『Les Œvres completes de Marcel Schwob』
まずは『二重の心』を読む。
『二重の心』(Cœur double,1891)
「I 二重の心」(I. Cœur double)
「吸血鬼」大濱甫訳(Les Striges)
――限りある人の生のむなしさを、吸血鬼(による死)に託して語った、とある晩餐の物語。
「木靴」大濱甫訳(Le Sabot)★★★★☆
――悪魔にそそのかされた少女が、惨めな一生を送るが、それは実は悪魔の見せた夢であり、少女が地獄に堕ちてでも悪魔についてゆく方を選ぼうとするとき、一つの奇跡が……。無垢に対比させられるのは、邪や悪などではなく、大衆生活であるのかもしれません。
「三人の税関吏」大野多加志訳(Les Trois Gabelous)
――三人の税関吏が、財宝を求めて船を追いかけ、哀れ海の藻屑と消える……。
「〇八一号列車」多田智満子訳(Le Train 081)★★★☆☆
――一八六五年の五月ごろ、マルセイユはコレラの恐怖に怯えていた。蠅のように人が死んでいったそうである。九月、今のところパリは無事である。一八〇号列車を運転していると、赤っぽい霧に包まれた列車がわたしらと並んで走っていた。
澁澤のアンソロジーにも選ばれている有名作。コレラの恐怖を怪異に重ねて描くことで、現代人にも怖がりやすい作品になっています。
「要塞」大濱甫訳(Le Fort)★★★★☆
――要塞は孤立していた。救援を訴える手段もなくなってしまった。そのとき二人の兵士が至急便に立候補した。「なあ、死ぬのが恐いわけじゃない。だが故郷のあばらやは寂しいだろうな」「停まれ」いくつもの人の群れが行進している。「敵襲だ。急いで引き返して知らせよう」。戦争の一場面を切り取ったもの。ドラマなんてない。なのにすべてがドラマチックです。
「顔無し」大濱甫訳(Les Sans-Gueule)★★★★☆
――飛んできた銅鉄の破片に顔を削がれ、赤い人間のパイのようになった二人は、野戦病院で「顔無し一号」「二号」という名をつけられた。手脚を動かすことと喉から嗄れ声を出すことしかできない。あるとき女が訪ねてきて、夫ではないかと訴えた。
顔も声も剥ぎ取られた人間に対する周りの反応よりもむしろ、そうした周りの愛情を感じ取って二人の性格に差が出始めるくだりに、妙なリアリティを感じました。
「アラクネ」大濱甫訳(Arachné)
――ぼくは気狂いではないし、心臓が止まり血が色褪せても、死んだわけじゃない。星たちの彼方で蜘蛛に化身したアラクネの糸にぶらさがって揺れているだろう。刺繍女工のアリアーヌの頸を絹糸で締めたのだって、死んだわけじゃない。
「二重の男」大野多加志訳(L'Homme double)★★★★☆
――その男は殺人を否定した。「犯行当時は部屋で寝ていました」だが証人はみな男を認めた。判事は決然と事件の核心に踏み込んだ。男の目の前に凶器の包丁をおいた。効果は驚くべきものであった。
不思議なタイトルですが、何のことはない二重人格のことです。19世紀の作品であるだけに素朴と言えば素朴ですが、淡々と判事の審理が進んでいくだけに、ラストシーンには得も言われぬ迫力がありました。
「顔を覆った男」大濱甫訳(L'Homme voilé)
――車室には先客が二人いた。豹の皮みたいな毛布をかぶった眠った男と、感じのいい顔をした男だった。後者の男が眠りにつくと、眠っていた男が音もなく起き上がった。だがなぜかその顔は見えなかった。
これも二重人格ものと言っていいでしょう。顔の見えない男による殺人。言うまでもなく、殺人者は語り手自身にほかなりません。
「ベアトリス」大濱甫訳(Béatrice)
――プラトンの詩に触発されて、愛する者のうちに魂が乗り移ることこそ至高の愛だと信じた男女の末路。
「リリス」多田智満子訳(Lilith)★★★★☆
――詩人は現し世で女を愛しうるかぎり、じつに心のかぎり彼女を愛した。最後に愛し結婚したこの北国の女に、アダムの妻である最初の女にちなんでリリスという名を与えた。リリスが死んだとき、たちどころに一編の詩を作りあげ、ペンを折った。
「他のものたちを誘惑するようにと蛇を誘惑した」というのがマイナスポイントではない点が面白いです。穢れない女性を求めるのではなく、飽くまで詩人なりの美意識にかなうかどうかなのでしょう。しかし結局、彼が住んでいるのは天上ではなく地上なのでした。
