『日本文学100年の名作 第4巻 木の都』池内紀他編(新潮文庫)★★★☆☆

「木の都」織田作之助(1944)★★★☆☆
 ――故郷に戻ってみると、善書堂という本屋はなくなり、代わりに矢野名曲堂というレコード店があった。見れば学生街の洋食屋の主人だった。懐かしい話をしているうちに、只今とランドセルを背負った少年が入って来た。半年ばかりしてから借りた傘を返しに行くと、その新坊が落第しましたよ主人が言った。

 故郷の町の店主との家族ぐるみの交流は、しかし戦争という大きな出来事によって幕を閉じます。しかしながら、息子に自分の価値観を押しつけようとしていた主人にとっては、息子とともに歩む道を選べたことは、結果的によかったものと思います。
 

「沼のほとり」豊島与志雄(1946)★★★★☆
 ――佐伯八重子は、戦争中、息子が動員されましてから、その兵営に面会に行きました。帰りは夕方になりました。東京方面への切符は売りきれてしまった。そういう時代だったのであります。八重子は腰掛の上で眼をつぶりました。「あの……失礼ではございますが……面会からのお帰りでは……。宿にお困りのようでしたら、どうかおいで下さいませんか。」

 ちくま文庫『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』で既読。そのときの感想が→こちら。結末にいたって一見ジェントル・ゴースト・ストーリーのようにも見えますが、そうだとするとそもそも寅香には八重子を助ける道理がないので辻褄が合いません。偶然の奇縁、そして八重子が道に迷ったか寅香が引っ越したのだ、とすると近所に寅香を知る人がいないのが不合理です。無理に因果を求めようとするなら、深見高次が戦死したというのが気になります。深見の霊が寅香に――まあでもそんな証拠もないですし、どうにも理屈のつかない不思議な話、と捉えるべきなのでしょう。
 

「白痴」坂口安吾(1946)★★★☆☆
 ――隣人は気違いだった。気違いは三十前後で、二十五六の白痴の女房があった。伊沢が夜道を歩いて我家へ戻ると、万年床の姿が見えず、押入を開けると、蒲団の間に白痴の女が隠れていた。多分叱られて逃げこんで来たのだろう。その日から別の生活がはじまった。けれども一つの家に女がふえたということのほかには変ってすらいなかった。

 正直、あざといとも言える設定なのですが、ここに描かれた戦争は想像の産物でも作り物でもない、という泣く子も黙る時代の真実があるのも事実なので、そうなると読者としてはこの圧倒的パワーにひれ伏すしかありません。
 

トカトントン太宰治(1947)★★★★☆
 ――拝啓。一つ教えて下さい。困っているのです。あの日、私たちは陛下みずからの御放送だというラジオを聞かされました。死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消えたのです。

 ケタケタ笑えるユーモア小説だと思っていたのに、読み返してみると意外なほど戦争の影が差していました。「トカトントン」も当初は「ミリタリズムの幻影を剥ぎとってくれ」るターニング・ポイントだったのですね。行き場を失った解放感がやがて正解もわからぬまままとわりつくものの、困っていると言いながら単なる自分語りなのはやはり可笑しい。
 

「羊羹」永井荷風(1947)★★★☆☆
 ――新太郎が満州から戻ると、働いていた小料理屋はなくなっていた。まずは生家に身を寄せ、市役所の紹介で運送会社に雇われた。すぐに金に不自由しない身になった。板前やおかみさんはどうしているだろうか。旦那さんは材木問屋だというから、財産封鎖で気の毒な身の上になっていないとも限らない。聞き及んだ所番地をたよりに疎開先を尋ねに行った。

 この場合の羊羹とは贅沢の象徴です。かつての旦那が同じように暮らしているのを見て何か釈然としないものを感じるのが、成金の成金たるところです。
 

「塩百姓」獅子文六(1947)★★★★☆
 ――土地も産業もない貧乏部落の人情は醇朴だった。昭和二十一年の春、一軒の小屋が建った。指折りの貧農・太兵衛が自家製塩を始めたのである。これが四百円になった。ラクな労働の結果である。それからは、誰も彼もが塩百姓となった。ジュンボクの人々は稼いだ金をすぐに使った。太兵衛だけは違った。ケチンボなのではなく、製塩が愉しみなのである。

 はたから見れば不幸な一生なのでしょうが、実際本人が楽しそうなのだから仕方がない。むしろ怠け者に魂が乗り移ったかのようなその後を見れば、ことのほか本望というべきなのでしょう。ゴールド・ラッシュとは言い得て妙で、太兵衛であれほかの村人であれ、形は違えど熱に浮かされた様子がよく出ていました。
 

「島の果て」島尾敏雄(1948)★★★☆☆
 ――世界中が戦争をしていた頃。トエは薔薇の中に住んでいて、仕事は子供達と遊ぶことだった。カゲロウ島にも大空襲があるという情報がはいった。運命の日はあっけなく朔中尉の目の前にやってきたのだ。この世のことはなにもない。洞窟の中のものを海に浮かべて、敵の船に体当たりする非情な自分と選ばれた五十一人のことだけが考えられた。朔中尉は話にだけ聞いていた隣部落のトエに会ってみたくなった。

 戦争の舞台となった奄美大島に進軍している部隊長と、年齢不詳の少女トエとの交流を描いた作品です。ここではないどこかのような奄美大島の文化、「むかし、世界中が戦争をしていた頃のお話なのですが――」という語り始まる冒頭、「ですます」調の文章――まるで童話のように描かれた、でも残酷なお話です。
 

