『夜の国のクーパー』伊坂幸太郎(創元推理文庫)★★★★★

 ヤラレタ。読み終えてから思い返してみれば、トムと出会ったときの〈私〉の状況からして、かの風刺小説へのオマージュでもあったのですね。

 戦争に負けた僕たちの町に、顔を泥のようなもので塗った鉄国《てつこく》兵士たちが馬という動物に乗って現れ、銃という武器で国王の冠人《かんと》を殺してしまった。国王の死体を引きずってゆく片目の兵長の前に、一頭の無人の馬が現れた。町の人たちも僕も思わず口にしていた。「クーパーの兵士だ……」。この国に伝えられて来た話だ。遠くにある杉林の杉がいくつか蛹になり、やがてそのうち一つがクーパーになって自由に歩き回る。だから毎年、選ばれた男たちが二〜四人、クーパーを倒しに出かけてゆく。男たちは戻っては来ない。クーパーが死ぬときに撒き散らした液体を浴びると透明になってしまうのだ。ただ一人戻ってくることのできる複眼隊長は言った。この国に危機が訪れたとき、透明な兵士が助けに来てくれる――と。そんな風習も十年前に止んでいた。鉄国との戦争が始まったのは、クーパー退治をやめたことと関係があるのだろうか。冠人の後継者・酸人《さんと》が寝返り、勇ましい号豪《ごうごう》が捕えられ、医者の医医雄《いいお》や人の良い弦《げん》も呼び出されるに及んで、僕ははからずも馬に乗って町の外に出た。そこで倒れている人間を発見して、「ちょっと話を聞いてほしいんだけれど」と声をかけた。まさか猫と人間のあいだで言葉が通じるとは思わなかった――。

 猫が語り手を務める、文明的には現代日本よりやや遅れた様子の国を舞台にした、異世界ファンタジーです。

 猫が語り手を務めるのには、いくつか理由があるのだと思います。一つには自由な外出を禁止された状況下で、どこにでも自由に出入りして見聞きできるという利点があります。もう一つは猫と鼠の関係に暗示されるような、大国と小国、妻と夫、人とクーパーといった、各々の関係性を浮かび上がらせる効果です。そして最大の理由は、本書のメイントリックの一つであるトムと〈私〉の出会いが、人間同士では成り立たないということでしょう。

 猫の目を通して語られる支配の様子は非情です。兵長による国王殺し、後継者の寝返り、兵士によるレイプ未遂、兵士たちによる拷問……嗜虐的な兵士たちの所業に憤り、酸人の裏切りに反吐をはき、頑爺《がんじい》の達観に町人たち同様安心を覚え、号豪や医医雄や丸壺《まるこ》や弦の奮闘に思わず声援を送りたくなります。

 確かに、違和感はあるのです。ただ一人戻ってきた直後に廃止されたクーパーの兵士と、戦争再開の時期の暗合。国王によって突然変えられた暦。戦力差の大きな国同士による長期間の戦争。

 見えることが見えるとおりのことであるとはかぎらない――そんな言葉がこれほどまでに胸に響いた作品もありませんでした。ミステリとしての驚きはもちろん、情報に対する判断力というアクチュアルな問題も感じられました。

 生ける樹というクーパーの伝説がおぞましく幻想的で、完成度の高い作中作でした。

 目を覚ますと見覚えのない土地の草叢で、蔓で縛られ、身動きが取れなくなっていた。仰向けの胸には灰色の猫が座っていて、「ちょっと話を聞いてほしいんだけど」と声を出すものだから、驚きが頭を突き抜けた。「僕の住む国では、ばたばたといろんなことが起きた。戦争が終わったんだ」猫は摩訶不思議な物語を語り始める――これは猫と戦争、そして世界の秘密についてのおはなし。(カバーあらすじより)

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