『マルセル・シュオッブ全集』「黄金仮面の王」マルセル・シュオッブ(国書刊行会)

 第一短篇集『二重の心』に続いて第二短篇集『黄金仮面の王』を読む。

『黄金仮面の王』(Le Roi au masque d'or)

「黄金仮面の王」多田智満子訳(Le Roi au masque d'or)★★★★☆
 ――この都は仮面をつけた歴代の王が支配するようになって久しい。僧侶たちですらそのいわれを知らぬ。黄金の仮面をつけた王の前に、盲いた乞食が連れられてきた。乞食は道化の仮面の下に悲しみを、神官の仮面の下に嘲笑を感じた。それを聞いた王は仮面をはずして自分の顔を見てみたくなった。

 グロテスクな怪奇幻想譚のような前半部から一転して、崇高な奇跡譚が待ち受けていました。無論、目をくり抜いたことで顔がもとに戻った、というのは、盲いたことで美醜とは無関係のところに行った、ということなのでしょうけれど。
 

「オジグの死」宮下志朗(La Mort d'Odjigh)★★★★☆
 ――当時人類は死滅する寸前だと思われていた。長く続く冬のせいで、地上に生き物は見られなかった。地中深い穴に暮らしているオジグという名の「オオカミ殺し」は、生き物を憐れんでいた。オジグはパイプの煙にしたがい、北に向かった。

 酷寒のなか、アナグマとオオヤマネコとオオカミをしたがえて、世界の果てまで歩き続ける。それだけで絵になる光景です。古い世界を穿ちみずからはオオカミの犠牲となって新しい時代を開くのは、まさに生贄を供する宗教儀式のようです。
 

「大地炎上」多田智満子訳(L'Incendie terrestre)★★★★☆
 ――かくて電光閃く一夜、災厄の徴が天から落ちるかと思われた。隕石のただならぬ落下が眼にも明らかとなり、光の糸が降りそそぐのである。この天と地の炎上を前にしてひとつの遁走が行われた。二つの小さな体が物狂おしく走ってゆくのである。

 前話に続いて、世界の終わりと始まりの物語です。迫り来る太陽にも増して、海がたぎる描写の絶望感。それと比べればいかにも小さい二つの点。世界と比してあまりにも小さいがゆえに、その小さな点がやがて大きく広がるのだと思うと感慨深さを感じます。
 

「ミイラ造りの女」大濱甫訳(Les Embaumeuses)★★★★★
 ――リビアエチオピアとの境のあたりに、魔女たちよりも不思議な妖術を使うミイラ造りの女がいた。旅の途上、円屋根の建物のベッドで寝ていたわたしは、弟の姿が見えないのを、死体を処理する女たちと愛の一夜を過ごしているものと考えていた。

 ミイラ造りの様子がリアルで気持ち悪い。これが実際のやり方なのかどうかは知らないのですが、たとえ嘘だとしても、こうした詳細が描かれているからこそ説得力が違います。それでいて「妖術」だの「青い光」だの非現実な単語がちらほらと用いられているので、完全におかしな世界に迷い込んだような気にさせられます。しかもそこからさらに「嫉妬」という現実に着地しているので眩暈でも起こしているようです。
 

「ペスト」多田智満子訳(La Peste)★★★☆☆
 ――ペストが猛威をふるっていたフィレンツェからのがれ出て、旅籠屋で寝ころんでいると、酔っぱらいにからまれ、袋に詰め込まれてしまった。わたしはふと思いつき、持っていた短刀で布地を切り裂き、とうもろこし粉を顔になすりつけ、腕を切った血を塗りつけ、酔っぱらいが戻ってくるのを待ち受けた。

「贋顔団」宮下志朗(Les Faulx-Visaiges)
 ――休戦協定が結ばれ、兵士たちは戦場に取り残された。兵士たちは旅籠を荒らし、金品を奪った。そうした者たちのなかに、仮面をつけていることから「贋顔団」と呼ばれる者たちがいた。

「宦官」宮下志朗(Les Eunuques)
 

「ミレトスの女たち」大濱甫訳(Les Milesiennes)★★★☆☆
 ――突然、だれにも理由がわからないままに、ミレトスの乙女たちが首を吊りはじめた。自殺を食い止めるため新しい法律が発布された翌日、ようやく秘密が発見された。乙女たちは女神アテネの神殿の奥にある鏡に自分の姿を映し、恐ろしい叫びをあげると逃げ出した。

 いまや『リング』でおなじみの恐怖ですが、わたしにはいまいちピンときません。ただしシュオッブの本作の場合は、老後の自分を見るのが若い乙女なので、『リング』とは違って説得力があります。
 