「阿片の扉」多田智満子訳(Les Portes de l'opium)★★★★★
――わたしは自分自身からのがれ出て別人になりたいという欲望を感じていた。そういう次第であの扉に好奇心を抱いてしまったのである。よく考えもせず、有毒の煙管から二、三服吸い込んだ。やがて引戸から見たこともない姿の若い女が入ってきた。――おまえはわたしのものだ。何もかもおまえにやってしまおう……。
阿片の魔力を、幻想的に描きつつ、身も蓋もなく即物的でもあるという、短篇らしくきりりと引き締まった作品でした。
「交霊術」大濱甫訳(Spiritisme)★★★★☆
――交霊術協会は奇妙なところだった。ぼくは「難問」を考え、ジェルソンがここにいるかとたずねた。お暇かどうかわかりません、と霊媒が言った。その方が亡くなられたのは確かですか。もう何年も前からイノサン墓地に眠っているはずです、とぼくは答えた。
現実と非現実との関わりにおいて、非現実寄りの作品が多いなか、現実に殴り込みをかけられたような「阿片の扉」とは逆に、最後になって非現実に投げ飛ばされる作品でした。スラップスティックと言っていいと思います。
「骸骨」大濱甫訳(Un Squelette)
――僕は幽霊屋敷に泊まったことがある。寝ようとしたところ、煖炉のそばにトム・ボビンズがいた。一年以上も会っていなかったが、ひどく痩せているように見える。いや、それどころか、やつの帽子はむき出しの骸骨の上にのっていた。
「歯について」大濱甫訳(Sur les dents)★★★★☆
――家に帰ろうとしたとき、男がぼくの口をじろじろ見つめた。「ムッシュー、あなたの門歯は骨疽に冒されている可能性がありますよ」。ぼくは自分の歯のことが心配になり、その男の診療所を訪れると、あわれな歯に孔をあけられてしまった。
これもスラップスティック。「竹馬のような脚をして、煙突のように長い『シルクハット』を被」っている男の様子や、聞き間違い言い間違いからして、すっとぼけた味わいがありますが、わけても最後に明かされる、鬘師が禿げていたり床屋が髭だらけでいたりする理由には笑いを禁じ得ませんでした
「太った男 寓話」大野多加志訳(L'Homme gras)
――その太った男は頑丈でずんぐりと太ったものに囲まれていました。そこに痩せた男が入ってきて、「あなたは糖尿病の危険がある」と言いました。
「卵物語」多田智満子訳(Le Conte des ?ufs)
――王様が復活祭の日曜日に何を食べるべきか相談なさいました。「卵を召し上がる他ございません」。王様は四旬節の四十日間卵しか食べていません。「なにかほかのものがほしいな」「卵の調理法はもはやございませんが、卵を孵させるという手がございます」
「師《ドン》」大濱甫訳(Le Dom)
――「最も低い階層に属する者でも人生に満足し善行を施すことができるとお考えですか」道化からたずねられた王は、王位とすべての特権を廃止し、頭を剃り、王城を出発した。
「II 貧者伝説」(II. La Légende des gueux)
「磨石器時代―琥珀売りの女」大野多加志訳(L'Âge de la pierre polie : La Vendeuse d'ambre)★★★★☆
――その女は湖上に住む人間たちとは違った。手足はすらりとし、物腰は優雅で、見たこともないような美しい琥珀や首飾りや腕輪を売っていた。老爺の目は釘付けになり、息子たちと何やら相談していた。
「貧者伝説」という邦題は垢抜けませんが(ここでの「gueux」は「ならず者、ろくでなし」の意だと思いますし)、要はスラム辺りを舞台にしたクライム・ノヴェル――石器時代バージョンといったところ。石器時代の生活を、見てきたように嘘を書くのが小説家の才能というものでしょう。
「ローマ時代―サビナの収穫《とりいれ》」大濱甫訳(L'Époque romaine : La Moisson sabine)
――婚約者を戦争にとられた娘が、収穫の日、軍隊の通る街道のほとりに行って、長いこと待っていた。
「十四世紀 野武士たち―メリゴ・マルシェス」大濱甫訳(Quatorzieme siècle. ? Les routiers : Mérigo Marchès)
――掠奪を繰り返して処刑された傭兵隊の隊長メルゴ・マルシェス。元傭兵隊のロバンらはメリゴの隠した財宝を探しに行く。
