『猫と鼠の殺人』ディクスン・カー/厚木淳訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『Death Turns the Table (Seat of the Scornful)』John Dickson Carr,1942年。

 アイアトン判事は峻厳な人物だった。罪の重い者にはぬか喜びさせ、罪の軽い者には反省を促す機会を与えた。娘のコニーが連れてきた婚約者トニー・モレルは、ひいき目に見ても好人物とは言えず、さらには脅迫がらみの前科があった。判事はモレルに、三千ポンドやるから娘から手を引けと持ちかけ、モレルもそれを承諾した。だが判事にはそれほどの大金を工面する余裕はなかった。翌日の夜、電話交換手は助けを呼ぶ声と銃声を聞いた。判事の別荘にかけつけた警官は、モレルの射殺体と拳銃を持っている判事を発見する。死体の下からは三千ポンドと赤い砂が見つかった。どう見ても判事にとって疑わしい状況だったが、やって来たモレルの弁護士が驚愕の事実を口にする――。

 事件が始まった時点で判事自身も犯人である可能性は排除できないとはいえ、読者の頭に浮かぶ疑問は以下のようなものでしょう。いったい誰が、何のために、判事に罪を着せようとしているのか――。

 事件後に明らかになった事実により、あるいは不必要な殺人だった可能性も出てきて、様相はさらにわからなくなります。

 第一容疑者が判事であることに変わりはありませんし、前回のモレル事件にからんだ法的に存在しない凶器のくだりなどは、悪魔的とも言える、いかにも判事に相応しい凶器の選び方だと思わざるを得ません。

 この作品のすごいところは、被害者の殺害方法が明らかになった段階からすら、表向き見えているものとは違う事実が隠されているところでしょう。

 浮浪者ブラック・ジェフが倒れていた出来事に関する、二通りの解釈などは、素晴らしいとしか言いようがありません。第一の解釈もミステリ的に優れていますし、第二の解釈にしても決定的な証拠と思われたものが見る角度を変えるだけでまったく別の様相を呈するところに感銘を受けました。

 別荘で銃を撃ったのは誰か、なぜか、どうやってか――という謎の解答は充分に意外なものでした。ただしそこに至る現象がやや特殊なものなので、明らかにされるのが第二の解釈だけならずっこけミステリだった可能性もありましたが、第一の解釈があるからこそ、真相も生きていました。

  


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