「食慾について」大岡昇平(1949)★★★★☆
 ――私の中隊は比島を警備していたが、わが友池田の食慾は一般的解釈を超えた獰猛性を帯びていた。潜水艦との戦いに備え甲板で待機していると、隣の池田が始終口を動かしている。それが甘納豆であることを知った。重大な死の危険に際して、心残りなく甘納豆を食べたいという慾望を起こす余裕を持っていた。

 著者による屁理屈めいた食欲についての解釈にはさほど同意できませんが、「食べる」という反復行為には、「トカトントン」にも通ずるような、おかしみが感じられます。
 

「朝霧」永井龍男(1949)★★★★☆
 ――私が友人の良英君のお宅にお邪魔していると、中学の三四年生らしい末弟が帰ってきて、私にお辞宜をした。すると父親であるX氏が、どうしたものか鄭重に令息へ礼を返していた。「お父さん、風呂をたく時間です。行きましょう」廊下までX氏を送って行った良英は、「親父の奴、すっかりぼけて了って、参ったよ」と云った。

 永井龍男は小説よりもエッセイのファンです。痴呆症の老人を描いた、飄々とした視線と筆致は、エッセイにも見られるものでした。
 

「遥拝隊長」井伏鱒二(1950)★★★☆☆
 ――岡崎悠一は気が狂っている。いまだに戦争が続いていると錯覚して、感極まったように遥拝の礼をすることがある。戦争中、怪我をして脳を患ったのにはこういうわけがある。トラックで急行軍している途中であった。友村上等兵が「贅沢なものじゃのう、戦争ちゅうものは」と言ったのを聞きとがめて擲ろうとするところを、一緒に車から転げ落ちた。

 考えて見れば当たり前なのでしょうが、戦中よりも戦後の方が戦争文学の割合が多いのですね。もとが杓子定規な愛国を振りかざす上官だっただけに、戦争中の姿そのものがすでに戯画のようです。本人にとっては自業自得ですが、巻き込まれた方は浮かばれません。
 

「くるま宿」松本清張(1951)★★★★☆
 ――明治九年のことである。相模屋という人力車の俥宿に、四十過ぎの車挽きが一人増えた。年配だが、病気の娘のため働かねばならないと言い、名前は吉兵衛と名乗った。寡黙だが、無愛想ではない。隣の料亭に刀を持った士族が族に入ったことがあった。「私が行って、様子を見よう」と、吉兵衛が立ち上がった。

 守るべき矜恃を捨てることが出来なかった、時代に取り残されてしまった男をめぐる人情話です。変節した者、矜恃を守った者、どちらが愚かとも言い切れませんが、取り巻きのごろつきのような若者が書生を名乗るまでに世は落ちぶれているようです。吉兵衛さんは、思想思想と叫んでいそうなこういう輩のことをいちばん嫌ってそうですものね。この作品配列の流れで見ると、武士と敗戦を重ねてしまいますが――。
 

「落穂拾い」小山清(1952)★★★★☆
 ――仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて孤独にふれる思いがした。僕は最近ひとりの少女と知合いになった。駅の近くで「緑陰書房」という古本屋を経営している。「貧乏は瑕瑾ではない」という俚諺を見出して云うことには、「これを読んでおじさんのこと聯想したわ。」ひどい買被りである。

 アンソロジー『栞子さんの本棚 ビブリオ古書堂セレクトブック』で唯一当たりだった作品でしたね。何よりも冒頭の一文がしびれます。語り手と古本屋の少女の何とはなしの交流が心地よい作品です。
 

「鶴」長谷川四郎(1952)★★★☆☆
 ――矢野は肉体的には立派な兵隊だったが、精神的にはよい兵隊ではなかった。上官にしょっちゅう殴られたが、その時の言葉を手帖に書き留めておいて、「このごろ、奴らの頭を見ていると、叩き破って見たくなるんだ」と微笑しながら言ってのけた。そのうち私は国境監視哨へ運ばれていった。

 国境を越える鶴は自由の象徴であり、となれば矢野もそうなのでしょう。
 

「喪神」五味康祐(1952)★★★★☆
 ――瀬名波幻雲斎信伴が多武峯山中に隠棲したのは、文禄三年のことである。この時、五十一歳。一体、幻雲斎の剣は妖剣だと謂われている。日吉神社にて武芸奉納の行われたことがある。相手は隙だらけの幻雲斎にさっと打ち入れたところが、自身が脾腹を搏たれていた。結果に承服しがたい相手は真剣勝負を所望し、血を噴いて倒れた。

 喪神すなわち無我の境地というところでしょうか。白戸三平の忍者漫画も影響を受けていそうな、法螺を法螺とも思わせない大風呂敷と、文体と登場人物に見られるストイシズムは、ただただかっこいいの一言です。
 

「生涯の垣根」室生犀星(1953)★★★☆☆
 ――庭というものも、行きつくところに行きつけば、見たいものは整えられた土と垣根だけであった。はじめて家を建てた時に、民さんという男をつかっていたが、その後十何年と、庭いじりのたびに民さんのことあ頭にあった。はじめ篠竹ばかり植えたが、土のうつくしさが荒らされるからと、民さんに株を起こさせた。次には、芭蕉を植えるのだといった。

 とりわけ晩年に近くなってくると、マイペースなのが犀星のいいところです。庭いじりで一篇書いてしまうのもそうですが、「蜜のあはれ」と同じような文体できんたまのことを書かれては、笑うしかありません。
 

  ・ [楽天] 


防犯カメラ