「十五世紀 ジプシー―「赤文書」」大野多加志訳(Quinzième siècle. ? Les Bohémiens : Le « Papier-Rouge »)★★★★★
――十五世紀の写本を繙いているうち、〈赤文書〉にたどり着いた。カイロの王女と呼ばれる女が捕えられ、シャトレ裁判所で拷問にかけられた。彼女は書記をにらみつけ、書記が詐術により記す仲間たちの罪は、そのまま書記の罪となるだろうと言った。
型通りと言えば型通りとはいえ、こういう間然するところのない話は大好きです。
「十六世紀 涜神者―放火魔」大野多加志訳(Seizième siècle. ? Les sacrilèges : Les Boute-feux)★★★★★
――トロワの町が全焼したという報せが届いた。人相も悪く決して清廉潔白とも言えなかった三人の男たちは、放火魔の恐怖に怯えた群衆になぶり殺しにあわされるのを怖れて、城壁外をうろついていた。西のはずれに着くと教会に押し入り「ひもじい」からと言って「聖体」をほおばった。
「十八世紀 カルトゥーシュ一味―最後の夜」大濱甫訳(Dix-huitième siècle. ? La bande à Cartouche : La Dernière Nuit)★★★★☆
――ジャン・ノテリーは若い頃カルトゥーシュ一味に加わって人殺しや盗みをしていた。「恐ろしい人だったよ。裏切者は許さなかった。だが密偵を殺ってからは何ごともうまくいかなんだ。いよいよとなったとき、おれは情婦をかくまうよう頼まれた。カルトゥーシュは情婦の肩に短刀で印をつけた」
DとC――それがカルトゥーシュの頭文字である保証はない、むしろイニシャルから思いついた騙りである可能性のほうがありそうなことなのですが、だからこそ、そこに収斂する物語が完璧なものなのだと思います。
「革命時代 盗賊―人形娘《プーペ》ファンション」大濱甫訳(La Révolution. ? Les chauffeurs : Fanchon-la-Poupée)
――繕い女のファンションはとても美しい娘だった。♪フランス国民兵に好きなひとがひとり……。ええ、ほんと。わたし国民兵のラ・チューリップに夢中なの。でも情人だなんて思わないで。
「ポデール」大濱甫訳(Podêr)
――ポデールのことを、仲間はジャン・マリー新兵と呼んでいた。フートロとかいうひどいゲームをしながら、わたしに昔のことをよく話してくれた。あるとき「百スーくれよ、あの娘と抜け出すんだ」と言って、わたしから金を巻き上げて駆けていった。
「アルス島の婚礼」大野多加志訳(Les Noces d'Arz)
――その娘はアルス島の婚礼に行きたがった。島にいるのは娘だけ。結婚していない娘に熟していないナナカマドの実を七つ食べさせれば、娘は青年に姿を変える、というのだ。
「病院」大濱甫訳(L'Hôpital)
――患者である兵隊たちはアンジェール修道尼の歌声に耳をすませ、布団をかけてもらいたくてわざと布団をはいだ。あるときひとりの老予備兵が運び込まれた。老いたいまわしい心のなかにも、かつて愛した娘の面影は残っていた。
「心臓破り」大野多加志訳(Crève-cœur)
――そいつは男にとっては「恐怖」、女にとっては「心臓破り」だった。彼はどこまでも女について回り、一人になれば脅迫した。こうして二人は屋台にたどり着き、レスラーの小屋の前で立ち止まった。彼は即座にリングに飛び出し、挑戦を申し込んだ。
「面」大野多加志訳(Le Loup)★★★★☆
――若い男と四十がらみの女が犬から逃げながら石切場にたどり着いた。前科者の男たちは女を見て囃し立てた。針金の面をかぶった痩せた石切工に挑発され、若者はつるはしを持って決闘を始めた。女はそれを止めようとした。「やめてくれ。あたいはあいつを知っているんだ」
「サン・ピエールの華」大濱甫訳(Fleur de Cinq-pierres)
――ルイゼットは小さくて痩せていたが、口は赤く目は黒く胸は突き出、掌は街の華らしく病気でばら色だった。すっとそらされる若者たちの視線が好きだった。その一人が彼女の心を緊めつけた。「おれは『殺し屋』だ」。彼女は腹を抱えて笑った。「大嘘つき、大泥棒、大人殺しってわけね」
「スナップ写真」大濱甫訳(Instantanées)
「未来のテロ」大濱甫訳(La Terreur future)