『街角の書店 18の奇妙な物語』中村融編(創元推理文庫)★★★★☆

「肥満翼賛クラブ」ジョン・アンソニー・ウェスト/宮脇孝雄(Glady's Gregory,John Anthony West,1963)★★★☆☆
 ――グラディスのグレゴリーは結婚して丸三年になるのに、体重はほとんど変わっていませんでした。グラディスを責めないでください。フットボールのコーチをしていたグレゴリーは、なんと、選手たちと一緒に体を動かしていたのです。

 オチは読んで確かめるまでもないのですが、結婚そのものを暗示したブラックユーモアのようでもあり、悪びれたところのない正しさに満ちあふれた語り口に、いかにもこういうたぐいのクラブっぽさが現れていたと感じました。
 

ディケンズを愛した男」イーヴリン・ウォー中村融(The Man Who Liked Dickens,Evelyn Waugh,1933)★★★★☆
 ――マクマスター氏は六十年近くアマゾナスに住んでいた。ある日、アンダースン探検隊の生き残りであるヘンティーが倒れているのを発見した。字の読めないマクマスター氏は、快復したヘンティーに、ディケンズの朗読を頼んだ。

 これも結末は明らかなのですが、そこにいたるまでに駆使するマクマスター氏の意地の悪さの数々が際立っており、さすがイヴリン・ウォーというべきです。ディケンズがそこまで面白いというべきなのか、マクマスター氏がそこまで意地が悪いというべきなのか。
 

「お告げ」シャーリイ・ジャクスン/深町眞理子(The Omen,Shirley Jackson,1958)★★★★☆
 ――昨日はウィリアムズおばあちゃんにとって記念すべき日だった。死んだ連れ合いが貸していた十三ドルが返ってきたのだ。おばあちゃんは娘夫婦や孫たちにプレゼントを買うことにした。「カーネーション。ザ・サイン。青い猫。電話。指輪」おばあちゃんはみんなのほしいものを書いたメモを、バスに落としてしまい、拾ったのは母親から結婚を反対されているイーディスという娘だった。

 こちらも意地の悪さでは定評のあるシャーリイ・ジャクスンの、しかしながらあまり知られていないハートウォーミングな作品でした。とはいえ、赤い帽子の女の懸賞に血眼になる赤ら顔の女に、『くじ』で知っているジャクスンを垣間見ました。それだけにキティーのような人柄にひとしおの温かさを感じます。
 

「アルフレッドの方舟」ジャック・ヴァンス中村融(Alfred's Ark,Jack Vance,1965)★★★☆☆
 ――「聖書を読んだことはあるかい? ベン、また洪水が起こるんだ。あと一年足らずしかない。方舟を作りたいんだ」「おれは水爆のほうが心配だ」「あとしばらくで水爆もなくなるんだ」「天気予報は?」「雨だ」

 『ミステリーゾーン』に似たようなのがありましたね。かいま見えた人間性と、すべてを笑い飛ばすような、空。ニヤニヤ笑いがシリアスに変わり、変わったところでドカンと喰らわされます。その「ドカン」の部分が感動であれ笑いであれ拍子抜けであれ、落差を生み出せるのはさすがです。
 

「おもちゃ」ハーヴィー・ジェイコブズ/中村融(The Toy,Harvey Jacobs,1969)★★★★☆
 ――ハリー・ハーパーの目をとらえたのは、自分自身のおもちゃだった。二十年前の姿で骨董品店のウィンドーに飾られていたのだ。ハリーはそのトラックのおもちゃを買うことにした。包装を待っているあいだ、店内を見ていると、別のものが目にとまった。「なんてこった」

 思い出にかかわるものですから、すべて個人的なものに感じてしまうのは痛いほどわかります。似たような偶然がもし本当に起こったとしたら、冷静でいられるかどうか、自信がありません。
 

「赤い心臓と青い薔薇」ミルドレッド・クリンガーマン/山田順子(A Red Heart and Blue Roses,Mildred Clingerman,1961)★★★★☆
 ――わたしは目覚めている。もし眠っているなら、どうしていま何時かわかるというのだ? 病院の隣のベッドに寝ている女が、クリスマスに帰ってきた陸軍にいる息子の話をしていた。息子が連れてきたデイモンという若者が、「マム」と呼んで馴れ馴れしく接するのだという。

