『砂の粒/孤独な場所で 金井美恵子自選短篇集』金井美恵子(講談社文芸文庫)

「日記」★★★★☆
 ――今日、N子が七月二十五日に死んだということを知った。日記と一緒に送られてきたN子の弟の手紙によれば、「あなたと思われる人物に関する言及が繰りかえされている」ということだ。(十一月五日)。次の年の一月二十三日に、N子はKという男と旅行しているのだが、これはむろん私ではない。なぜN子はこんな馬鹿げた日記のつけ方をしたのだろうか。Kという男は実在するのだろうか。(十一月二十五日)。

 日記についての日記という、自己言及的な構成のなかで、語り手が日記の内容や記述者に擦り寄らされてゆくのは、必然なのかもしれません。見開き二ページが十分割されていて同じ日付の日記を十年分書けるという日記帳は、存在そのものが悪夢のようで、まるで魔術書といっても過言ではないような邪さに満ちていると感じました。
 

「曖昧な出発」★★★☆☆
 ――父親ほども年の離れた男に捨てらて、わたしと旅行しようと言った彼女を、なぜ裏切ることになったのか、説明することが出来ない。その時以来、彼女にあっていない。昨日の昼、夫と名乗る男から電話があった。彼女が死にかけていること、わたしにあいたがっていることを伝えた。今朝早く見知らぬ男がやって来て、あなたは出発できません、と言った。

 「日記」に続いて過去の女をめぐる随想です。過去の女であるからには、目の前に実在しているわけではなく、言いようによっては、語り手の記憶のなかにしか存在していないとも言えるわけです。であるからこそ、「日記」や本篇のような結末になるのは当たり前なのかもしれません。
 

「フィクション」★★★☆☆
 ――こういう朝に、彼女はやって来だろう。少し唇をゆがめたように笑いながら。その困惑と羞恥は、寝台で横になっている彼女を思い出させた。彼女はまだやって来ない。永遠にやって来ないかもしれない。彼女なんて、実は最初からいないのかもしれない。やがて列車はプラットフォームに辷り込み、自動扉が開いて一人の女が降り立つ。

 ここまでいずれもすでにここにはいない「彼女」と語り手の話が続きます。最後になって女はあらわれますが、これまで以上に現実感は希薄です。
 

「声」
 ――〈読者〉と名乗る若い娘らしい者から電話があった。「〈岸辺のない海〉の二十六ページを読んで死にたくなっちゃったんだもん。それなのにあなたは太ってさ、あたしだって小説が書きたかったんだから。でも、いいんです。あたしは金井さんの小説の登場人物みたく禁欲的じゃないし。堕落しているんです」

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