『He Who Whispers』John Dickson Carr,1946年。
実際にあった犯罪の話に明け暮れる「殺人クラブ」にゲストとして招かれた主人公マイルズ・ハモンドが、いざクラブに着いてみると、ホストはもぬけの殻……新アラビアンナイトか何かを意識しているらしき茫漠とした雰囲気は、しかしながら成功しているとは言えません。同じくゲストとして呼ばれた新聞記者バーバラ・モレルと二人、当日の語り手を務めるリゴー教授から過去にあった犯罪を聞かされる――という間接的で即物的な謎の提示がまず退屈でした。
誰も近づいた者のいない塔の上で刺し殺されたハワード・ブルック。犯人は空を飛んだとしか思えない――。不可能状況としては平凡で、容疑者とされるフェイ・シートン(ハワードの息子ハリーの婚約者)についても、リゴー教授やマイルズがやれ謎めいているやれ普通じゃないところがあるだの思わせぶりなことばかり言って、結局どこがどうおかしいのかまったく伝わって来ません。
ようやく面白くなりかけてきたのは、中盤に入ってからです。フェイ・シートンは婚約者がありながら密通していたうえに、密通相手の子どもの首筋に歯の跡があったという噂が判明するのです。フェイ・シートンは吸血鬼なのか? 空を飛んでハワードを殺したのか? ですが初めの雰囲気作りが失敗しているため、こんなところで吸血鬼と言われても、シラケてしまうだけでした。
そうこうしているうちに第二の事件が起こります。マイルズの妹マリオンが何者かに襲われ、発砲するのです。恐怖のあまり意識を失ったマリオンは「何かが囁いた」と告げます。フェル博士によれば、吸血鬼は獲物を昏睡状態に陥れるとき耳許で囁くのだそうです。
さて解決編。(父親を)罠にかけるための嘘だったはずのものが、嘘から出た誠だった、というのは皮肉です。不可能犯罪の真相は他愛のないもの(致命傷ではなかった被害者が、犯人を逃すため自分で証拠を隠滅したあとで絶命した)で、カー自身も似たようなトリックをほかの作品でも使っていたような気がします。が、そこに親子の愛憎を絡めたところに、本書の特徴があるのだと思います。第二の事件の真相(部屋と人物の取り違え)が明らかになる事実の伏線は鮮やかでした(被害者の部屋で事件があったと聞いて驚かなかった人物が、被害者がその部屋の主だと聞いて驚くのは不自然)。言われてみると膝を打ちますが、読んでいるあいだは微妙な前後関係の差異は意識せずに読んでしまいました。第二の事件にカリョストロの事跡が密接に関わっているところも謎めいた作風に一役買ってます。
しかしながら前半が失敗しているので、トータルで見てもイマイチの作品でした。
パリ郊外の古塔で奇妙な事件が起きた。だれもいないはずの塔の頂で、土地の富豪が刺殺死体で発見されたのだ。警察は自殺と断定したが、世間は吸血鬼の仕業と噂した。数年後、ロンドンで当の事件を調査していた歴史学者の妹が何者かに襲われ、瀕死の状態に陥った。なにかが“囁く”と呟きながら。霧の街に跳梁するのは血に飢えた吸血鬼か、狡猾な殺人鬼か? 吸血鬼伝説と不可能犯罪が織りなす巨匠得意の怪奇譚。改訳決定版。(カバーあらすじ)
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