 隣のベッドの女の不安が作中作のような妄想の形を取ったのだ、と一応の説明はされています。しかしでは語り手はどんな理由で入院しているのか、いやそもそも語り手の言っていることは正しいのか――となるとわからなくなります。
 

「姉の夫」ロナルド・ダンカン/山田順子(Consanguinity,Ronald Duncan,1954)★★★★☆
 ――アレックス・マクリーン大尉は個人的な休暇を過ごすつもりだった。姉は邪魔をしないだろう。汽車に同席していたバックル少佐の行き先も同じ町だと知り、大尉は少佐を家に誘った。姉のアンジェラは美しかった。近親相姦的だという自覚はない。ほかのどんな男よりも、アレックスが好きなだけだ。

 招いてはいけないものを招いてしまったせいで、開いてはいけない扉を開いてしまったような気がします。大胆になり、女の悦びを知ってしまった姉は、このあと何もせずにいられるのでしょうか。
 

「遭遇」ケイト・ウィルヘルム/山田順子(The Encounter,Kate Wilhelm,1970)★★★★☆
 ――長距離バスは吹雪のなか二時間遅れで発着所に到着した。次のバスは朝まで来ない。ほかの乗客たちは食堂に行ったが、寒いなか歩きたくないクレインと地味な女は待合室でバスを待つことにした。女には見覚えのある気がするが、思い出せない。

 吹雪のなか二人きり閉じ込められ、暖房が消えかけ、雪が室内まで入り込んで来そうな、息苦しさに魅かれます。そこにクレインの過去が挟み込まれるのですが、それを読むかぎりでは結構なクズのようです。一種のドリアン・グレイのようにも思えますが、実際に何が起こったのかはよくわかりません。
 

「ナックルズ」カート・クラーク/中村融(Nackles,Curt Clark,1964)★★★☆☆
 ――妹と結婚したフランクは卑劣な奴だった。癇癪持ちは治らなかったが、そのうち子どもたちが生まれた。フランクは子どもたちを「おとなしく」させるための武器としてサンタクロースを使い始めた。いい子にしていればサンタがやってくる。悪い子にしているとナックルズが子どもを袋に詰めて食べてしまう。

 ドナルド・E・ウェストレイクの別名義。空想の具現化――というのはよくある話。いいサンタと悪いサンタも実際に親が使っていそう。それをもっともらしく見せるため、冒頭に善悪二元論や「神は人間が創りあげた」という(屁)理屈が撒かれていました。このあたりの凝りようが素晴らしく、初めはいったい何が始まるのかと思ってしまいました(^^;。
 

「試金石」テリー・カー/中村融(Touchstone,Terry Carr,1964)★★★☆☆
 ――ランドルフはその書店にはいった。「ほかのものも売っているんだ」「ほかにどんな?」「魔法のお守りだ。本物も、そうでないものも」「これは?」「試金石だ」すべすべとした石の表面をなでていると、不思議と落ち着いた。家に帰るとマーゴが起きるところだった。ボビーが蛙の死骸を自慢げに見せた。

 煙たい隣人や、妻との冷えかけた関係が変わりかけているのは、試金石のおかげなのでしょうか。試金石だなんて、子どもが大事にしている蛙の死骸と何の変わりがあるというのか――と思っていると、頭からガツンとやられました。
 

「お隣の男の子」チャド・オリヴァー/中村融(The Boy Next Door,Chad Oliver,1951)★★★★☆
 ――「みなさん、ラジオ〈お隣の男の子〉の時間です。今夜のお友だちははるばるテラス・ハイツからお越しのジミー・ウォールズ君です。さあ、ジミー、今週は何をしていたんだい?」ハリー・ロイヤルがたずねた。「人殺し」とジミーが宣言した。「アンクル・ジョージが手伝ってくれるんだ」

