白かったです。
 

「すばらしき誘拐」ボアローナルスジャック日影丈吉(Guerre froide,Pierre Boileau, Thomas Narcejac,1970)★★☆☆☆
 ――電話が鳴って、ベルトンは受話器をはずした。「どなた……?」「あんたの細君は誘拐した……サツには他言無用だ」「いくらだ?」「三十万」電話は切れた。こんなチャンスが到来するとは! 妻の毒殺をはかったときは、精力的な手当を受け、救われてしまった。

 これでは証明にならないのでは? 法律的なことはともかく、ミステリ的にも、「ことごとく」逆を行っているのならともかく、たった二つだけの手向かいでは、意外性もどんでん返しもありません。
 

「名探偵ガリレオ」シオドア・マシスン/山本俊子訳Galileo, Detictive,Theodore Mathieson,1961)★★☆☆☆
 ――若き教授ガリレオ・ガリレイは講義の後で脅迫状を見つけた。アリストテレスの学説をくつがえしたガリレオをよく思わない教授たちもたくさんいた。そこでガリレオは、ピサの斜塔の上から、重さの違う二つの鉄球を落とす公開実験を行うことにした。だが実験終了後、助手の二人が同時に塔から落ちてきた。

 ガリレオ・ガリレイが探偵役――という点以外は、可もなく不可もないオーソドックスな古典的ミステリです。
 

「子守り」ルース・レンデル/小尾芙佐(Mother's Help,Ruth Rendell,1991)★★★★☆
 ――坊やは自動車が大のお気に入りだった。「ブルン、ブルン」坊やは三つになるのにまだ口がきけない。仕事で家にいない妻に代わり、夫アイヴァンとダニエル坊やの愛情を浴びていたのは子守りのネルだった。買い物の際にダニエルがサイドブレーキを引っ張り、運転席を降りていたアイヴァンが轢かれそうになったことがあった。それ以来ネルとアイヴァンの愛情はいっそう深まった。

 妻殺しにはからずも協力した形になった浮気相手が、かつての妻と同じ立場に陥りかけてゆく過程を、真綿で首を絞めるように嫌な筆致で綴っています。はっきりしたことは何一つ書かれていないし、もっと言えば思わせぶりな描写すらほとんどないのに、例えば悲鳴をあげる場面ではなく、悲鳴をあげている女性を叩いて正気づかせる場面を描くことで、その場の恐怖や緊張を伝える効果をあげているところに、人の心臓を握りつぶすような上手さを感じました。
 

「リノで途中下車」ジャック・フィニイ浅倉久志(Stopper at Reno,Jack Finney,1952)★★★☆☆
 ――ポケットに四十五ドル。職は一週間以内に見つかるさ。安全に引っ越しできる金が貯まるまでニューアークにいたら、一生出られなくなってしまう。ベンはカジノを見学だけするつもりだった。だが一ドルだけ賭けてみよう。ローズにはああ言ったが、このままでは懐が心許ない。

 同じ著者による「死者のポケットの中には」ギャンブル篇といった趣の、ハラハラサスペンスです。
 

「肝臓色の猫はいりませんか」ジェラルド・カーシュ若島正(Who Wants a Liver-Coloured Cat ?,Gerald Kersh,1946)★★★★☆
 ――ロッコの珈琲バーに行けば、変人たちに会える。男が話しかけてきた。「猫は好きか? おれは嫌いだな。肝臓色の猫を見たことあるか?」「気に食わないなら捨てればいいじゃないか」「おれは気が変なのかもしれない。追い出したはずの猫が、敷物の上に座っていたんだ」

 さすがカーシュとも言うべき、曰く言い難い奇妙な作品です。全体の構成自体は再度の怪のバリエーションとも言えるかもしれませんが、「肝臓色の猫」という言葉のチョイスが絶妙です。
 

「十号船室の問題」ピーター・ラヴゼイ日暮雅通(The Problem of Stateroom 10,Peter Lovesey,2000)★★★☆☆
 ――「何もないところから話を生み出すことはできないんですよ」フットレルの言葉を聞いて、その場にいたステッドとフィンチは知恵を出し合って完全犯罪の物語をつくろうと考えた。「船旅というのは完全犯罪にうってつけの状況じゃないかな」

 冒頭、「船室」で「フットレル」そして「完全犯罪」とくれば、すわ解決は海の底――という、解決のないのが必然のリドルストーリーかと期待したのですが、そういった方面に野心的な作品ではなく、倒叙と叙述を掛け合わせた作品でした。
 

「ソフト・スポット」イアン・ランキン/延原泰子訳(Soft Spot,Ian Rankin,2005)★★★★☆
 ――刑務所の手紙の検閲がデニスの仕事だった。興味をそそられた受刑者の手紙を、家に持ち帰ってコピーしていた。ブレインの妻セライナはいい女だった。デニスはセライナを詮索するようになった。夫のいぬ間に、フレッドという男と親しげにしている。

 ノンシリーズもの。デニスは変態ではありますが、覗き見・盗み見という誰の心にも潜んでいるかもしれない暗い願望を描いているからこそ、読者も一緒に騙されてしまうのでしょう。
 

「犬のゲーム」レジナルド・ヒル/松下祥子訳(The Game of Dog,Reginald Hill,2003)★★★★☆
 ――「もし火事になって、人間か飼い犬か、どっちかしか助ける暇がないとしたらどうする?」「ヒトラーを助けるくらいなら犬を助けるね」。それからゲームが始まった。「スターリン」「暴君ネロ」……。最後は決まってテリアのひとことで終わった。「おれの女房の母親!」ところがテリアの家が火事になって、妻の母親が焼け死んだ。

 ミステリマガジン2006年4月号()で既読。
 

「フルーツセラー」ジョイス・キャロル・オーツ/高山真由美訳(The Fruit Cellar,Joyce Carol Oates,2004)★★★★☆
 ――「ペアリーという名前に心当たりは?」兄からの電話にシャノンは首をひねった。「思い出した。あの誘拐された女の子」。「ここに来た方がいい、シャノン、今すぐに」。兄に言われてシャノンは実家に向かった。父は亡くなった。兄から見せられた遺品の中に、少女たちの写真があった。そしてフルーツセラーの鍵……。

 ミステリマガジン2006年4月号()で既読。

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