こうした作品に〈仕掛け〉という言葉を使うのは適切ではないとは思うのですが、著者が著者だけに〈仕掛け〉と呼びたくなる造りがほどこされています。けれどその〈仕掛け〉は、「いるんだよ。」「いるんだよ。」、「ひつようなんだ。」「ひつようなんだ。」といったリフレインもあって、少なくともミステリ好きの大人には見当がつくものです。
くうきにんげんがいる。――ただそれだけを表現を変えて繰り返し唱え続ける語りは、その〈仕掛け〉に向かって徐々に恐怖を高めてゆくには最適の手法だと思います。けれど本来であれば最後に衝撃を与えるはずの〈仕掛け〉の見当があらかじめついてしまっていては、繰り返しはサスペンスではなくむしろ単調なだけという欠点もはらんでいました。
内容とは無関係に、首から上が動物の人間たちの姿が、ボッシュの描く怪物たちのようで不気味です。
くうきにんげんを しってるかい? だれも きづいていないけれど このよには くうきにんげんが いるのさ。このほんを よんでいる いまも きみの そばに いるかもしれない。
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