 期待通りの結末に向かって、じわじわと網が狭められてゆき、読者としても最後に恐怖が待ち受けているのを期待しているわけです。マスクを取ったら口裂け女、振り返ったらのっぺらぼう。その「○○ったら」のタメがあるからこそ怖いのですが、そのタメから直で結末になだれ込んでゆくスタイルが新鮮でした。
 

「古屋敷」フレドリック・ブラウン中村融(The House,Fredric Brown,1960)★★★☆☆
 ――彼はドアを開け、なかへはいった。ドアの向こうには赤い部屋がある。床には偃月刀がころがり、柄には赤いしみが点々とついている。ある閉じたドアの裏ではだれかがハワイアン・ギターを奏でていた。やがて羽目板に彼の名前が記されたドアに行き当たった。彼はなかへはいり、ドアを閉めた。ラッチ錠がカチリと鳴る。

 単純な恐怖、単純な願い。単純さこそがもっとも効果的だと思わされる一篇です。
 

「M街七番地の出来事」ジョン・スタインベック深町眞理子(The Affair at 7 Rue de M--,John Steinbech,1955)★★★☆☆
 ――わたしがエッセイを書いているとき、息子が風船ガムを破裂させる音が聞こえた。「ルールは知っているだろう」「ぼくがやったんじゃないよ!」わたしは息子の口からガムをひっぱりだした。それは波打つように動き、息子の口に這いもどろうとした。

 身近なものに宿る、恐怖……? B級映画になりそうな、怖いんだか怖くないんだかわからない設定です。
 

「ボルジアの手」ロジャー・ゼラズニイ中村融(The Borgia Hand,Roger Zelazny,1963)★★★☆☆
 ――行商人が町を通ったのは、鍛冶屋が亡くなった日だった。少年は貯金を手に駆けつけた。「こんばんは、お祖父さん。鍛冶屋のどこを買ったんですか?」

 ひとつのパターンとして定着している、ある歴史上の人物ものです。
 

「アダムズ氏の邪悪の園」フリッツ・ライバー中村融(Mr. Adams' Garden of Evil,Fritz Leiber,1963)★★★☆☆
 ――エリカ・スライカーは植物状態にされた妹のアリスのため、タグ・アダムズに復讐を誓った。タグは椅子からエリカの毛髪をつまみあげ、黒光りする種に巻きつけ植木鉢に埋めた。

 植物怪談ふうのアダム(ズ)氏の楽園譚。わざわざ科学者のおばさんだなんて存在を出しておいて、結局やってることは魔術というのが笑えます。
 

「大瀑布」ハリー・ハリスン/浅倉久志(By the Fall,Harry Harrison,1970)★★★☆☆
 ――カーターは大瀑布の崖裾にある家を取材に訪れた。「わしはここに住んでから四十三年になる」なにか黒いものが落下する水の中にちらりと見えた。「あれを見ましたか?」「大瀑布の上から落ちてきたものなら、見せてやれるぞ」

 大瀑布の迫力だけで充分なのに、SFオチが却って安っぽくなっていました。
 

「旅の途中で」ブリット・シュヴァイツァー中村融(En Passant,Britt Schweitzer,1960)★★★☆☆
 ――ドサッという音とともに、わたしは地面にぶつかった。意識が回復すると、頭がズキズキと痛むのに気づいた。目をこらして周囲を見ると、動かない男の姿が目にはいってきた。さらに目をこらして、わたしは気づいた。それに頭がないことに。わたしは自分の体を見ていたのだ!

 こういうお茶目な作品が混じっているとほっこりします。お茶目ではあるけれど、首までたどり着くための苦労が事細かに書かれていて妙に真面目です。
 

「街角の書店」ネルスン・ボンド/中村融(The Bookshop,Nelson Bond,1941)★★★★☆
 ――マーストンは書きあげた三章を読みなおす。いいできだ。これまでのところは。だが――この熱気! マーストンは外へ出た。書店のドアをあけて、なかへはいった。そのとき、一冊の本が目にとまった。題名は『アガメムノン』……著者はシェイクスピア

 書かれなかった、この世には存在しない(できない)傑作が並ぶ書店。書き手のみならず、読者にとっても夢のような場所です。

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