『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』ジュディ・バドニッツ/岸本佐知子訳(文藝春秋)★★★★☆

 『Nice Big American Baby』Judy Budnitz,2005年。

 ジュディ・バドニッツの第三作にして最新作品集。

「わたしたちの来たところ」(Where We Come From)★★★★☆
 ――七人の息子をもつ女が望まぬ娘を生んだ。それでも愛そうとして「プレシャス(たからもの)」と名づけた。兄は戦争に行き、娘だけが残った。「アメリカに不法入国するのに絶対確実な方法は、女の腹に隠れていくことさ。生まれた赤ん坊は自動的に市民権をもらえる。母親はつかまったら強制送還だ」。男に言われて、娘は国境を越えようとした。

 汚染水を垂れ流す工場を「雨を降らす工場だ」と信じ、我が子のために、戦争のない安全な国をめざす。かれらの暮らす世界がファンタジーであるとともに、かれらがアメリカを見る見方もファンタジーであることを読者は知っています。そんな二重写しのファンタジー越しに、三年半後に生まれた赤ん坊が望んでいるのは、アメリカ人であることではなく、母親を恋うことでした――となるのも、かれがアメリカ人である=すでにみなが望んでいたものを所有しているから、でしょう。でもそれをかれは(もアメリカ人も)知らないのです。
 

「流す」(Flush)★★★☆☆
 ――こんどはそっちの番よ。妹が言った。少し前にミッチとわたしで話し合って、ときどき交代で実家に帰って両親の様子を見ることにしたのだ。母は半年にいっぺんマンモグラフィを受けるよう言われていた。トイレに行きたくなっちゃった。母は病院のトイレに入った。返事がない。個室を確かめてみた。逃げられた。

 冒頭で流産の話が出てきたので「流す」とはそっちかい、と勘違いしてしまいましたが、英語の「Flush」には流産という意味はないようです。いずれにしてもこの話には親子が二組出ていることになります。「わたしたちの来たところ」を読んだあとだと、この母親が、なにか巨大な赤ん坊のようでした。
 

「ナディア」(Nadia)★★★★★
 ――わたしたちの友だちのジョエルが、写真花嫁を呼び寄せた。彼女のことはナディアと呼ぶことにする。何日間かはジョエルは幸せそうに見えた。でもわたしたちは疑いだした。ジョエルは夫になりたかったのではなく、救世主になりたかったのではないか。ナディアはいつも子供服を買う。丈夫で長持ちするからだそうだ。「わたしたちがショッピングのしかたを教えてあげるわ」「間に合っているよ」と彼は言った。

 これがもし透明な語り手であれば、異文化間の愛情の幻想とすれ違いと現実を描いた物語になっていたのかもしれませんが、この作品の語り手は銀の仮面の家族よろしく恐るべきお節介の手(しかも「わたしたち」と五人も!)を、しかも日和見で突っ込み続けるので、あちら側もこちら側もなく、正しいも正しくないもない、混沌とした様相を呈していました。れれどあるいはこれが世界のあるべき姿なのかもしれません。
 

「来訪者」(Visitors)★★★★☆
 ――「メレディス、もしもし?」トラックの音、ときおり混じる雑音。「ママ、今どこなの?」「家を出るのが遅れちゃったのよ」「このカンカン照りでしょう。パパは日焼けしちゃって」……「親父さんってどんな感じの人?」「そうね。無口よ。男は黙って、みたいなタイプ」……「道路が通行止めになっててね。お巡りさんが誰か探してたみたい」「道は訊いたの?」「山奥の警察ってのは――」「山奥? そこどこなのよ?」

 これは怖い。ホラーですね。初めから噛み合わないのがせめてもの救い(というのも変な言い方ですが)、物語の初めから父親はちょっと変な人で、母親は噛み合わない会話を続けています。もしかしたら、電話の向こうでは普通の日常が広がっている可能性だってあるのです、会話のピントがずれているだけで。でも最後にはそんな可能性すら軽々と飛び越えてしまいました。
 

「顔」(Saving Face)★★★★★
 ――以下は逃亡ののち身柄を拘束された前首相の供述である。ジョス・ムアキンという男に初めて会ったのは保育園でした。ぼくが先ね、そう言って彼はズボンを下ろしました。そっちも見せなきゃずるいよ。どうして知ってるの? 長い指のあいだにある、半透明の膜。話は少し戻りますが、どこにでもあの顔が――肖像画が掲げられていました。先生は何をするにも首相の肖像画におうかがいを立てていました。わたしが水泳チームに抜擢(命令)されたのは、水かきのおかげでしょう。

