『百万円煎餅 日本文学100年の名作5 1954-1963』池内紀他編(新潮文庫)★★★☆☆

『百万円煎餅 日本文学100年の名作5 1954-1963』池内紀他編(新潮文庫

突堤にて」梅崎春生(1954)★★★★★
 ――僕は毎日その防波堤に魚釣に通っていた。常連たちは薄情というわけではない。だが彼らの交際はいわば触手のようなもので、物がふれるとハッと引っこめてしまう。殴り合いを見たのは一度だけだ。当事者の一人は『日の丸オヤジ』だった。

 釣りというのは相手のいない競技だから極端なものなのかもしれませんが、趣味の世界というのは多かれ少なかれこうしたもので、趣味が共通という以外にはつかず離れずのドライな感じが非常に面白く描かれていると思います。居心地が悪いわけではない。「雰囲気」とか「空間」とかいうような、目に見えず直接的に描けないものを非常に上手く捉えて描いているという点で、名作だと思います。
 

「洲崎パラダイス」芝木好子(1954)★★☆☆☆
 ――宿屋の払いを済ませると、二人の懐中には百円の金も残らなかった。義治はひと月前までは倉庫会社で働いていたが、身綺麗な若者も今は垢じみている。二言目には「死ぬ」と言う。蔦枝はひと月前まで鳩の町にいた娼婦だった。二人は洲崎遊廓にある酒の店に入った。「あたしたちを住込ませてくれる店はないでしょうか」

 たくましい女と情けない男。月並みといえば月並みな人間関係でした。
 

「毛澤西」邱永漢(1957)★★★★☆
 ――大陸で共産党が勢力を拡大しはじめた頃から、香港への避難民が増加しはじめた。香港では新聞売り子でも政府の許可を必要とする。老人や孤児を保護するためで、彼らは鑑札を首からぶらさげている。警察の巡邏車がやって来ると、無鑑札で売っている男女をつかまえた。罰金十ドルを支払うことになる。なかに大男がいた。「被告の名前は?」「毛沢西」

 人を食ったユーモア、話のわかる裁判官、束縛を嫌う自由な主人公。気持ちのいい人たちです。その一方で、本当に困っている人たちへの視点が欠けている(弱者から仕事を奪わず、働けよ、と。)ため、一抹のもやもや感が残ります。
 

「マクナマス氏行状記」吉田健一(1957)★★★★☆
 ――戦前に不良外人という言葉があった。不良外人の観念からすれば、どうもマクナマス氏もその仲間に入るようである。日本語は話せなかったが英語教室を開いた。外国語以外の言葉を交ぜるのは有害だという建前を取ったらしい。他に例えば寄附金の募集をやった。何某という団体の名称を考えて、塾でこの団体に寄附しようじゃありませんか、とやる。

 まあどう言ってみたところで詐欺師ですよね。しかし悪意のない詐欺というのは憎めません。実際実業家になっちゃうくらいだから才覚はあるわけで。いい加減さとクレバーさの同居する人間がのびのび生き生きと過ごせた時代だったのだ、と思うと、ちょっとだけうらやましいような気もします。
 

「寝台の舟」吉行淳之介(1958)★★★☆☆
 ――「おっぱいがないのがくやしい」と、昨夜、ミサコと名告る男が言った。私は酒を飲み、和服の女に呼びとめられ、部屋に連れて行かれた。しばらくの間、私はその躯が男性のものであることに気づかなかった。男色の趣味はなかったが、好奇心はあった。しかし私は不能の状態に陥って、役立たなかった。

 相手が女であっても男であっても娼婦であっても処女であっても変わらない。それが吉行淳之介の小説で、男も女もせこせこしてなく余裕があります。
 

「おーい でてこーい」星新一(1958)★★★★★
 ――村はずれの社が台風で流された。「おい、この穴は、なんだい」社のあった場所に、直径一メートルくらいの穴があった。なかは暗くてなにも見えない。「おーい、でてこーい」穴にむかって叫んでみたが、何の反響もない。石を投げてみたがやはり反響はない。利権屋が穴埋め会社を設立し、原子炉のカスが捨てられた。

