『聖ペテロの雪』レオ・ペルッツ/垂野創一郎訳(国書刊行会)★★★★★

『St. Petri-Schnee』Leo Perutz,1933年。

 アムベルクは目覚めると病室のベッドの上だった。あの人は死ななかった。わたしが銃弾の前に立ちはだかったからだ。なのに医師や看護婦は、わたしは車にはねられて五週間前から入院していると嘘をつく……。父の知己フォン・マルヒン男爵を頼って小村の村医として働くことになったアムベルクは、ロシア亡命貴族のプラクサティン侯爵に連れられて、林務官の家で少女エルジーを診察した。そこにはフェデリコという少年が男爵に隠れてエルジーに会いに来ていたが、そのフェデリコは男爵の養子であり、林務官に預けているエルジーこそ実子であった。やがてアムベルクは、かねてよりひそかに焦がれていた、バクテリア研究所時代の同僚ビビッシェと再会する。現在ビビッシェは男爵の研究の助手を務めていた。男爵が何の研究をしているのかわからないまま、アムベルクは人体実験に協力させられそうになる。やがて明らかになる男爵の二つの計画――正当な王朝の復興と、信仰の復活。自分の記憶は妄想なのか、それとも周りが嘘をついているのか――。

 断絶したはずの諸王朝の末裔と交わり、帝位継承者を擁する科学者が夢見る、帝国の復興。すべてが化学反応だと断じる科学者が唱える、薬物による信仰の復活――かりにすべてが事実だったとしても、事実のほうこそ荒唐無稽で、およそ信じられない奇想に満ちています。しかも男爵の実験は皮肉な、いえ、それが時代の流れだとすれば、なるべくしてなった結果を迎えます。復古を目指した男爵のしたことは、革新の波がまだ押し寄せていない辺境に、一時的なものとはいえわざわざ革新の芽を吹かせることでしかありませんでした。

 事実であれ妄想であれ、辺境の小村で起こったことは、縮図であるにほかなりません。

 いずれにしてもアムベルクはすべてを思い出にして立ち去ります。その「思い出」が本当の記憶であろうと偽の記憶であろうと、思い出になった時点で客観的な事実とは無縁でいられるのでしょう。

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