『Julia and the Bazooka』Anna Kavan,1970年。
「以前の住所」(The Old Address)★★★★☆
――退院の荷物をまとめていると、シスターが入って来る。「患者所有物」と書いた封筒をわたしに差し出す。「お返ししなくちゃならない決まりなの」封筒の上から、慣れ親しんだ円筒形の注射器に触れたら、夢を見ているような感じがする。
当たり前の外の世界を「幽閉」「監獄」と感じてしまい、ただ一つの「脱出」方法を試みようとする、麻薬中毒患者の物語です。語り手にとってはこれが唯一の世界なのでしょう。
「ある訪問」(A Visit)★★★☆☆
――ある暑い夜、一匹の豹がわたしの部屋に入って来て、ベッドの上のわたしのかたわらに横たわりました。夜明けのぼんやりとした光の中、目をさましたとき、彼はもう起きて部屋から出て行っていました。
豹というビジョンが妄想にしては比較的穏当な形を取っていると感じられてしまう時点で、カヴァン病にかかっていると言わざるを得ないのでしょう。
「霧」(Fog)★★★★★
――いつでもわたしは、スピードを上げて車を走らせるのが好きだった。霧と注射のせいで、すべてが非現実的に見えた。踏切を渡ったちょうどそのとき、ティーンエイジャーのグループが歩いていた。わたしは心をかき乱されることはなかった。現実のものではなかったからだ。人形が近づく。わたしはハンドルを握りしめた。奇妙なぎゃあぎゃあという声がだらだらと続いた。
ヤバイ。狂気という飾られた言葉では追いつかない、完璧にキチガイの視点がただただ恐ろしい作品でした。カヴァンを読むのが初めてで、アンソロジーか何かでこの作品だけ読んだのであれば、あるいはすべては「霧」のせいだという物語かと感じた可能性もありますが、とてもそうは思えませんよね、すべてが狂ってます。
「実験」(Experimental)★★★☆☆
――わたしがこの部屋を好きなのは、完全にわたしのもの、わたしひとりのものだからだ。どうして、不似合いな男がいつでもこのベッドにいなければならないのだろう? 性的快感が愛情と結びつき、ある神秘性が生まれるようなことが、他の人間とでも同じようになるのだろうか。ささやかな実験をしてみようとわたしは思う。
傷つかないための言い訳――などではなく、本気で実験だと思っているのでしょうね。こういうところの凄みが、カヴァン作品の登場人物にはあります。
「英雄たちの世界」(World of Heroes)★★★☆☆
――いつ死んでもおかしくないと分かっているので、レーサーたちは、無謀と友情と、とぎすまされた知覚力という戦時の空気に生きている。彼らはみんな英雄だった。普通の人間集団とは異なった冒険家だった。わたしもやはり不適応者であり、反逆者であると思われていたのだろう。
レーサーというと意外な感じがしますが、なるほど死と隣り合わせだとわかれば合点がいきます。
「メルセデス」(The Mercedes)★★★★★
――どういうわけか家の近所はいつもタクシーが少ない。いつかメルセデスを買うつもりだというのが、Mとわたしが何年も楽しんでいる面白半分のゲームだった。患者が待っているからもう行かなくてはとMが言った。「それじゃ、タクシーをつかまえてあげるわね」わたしが電話をしていると、Mが叫んだ。「メルセデスだ!」
当たり障りのない冗談だった現実が、ぐにゃりと歪んでしまう瞬間が恐ろしい。Mと語り手どちらが狂気に陥っているのかも断定しきれないところがあり、Mが異なる世界に行ってしまったように見えて、あるいは語り手が取り残されてしまったのかもしれません。
「クラリータ」(Clarita)★★★☆☆
――恐ろしく暑かった。汗でむずがゆい。クラリータが入って来てこう言った。「何て有様なの。自分を見てごらんなさいよ」わたしが言われたとおりにすると、全身が吹出物と湿疹とみみずばれで覆われていた。
結論だけ見ると――そしてジャンル読者の目で見てしまうと――これは狼男もののでした。
「はるか離れて」(Out and Away)★★★☆☆
――わたしは適応不能だそうだ。わたしは腹を立て続け、学校では話をしないことに決めた。彼女が初めて現れたのは、暑い日曜日だった。日陰に行こうと彼女が言った。「あそこは見張られてるの」「だったら家の中にいましょうよ」
幼い子どもの〈見えない友だち〉をカヴァンが書くとこうなる、という作品です。一人増えるのではなく、そのぶん自分が「いなくなる」ところに、底の抜けたような怖さがありました。
「今と昔」(Now and Then)★★★☆☆
――四年前に初めて会ったとき、彼は画家の仕事に没頭し、外見にとてもうるさかった。今では全然仕事をしない。一日中ガウン姿でうろつき回っている。あれは四年前だった。間違いない。四年間でこんなに違ってしまうものなのだろうか? たった四年で誰か他の人間に変わってしまうことなど可能なのだろうか?
わりとふつうのように見える、恋愛と倦怠。けれど孤独と疎外という点では紛れもなくアンナ・カヴァンです。
「山の上高く」(High in the Mountain)★★★★☆
――押しつぶされる前に家を飛び出した。彼の運転する車に乗るのは耐えられない。暗がりの中をたったひとるで走っていくのは、夢でも見ているようだ。山まではかなりの距離だ。人をいっぱい乗せた車が近づいてくる。奴らを滅ぼせ。雪の白い純潔を汚させるな!
車は走る凶器だとはよく言ったもので、「霧」にしても本篇にしても、受けるヤバさの度合いがほかの作品とは違って見えます。
「失われたものの間で」(Among the Lost Things)★★★☆☆
「縞馬」(The Zebra-Struck)★★★★☆
――四回目……わたしが死んだのは……Mは白衣をひきずり彼女に優しく話しかけた。遠い宇宙から飛んでくる宇宙線引が人や物に当たると、突然変異が起きる。ちょうど縞馬の縞のように。このようなミュータントがお互いに引き合う力は、普通の愛の絆よりはるかに強いことだろう。
ミュータントの登場するSF――というわけでもなく、たとえば心が通い合うのを超能力と呼ぶ――というのも正確ではなく、カヴァン作品の登場人物はそれが本当だと信じている、というより、主観では確実に存在している、のでしょう。
「タウン・ガーデン」(A Town Garden)
「取り憑かれて」(Obsessional)★★★☆☆
――それが起きたのは夜の九時から十時の間、彼のいつもの時間だった。しかし、もちろん、今は彼はいない。「ドアはきっと風で開いてしまったのね。でなきゃ、幽霊が開けたんだわ」
「ジュリアとバズーカ」(Julia and the Bazooka)★★★★☆
――ジュリアは一本の花もないまま死んだ。横たわっているのを見て、医師はため息をつく。役人の他は誰も来ない。ジュリアの灰は、テニスの優勝カップに辛うじていっぱいになっただけだ。葬儀屋か誰かがカップの蓋を閉めた。
バズーカとはヘロインを打つ注射器のこと。主観やレトリックではなく明確に死んでいる人間を三人称で描くことで、これまでの「狂気」とは違った「幻想」が立ち上がっていました。
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