『The Singing Diamonds and Other Stories』Helen McCloy,1965年。
「まえがき」ブレッド・ハリデイ
「東洋趣味《シノワズリ》」今本渉訳(Chinoiserie,1946)
米澤穂信編『世界堂書店』で今本訳を、『EQミステリマガジン』1956年12月号No.006で田中西二郎訳「燕京畸譚」を読んでいるので今回はパス。
「Q通り十番地」吉村満美子訳(Number Ten Q Street,1963)★★★☆☆
――トムが鼾をかきはじめたのを見て、エラは忍び足で外に出た。車には乗らなかった。ナンバーを見られる恐れがあるからだ。エラは人と違っている。トムは病的欲求とは縁のないごく平凡な男だった。エラはQ通りに足を踏み入れた。少年がナイフをきらめかせた。「合言葉は?」
合成製品だらけとなった世界で本物の食物を使ったヤミ料理屋を訪れる若妻が登場します。言ってみればただそれだけの話なのですが、やはりミステリ作家、事情が明らかになるまでのいかがわしい犯罪臭の漂わせ方はお手のものです。
「八月の黄昏に」吉村満美子訳(Silence Burning,1957)★★☆☆☆
――ルネに出会って統一場動力型飛行機の製作を手伝うようになるずっと前から、いずれ自分が地球以外の惑星を目指すのだという気がしていた。父はそんなことは信じてなかった。だが私が十六歳のころ、あの事件が起こった。空高くから目の前に楕円形の物体が現れ、空中に静止してから、忽然と消えてしまった。
オチは見えている――と思っていたのに、微妙にズレたオチになっていました。プチ・ホラーですが、さほど優れているとは思いません。
「カーテンの向こう側」霜島義明(The Other Side of the Curtain,1947)★★★★☆
――レティは医師に言った。「似たような夢が八か月も続いているんです。そのときによって警察がいたり法廷の中だったりします。薄暗い廊下を歩いていると、カーテンに行き当たります。怖くなってそこから先には行けません」ラルフがしゃべっている。「レティ、こちらクレイン警部にメイザーさんだ」「前の奥さんが亡くなった件でお訊きしたいことがあるのです」
型通りなのにその型が妙にいびつで型からはみ出たところもあるのは「八月の黄昏に」と同様です。妄想を描いた幻想小説のように見えたのは初めのうちだけ。またたく間に、前妻の死亡事件をめぐるサスペンスに早変わりしました。「目を覚まそうとする意志の力が失くなる」という発想に新味があります。目が覚めない目が覚めないと思っているうちにずぶずぶと嵌ってゆく様子はそれこそ悪夢でした。
「ところかわれば」吉村満美子訳(Surprise, Surprise,1965)★★★☆☆
――何の間違いか、人類初の太陽系探査隊のメンバーに私が選ばれた。アモリスも同行する予定だという。「君はアモリスなしでは生きていけないからな」と学長は言った。その国は合衆国と呼ばれていて、国民は米国人と呼ばれ、言語は英語だった。「地球へようこそ」英語訛りの南火星だった。隊長も英語で答えた。「よお、ベイビー」
火星人と地球人のファースト・コンタクトSF。文化や生態の異なる二種間で起こるドタバタが楽しい作品ですが、もうちょっとギャグや毒があってもよいとも思います。
「鏡もて見るごとく」好野理恵訳(Through a Glass, Darkly,1949)★★★☆☆
――ミス・クレイルが解雇された理由をベイジル・ウィリングがたずねると、学長はしぶしぶ口を開いた。初めはメイドでした。裏階段を降りる途中でクレイル先生とすれ違ったとき「こんばんは」と声をかけたのに、礼儀正しい先生が返事もしませんでした。おかしいなと思いながらキッチンに降りていくと、そこにクレイル先生がいたんです。
長篇『暗い鏡の中に』原型。真相はこうしたパターン以外にはあり得ないのですが、「なぜわざわざそんなことをするのか?」というところに、必然性がありました(それもこうした理由以外あり得ない、とは思いますが)。真相のパターンが限定されるため意外性がなく尻すぼみですが、(実話をなぞっているとはいえ)これでもかというほどドッペルゲンガー現象を披露してゆく序盤のサスペンスに花がありました。
「歌うダイアモンド」好野理恵訳(The Singing Diamonds,1949)★★★☆☆
――その女は名前をマティルダ・フェアヴォーンといった。「集団幻覚みたいなことってあるのでしょうか?」「証明されたことはありませんよ」「歌うダイアモンドを見た人たちはどうなのでしょう?」「おそらくは見間違いでしょう」「新聞記事を見ていたら、この十三日のうちに、目撃した六人のうち四人が……死んでいるのです」
性別も年齢も住んでいる場所もまったく違う人々が、共鳴音を発するダイアモンド型の飛行物体を同じように目撃したあと、不可解な死を遂げる……どう考えても不可能な事件は、やっぱり説得力のある解決は無理でした。この奇想は好きですけどね。暗示による事件を解決していることを考えれば、ウィリング博士の精神科医らしさの出た作品と言えるのかもしれませんが。
「風のない場所」吉村満美子訳(Windless,1958)★★☆☆☆
――その窪地ではどうして風が吹かないのか、知る人はいない。情勢は厳しくなり、夜中に地平線の向こうで大きな光が閃いた。よその町から食糧をわけてもらおうと、電報局に出かけた人は、一時間ほどで戻ってきた。電報局はなかった。街もない。あるのは瓦礫の山だけだ。
放射能で滅びゆく人類を描いた掌篇。わたしにはちょっとおセンチに過ぎました。
「人生はいつも残酷」霜村義明訳(Better Off Dead,1949)★★★★☆
――今の私はフランク・ブライではなくスティーヴン・ロングワースだ。あれから十五年、ヤーボローの街で私を覚えている人間がいるだろうか。ブライは試してみたくなり、隣の座席の女に話しかけた。「ヤーボローのことは戦場で会った男から聞いたんですがね。フランク・ブライという男です」。女の顔から血の気が引いた。「そんなはずありませんわ! ブライは十五年前に殺されたんですもの」。金を盗んだ疑いを私に着せ、殺そうとした者を見つけ出すつもりだった。では殺された男は誰なのだ?
原書には収録されていない翻訳版ボーナス中篇。わざわざ収録しただけに、なかなかの力作です。復讐ものサスペンスのように始まり、蓋を開けてみれば犯人探し、すれ違いと二転三転する真相は、サスペンスと謎解きのブレンドが巧みな著者らしいところです。金が盗まれた事件と、主人公が殺されそうになった事件、人が殺された事件、そこに盗んだ金が返ってきたという不可解な出来事が加わります。どれをどう組み合わせるか、がポイントです。
[amazon で見る]