『狼少女たちの聖ルーシー寮』カレン・ラッセル/松田青子訳(河出書房新社)★★★★☆

 『St. Lusy's Home for Girly Raised by Wolves』Karen Russell,2006年。

 魅力的なタイトルに、「エイミー・ベンダージュディ・バドニッツケリー・リンクに続く、新しい世代の書き手!」という書評。期待しない方がおかしい。
 

「アヴァ、鰐と格闘する」(Ava Wrestles the Alligator)
 ――姉とわたしは湿地にあるおじいちゃんの古びた家で暮らしている。パパが帰ってくるまでお留守番だ。「ワニたちに餌をやってくれ。よそ者と話すんじゃないぞ」オッシーのいやらしい恋人はまだ現れていない。幽霊は姉の体の中を移動して、操り人形みたいに踊らせる。

 主人公の少女がワニたちと暮らし、幽霊が当たり前のように存在する世界。これだけなら別に珍しくもありません。それこそマジック・リアリズムからケリー・リンクにいたるまで、むしろ馴染みのある懐かしい世界とさえ言ってしまってもいいでしょう。ところがこの作者は、ところどころで(少女の、あるいは人間として)剥き出しとなった生の声としか思えないような一節を投げかけてきます。

 「『死がふたりをわか〜つまで〜』幽霊の恋人がいないわたしでも、このフレーズが馬鹿げた幻想であることはわかった。パッツィーは本気? 死んだら愛することから解放されるなんて、どうして思えたんだろう?」

 「『わたしたち人間を動物と隔てるもの。それは、こ、とぅ、ば、です』だけどそんなのは人間の思い上がりだ。(中略)はらわたに細い恐怖の針金が巻かれたように、これ以上だれもいない空っぽの家に耐えられなくなるまで立ち尽くす。フエルタ先生に言ってやりたかった。この気持ち、この感情こそが、人間と動物を隔てるんだって」

 ファンタジックな世界のなかで投げかけられるからこそ、こうした言葉がよりいっそう胸を穿ちます。
 

「オリビア探し」(Haunting Olivia
 ――兄のワローは一時間以上も泳ぎ回っている。幽霊が見えないのを認めたくなくて、腹いせに海面をばしゃんと叩く。その悪魔ゴーグルは女の子向けのものだった。ワローは言った。ぼくらの妹、死んだ妹のオリビアをこのゴーグルで探そうって。

 幽霊の見えるゴーグル。子どもっぽくて、ファンタジックで、そしてちょっとおセンチで。「オリビア新月の夜に消えた。ちょうど今から二年前、二十四個分前の新月の出来事だった。ワローに言わせると、つまり今夜は、オリビアの誕生日じゃない日、死の記念日だ。」たぶんカレン・ラッセルの魅力は、とっぴな空想力でも人生を穿つ視線でもなく、この感傷癖にあります。
 

「夢見障害者のためのZ・Z睡眠矯正キャンプ」(Z.Z.'s Sleep-Away Camp for Disordered Dreamers)
 

「星座観察者の夏休みの犯罪記録」(The Star-Gazer's Long of Summer-Time Crime)
 ――ぼくは犯罪同盟の一員になりたくて外に出たんじゃない。アルキオネ星に会えるように、パパがお膳立てしてくれたからだ。なのにそこにはいじめっ子のラフィーがいて、三十歳になる知恵遅れのピーティーにアルミと電飾を巻いていた。パンフレットにはこう書かれていた。『ウミガメの巣を荒らすことは法に違反します。産まれた子ガメは自然光で海の方向を定めます。野外の光を消灯してください』「おまえもウミガメ泥棒に参加するか?」

 ロマンチックを通り越して、星を女性に擬人化する気持の悪い父親が登場します。そういったオタク的な趣味から現実の女性マータへと目を向ける対比だとするならば、気持ち悪いのも致し方ないところです。学校でのラフィーはどうかわかりませんが、少なくとも島に滞在中のラフィーはそこまでワルには描かれていないので、主人公オリーのイモっぷりが目を惹きます。ワルになりきれない――というか、双子の妹というのは明らかにもう一人の自分ですよね。天文趣味を見つけられたくないけれど、星を裏切ったのも後ろめたい、という。
 

「西に向かう子どもたちの回想録」(from Children's Reminiscences of the Westward Migration)
 

「イエティ婦人と人工雪の宮殿」(Lady Yeti and the Palace of Artificial Snows)
 

「貝殻の街」(The City of Shells)
 ――実際のところそこは街ではない。先カンブリア時代から伝わる巨大巻き貝が並んだ巨石の公園だった。ララミーがビッグ・レッドに笑ってみせる。「やったことのある貝殻を、全部あんたに見せてあげる」何を「やる」のか考えただけで不快感があった。巻き貝の空洞はたまらなく心地良さそうに見えた。やめた方がいいとわかっていながら、ビッグ・レッドは自分を中に押し込んだ。

 ビッグ・レッドには失礼ながら、絵的には笑ってしまいます。おデブな女の子が巨大な巻き貝の穴のなかに入って抜けられなくなってしまうなんて、コントじゃないですか。しかしだからこそ、惨めさは際立っていました。
 

「海のうえ」(Out to Sea)
 ――罪を犯して奉仕活動中の少女が、プログラムの一環として〈海のうえの老人ホーム〉で暮らすソウトゥースのところにやって来た。「あんたが切断患者?」「ほかに片足の船乗りがこの港に見えるかね?」少女がソウトゥースの持ち物を盗み出すようになってからしばらくになる。今ではあの子が見つけてくれることを願いながら、お金と錠剤の位置を変える。

 少女と老人の奇妙な友情……だと思っているのは、当然ながら老人の方だけです。読者の方には勘違いしてしまう余地がありません。ああこのおじいちゃん可哀相に……と思いながらも、あんまり傷つかずに終わってほしいな、と感じていたのですが、おじいちゃん我慢できずに言ってはいけない一言を言ってしまいました。幻肢を舐めるシーンがエロティックですが、そこで「ああそういう少女なんだ」と思えないところまで目が曇っているのが哀れです。
 

「事件ナンバー00/422の概要」(Accident Brief, Occurence #00/422)
 

「狼少女たちの聖ルーシー寮」(St. Lusy's Home for Girly Raised by Wolves)
 ――はじめの頃、群れにあったのは、毛とうなり声と床を転げ回る喜びだけだった。わたしたちの母さん父さんは狼人間だった。狼人間は隔世遺伝した。わたしたちが人間社会に帰化できるようにと、両親はわたしたちを聖ルーシー寮に送り出した。「お名前は?」とたずねられて、姉は言葉にできないようなことをうなった。シスターは頷き、「ハロー、わたしは  です」と書かれたネームタグに筆を走らせた。

 矯正施設によって野性を失い、規律の心地よさを覚えてゆく狼少女たちは、そのまんま人間社会の縮図ではありますが、最後に「獣」を見下す「人間」だからこそ、その差異の大きさが強く印象に残りました。

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