 落語のような軽妙な発想と語り口ながら、実はホラーとしても一級品で、そのうえ諷刺も利いているという、とんでもない作品です。
 

「江口の里」有吉佐和子(1958)★★★★☆
 ――グノー神父の見るところ、日本のカトリック信徒は異様なほど熱烈な信仰を持っていた。「お説教が短すぎるようでございます」というのだから呆れかえる。ミサが終わって司祭館へ戻る途次のこと、和服姿の見慣れぬ婦人がいた。信徒たち平面的な顔の日本婦人には見られぬ美しさがあった。母親の三十五日の帰途、聖歌に惹かれて教会の門をくぐったという。

 カトリック信徒たちの行きすぎた信仰には、悪い意味でのお行儀の良さが詰まっており、そうした日本人的な堅苦しさが外国人神父の目を通して面白おかしく語られるので、ニヤニヤクスクス笑いが止まりません。唐突にも思える結末は、日舞「時雨西行」を下敷きにしており、タイトルも同様です。
 

「その木戸を通って」山本周五郎(1959)★★★★★
 

「百万円煎餅」三島由紀夫(1960)★★★☆☆
 ――おばさんとの約束は九時だった。清子と建造は玩具売場を見てまわっていた。「男の児でも女の児でもいいから、早くほしいなあ」「あと一二年の辛抱だと思うわ」夫婦はかねがね貯金の通帳をいくつかに分けて計画ごとのお金を貯めていた。建造が目の前にある空飛ぶ円盤の玩具をはじくと、円盤は勢いよく売場に飛び出し、百万円煎餅の上に落ちた。

 堅実な夫婦による堅実とは言えない生業。計画的に貯金しているくせに発作的ともいえる散財。そうした現実にどこかしらストレスを感じているらしき夫は、けれど偽物の百万円すら破ることはできず、現実からは逃れられないのでしょうか。
 

「贅沢貧乏」森茉莉(1960)★★★☆☆
 ――牟礼魔利《むれマリア》は上に「赤」の字がつく程度に貧乏なのだが、それでいて貧乏臭さを嫌っている。そこで魔利は貧寒なアパルトマンの六畳の部屋から、貧乏臭さを根こそぎ追放し、豪華な雰囲気を入れることに熱中している。第一に目立っているのは、セミダブルの寝台《ベッド》である。寝台の枕元にある燈台《スタンド》は、銅だか鉄だかでできている。

 矜恃、という言葉がもっとも似合う小説でしょう。著者は鴎外(欧外)のことをペダンティックだと書いていますが、それは著者自身にも当てはまることで、ペダントリーなくしてはただのやせ我慢エッセイになりかねません。
 

「補陀楽渡海記」井上靖(1961)★★★★☆
 ――熊野の補陀楽寺の住職金光坊が、先輩である上人たちのように、補陀楽渡海しなければならない年が訪れた。三代続いて六十一歳の年の十一月に船出していた。併し、住職がすべて同じ年に渡海すべしという掟はないのである。金光坊とていつかはそうした高い信仰の境地へ到達したいと考えていた。だがまだその心境になっていないと説明しようとしても、世間がそれを聞こうとしなかった。

 たちが悪いですよね。「上人」の尊称を与えなかったということは、最後まで自分たちのせいであることを認めず相手のせいにし通した、ということで。本当に恐ろしいのは、勝手に輿論を作って常識や伝統を押しつけることではなく、非を認めないことにほかなりません。そしてそのどちらもメディアが発達し且つ人間関係が希薄になった現代により顕著になっているはずです。
 