 首相の肖像画が国中に掲げられた全体主義の広がる社会で、数奇な運命に転がされた、「元首相」の告白が語られます。すべてが首相に奉仕される社会で、「首相への忠誠」を「語り手に対する愛情」で表現する行い(トリックでもギミックでもなく)に、はっと胸を突かれます。ジョスの芸術家らしい特異な愛情が語り手の前に姿を見せるシーンは、ロマンティックでさえありました。
 

「奇跡」(Miracle)★★★☆☆
 ――出てきた赤ん坊は産声を上げない。腕は動いている。色は黒だ。本当に真っ黒だった。インクか石炭みたいに。夫のジョナスはおむつを変えない。ゲイブが腕をばたばたさせても笑わない。わが子を見る目は、実験用の標本みたいに無感動だ。起きて見にいくのはいつもジュリアだ。

 起こっていることは奇天烈であっても、これぞ本当の愛情――なんていう美談ではなく、結局のところはチェンジリングなのでした。予想もしない形での。
 

「セールス」(Sales)★★★☆☆
 ――セールスマンを入れてある裏の囲いに、兄さんがまた新たな一人を入れる。塀を越えることだってできるはずだ。でもそんな脱出方法はこけんにかかわると思っているのだろう。セールストークを繰り返す。わたしは新入りのセールスマンを見に行った。あのスーツケースには何が入っているのだろう。

 アメリカのセールスマンというと日本のとは少し違うというイメージがあったのですが、本質的には変わらないようです。にしても、文明崩壊を思わせる世界で、なおもセールスに押し寄せるとは……。
 

「象と少年」(Elephant and Boy)★★★☆☆
 ――象のいない象使いの少年ほど不幸せなものはない。心優しい異国の婦人は書いた。少年とシバの女王はどちらもみなしごだった。七年間、ずっと一緒だった。婦人は何週間も前から少年を見ていた。婦人の国に来て援助を受ければ少年は何だってできるのだ。

 上から目線の文明人と、下だなんて思っていない現地人の、思いのズレが交互に語られます。婦人が単なる善意の人であっても相手との落差が充分に面白いのですが、名文を綴る自分に酔っていたり、欲望を抑え切れなかったり、と、何かと面白い人なのです。
 

「水のなか」(Immersion)★★★☆☆
 ――都会に住んでいるいとこのマティが、暑さと伝染病と、あの年頃の女の子にとっては病気みたいな退屈を避けるために、夏休みをうちで過ごすことになった。わたしと妹のリリーは一発でマティが嫌いになる。何か面白いことある? プールがあるよ、とリリーが言う。たいして面白くないわよ、とわたしは言う。プールに連れて行きたくないからだ。

 ドアノブを口に入れることができるというリアルな子どもっぽくてバカな行いが印象に残りました。
 

「優しい切断」(The Kindest Cut)★★★☆☆
 ――ソルは医者としてすぐに名を上げた。その評判が内戦うずまくこの地に呼び寄せることになる。血の色はどこでも同じだ。さまざまな手術器具を持ってきたのに、渡されたのはノコギリだった。壊死した手足を切り落とすのだ。

「備え」(Preparedness)★★★★☆
 ――「かくなるうえは我々はあらゆる事態に備えておかなければならない」大統領は言った。かくして全国民を対象とした緊急避難システムのテストが行われた。翌日、予定通りに警報は発せられた。実際に何が起こったか。「やり直そう」と男が言った。「そうね」と別れた恋人が答えた。ある男はベランダの手すりに立ち、空を飛べるはずだと信じていた。何百万もの人が両親に電話をかけた。赤の他人の顔をぶん殴ってみたかった男がいた。

 独裁者の裸の王様ぶりは、繰り返されることで笑いは強まり、むしろ可哀相になってくるくらい。言う通りにしないくせに警報には従う国民たちの姿は、まるでどこかの国のようです。国からの警報を言い訳にしないとしたいことの出来ない窮屈な生き方しかできないなて、登場人物みんなが惨めでした。
 

「母たちの島」(Motherland)

 アンソロジー『変愛小説集』で既読。

  


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