「オルフィラ五十二番と五十三番」千葉文夫訳(52 et 53 Orfila)★★★☆☆
 ――五十三番の女は右腕が麻痺していたが、親族からの送金を個室をもらうためにではなく思うままに使うために貯蓄していたので、一目おかれていた。現役時代は管理人だった老人がいて、五十三番のことを従姉妹だと吹聴して定期的に訪れていた。向かいのベッドにいる五十二番が、この男に心を奪われてしまった。

 タイトルを見ただけではてっきり番地かと思ったのですが、実際には老人ホームで固有名詞ではなく番号で区別されている老人たちのことでした。老いてなお、いえ若いころの人生で学んできたことだからこそ、女同士の嫉妬と共同体のルールは峻烈を極めます。
 

「モフレーヌの魔宴《サバト》」大濱甫訳(Le Sabbat de Mofflaines)★★★☆☆
 ――ボーフォールの騎士コラールが墓地の横を通りかかると、三人の娼婦が呪文を唱え、棒を脚の間に挟んで空を飛んだ。《御主君》のところに行くのだという。着いてみると知った顔も何人かいて、大きな黒犬の鼻面に接吻した。ところがよくみると犬ではなく緑色の猿であった。

「話す機械」千葉文夫訳La Machine à parler)★★★☆☆
 ――その男は狂気に毛を逆立てていた。「声とは物質よりも精神に近いものであり、詩人や学者は声を想像したり保存したりすることはできるが、私には創造することができるのです」。そう言って男は巨大な機械を見せてくれた。「この人形の女が私の機械の鍵盤を動かす魂です」

 聖書にある「初めに言葉ありき」を否定するという涜神によって機械は壊れてしまいますが、「言葉」と「声」は似て非なるものですから、整合性の完成度という点ではいまひとつです。
 

「血まみれのブランシュ」大濱甫訳(Blanche la sanglante)★★★★☆
 ――ブランシュは血の滴る切り傷みたいな女の口をしていた。ダシー子爵は借金を払ってもらうために、娘のブランシュをギヨーム・ド・フラヴィの嫁にやった。ギヨームは乱暴だった。私生児のドールバンダクと床屋は、城を乗っ取る計画を立てた。

 タイトルが譬喩でも何でもないことに驚きました。子爵領を手に入れたものの借金の抵当に入っており、金策のために粗野な成金を婿に取るということは、当時ふつうにおこなわれていたのでしょうか。『ゴシック短編小説集』で大沼由布訳「血まみれブランシュ」を既読でしたがすっかり忘れていました。
 

「ラ・グランド・ブリエール」千葉文夫訳(La Grande-Brière)
 ――わたしたちは農夫の舟に乗って沼に行った。パリの女たちのせいで頭がおかしくなってしまった娘のマリアンヌが片方の櫂を漕いだ。灰色の体と黒い頭とピンクの嘴をした「ポルニシェの娘たち」が船の上空を舞って旋回した。

「塩密売人たち」千葉文夫訳(Les Faux-Saulniers)
 ――ガレー船から塩密売人たちが逃げだした先には、塩の山があり、密売人たちは陸に上がり女たちを抱き寄せた。

「フルート」大濱甫訳(La Flûte)
 

「荷馬車」千葉文夫訳(La Charrette)
 

「眠れる都市」多田智満子訳(La Cité dormante)★★★★★

 アンソロジー『書物の王国1 架空の町』で既読。
 

「青い国」大濱甫訳(Le Pays bleu)★★★★★
 ――もう二度と行き着けそうにないある田舎町でのこと。暗い玄関で、小さな手がぼくの手にすべりこんだ。「あたしマイという名なの。こんにちは、鏡さん、お友だちが来たから紹介するわ」お腹を空かせたマイは、九つのときの芝居のせりふを憶えていて、暗誦してくれた。「『青い国』という題だったの」

 まるでシュペルヴィエルのような、さびしい人たちの美しい物語です。ものを擬人化する少女は珍しくありませんが(赤毛のアンがすぐに思い浮かびます)、マイは部屋にまで「お部屋さん」と呼びかけます。考えてみると一番お世話になっているのは部屋ですよね。
 

「故郷への帰還」千葉文夫訳(Le Retour au bercail)
 

「クリュシェット」大濱甫訳(Cruchette)★★★★☆
 ――苦役囚たちが鉛の大槌でのろのろ石を打っていた。「まだ水を隠してあるかい、兄貴、死にそうなんだ」と毛ずねが言った。「一滴もなしさ。だがクリュシェットがじき来るさ」とシロが言った。その水差しを持った娘が来ると、毛ずねが言った。「俺たちと一緒に逃げないか?」

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