「幼児狩り」河野多恵子(1961)★★★★☆
 ――林晶子は三歳から十歳くらいの女の子ほどきらいなものはなかった。そしていつのころからか、同じその時期の男の子が格別好きになっていた。これまで小さい男の子の身につける品物にひきつけられ、買ってしまったことがある。今度も買ってしまったシャツ・ブラウスを、歌劇団の後輩の子どもに贈ることにした。

 読み始めは、ちょっと歪んでしまったどこにでもいる三十代の独身女性、という感じです。ところが、女の子ぎらいというのがかつての同族嫌悪や持たざるものの嫉妬のようなものかと思ったら、翻ってショタでもあり、なるほどそれが「幼児狩り」か、と思うのも束の間、被虐趣味も明らかになるうえに、かつて歌劇団でコーラス・ガールとはいえ評価が高く、イタリア語もできる――という、めちゃくちゃ密度の高い人でした。
 

「水」佐多稲子(1962)★★★☆☆
 ――幾代はさっきから上野駅ホームで泣いていた。二十歳にもならぬ幾代の働いている旅館に、母親の危篤を知らせる電報が届いた。「お前さんも脚さえ悪くなきゃね」旅館に働きに出たとき、主人は幾代の身体を哀れむように見まわした。幾代は給料を貯めて一度は母親を湯治に出したいと思っていた。

 時代に逆行するかのような「おしん」のような世界が広がっています。こういう世界の方が、人と人とのつながりは強いように感じられてしまうものです。
 

「待っている女」山川方夫(1962)★★★★☆
 ――寒い朝、彼とちょっとした喧嘩をした妻は、部屋から出て行ってしまった。どうせ実家にでも行き、半日でも悪口をならべてくるに決まってる。十一時になっても妻は帰ってこない。彼は煙草屋へと歩いた。四辻のちょうど対角に、若い女が立っているのが見えた。「二時間も前からよ」煙草屋のおばちゃんが笑った。男でも待っているのだろう。

 作品そのものよりもまず、「煙草屋」というのがコミュニケーション・人づきあいの一画を担っていたのだという事実に、時代を感じました。そして現代ならスマホがあるからここまで異様には見えないであろう反面、スマホがあるからこそ何時間でも一人で立っていられるような気もします。そもそも一人きりになれる場所がないというのも息苦しい話です。
 

「山本孫三郎」長谷川伸(1963)★★★★★
 ――山本孫三郎は三十一歳で敵持ちの身の上となった。兄の治太夫に代わって、借用の銀七百匁を金貸しに返し、銀一貫五百匁を借りる約束をしに行ったのである。ところが金貸しの忠太夫は理屈をつけて金を貸さない。挙句に兄や孫三郎を馬鹿にする始末であった。「騙し借りとは。おのれ」孫三郎は抜刀し、斬って倒した。目撃者のいうところは悉く忠太夫に不利であり、孫三郎は無罪となった。

 正義なんてない。死んだ方が悪く言われるんですね。そこにあるのはたぶん、「殺されるのは悪い奴だったからだ」という理屈なのでしょう。こういう無責任な日和見正義が、ワイドショーやSNSといった形を取って現代にまで続いているのだと思うと、薄ら寒くなります。
 

「霊柩車」瀬戸内寂聴(1963)★★★☆☆
 ――私は道で霊柩車に行きあうと、反射的に拇指をかくしている。とうの昔、両親を失っているというのに。しかも二親どちらの死に目にも逢っていないのだから不都合である。父からは「あんな恥っかきは、この敷居はまたがせはせん」と言われていたが、結核になった父を私は時折ひそかに見舞いに帰っていた。

 瀬戸内晴海という語り手が登場するからにはどうやら自伝的小説であるようにも思えるのですが、冒頭からの迷信づくしといった構成などを読むと、実話かどうかかなどはどうでもよくなってしまいます。祖父を守るようにして死んでいた母と、守られていた証券類に対する父の反応なんて、出来すぎです。その場面に出てくる三竦《さんすくみ》というのもそういえば迷信ですね。

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