『メダリオン』ゾフィア・ナウコフスカ/加藤有子訳(松籟社 東欧の想像力12)★★★★☆

 『Medaliony』Zofia Nałkowska,1946年。

 ポーランドの作家による、証言聞き取りの形を取ったホロコースト文学。
 

「シュパンナー教授」(Profesor Spanner)
 ――そこには何百体もの死体があった。委員会の前で若い男が証言している。教授は死体標本の製作者として彼を雇った。皮膚をすっかり取り除き、人夫たちがきれいに集めた脂肪は、一冬寝かされ、そのあと石鹸にされた。

 悪名高いナチスによる人間石鹸にちなんだ作品。教授が実際に死体から石鹸を作ることのできる人間だと推測できたか、という問いに、倫理観からではなく「規律に従順」「国の経済状況に対する配慮」と答える証言者が恐ろしい。
 

「底」(Dno)
 ――弾薬工場では私たち女は毎日十二時間働きました。仕事を達成できない女が一人いたら、みんなが殴られました。体温を求めて抱き合おうものなら地下牢行きです。弱いものは寒さで死んでいきました。

 ドイツ兵が女たちを見て恐怖で目をまるくしたというエピソードから、証言者の女がほかの女性たちを思い出せないという結末にいたる心理の流れには、ぞっとさせられます。安っぽいホラーの理屈ではあり得ない、真実の恐怖がありました。
 

「墓場の女」(Kobieta Cmentarna)
 ――恐怖の時代、人は実家の庭に来るように、静けさと安全の唯一の場所である墓地にやって来る。彼女は私のこの確信を揺るがした。「こちらの墓のほうが上等ですよ。乾いてますから死体を置いても腐りません」

 墓地を「静けさと安全の唯一の場所」と定義することにまず衝撃を覚え、それすらもひっくり返される価値観にさらに衝撃を覚えます。
 

「線路脇で」(Przy torze kolejowym)
 ――あの若い女は脱走に失敗して線路脇にいた。男が見つけたとき女は一人だった。膝から血が流れていた。ウォッカと煙草を買って来てほしいと頼まれ、男はその望みを叶えた。女は警官たちに、もう一度撃ってくれと言った。

 この作品は本書のなかでも戦争色、ホロコースト色が薄い作品で、いつの時代どこの国の逃亡者の話としても、さらに言えば死を覚悟した人間の話としても、普遍性を持ち得ていると思います。
 

「ドゥヴォイラ・ジェロナ」(Dwojra Zielona)
 ――片目に黒い眼帯をした女性がカウンターに立っていた。「数年間、眼鏡をかけていなかった」「どうしてでしょう」「収容所にいたからだよ」

 タイトルになっている人名は、ユダヤ名+ポーランド姓である由。これまた冒頭がショッキングです。
 

「草原《ヴィザ》」(Wiza)
 ――「ユダヤ人に憎しみなどありません。蟻やネズミに憎しみなどないのと同じです」彼女はポーランド人だった。「収容所では女親衛隊員がどなるのです。『ヴィザへ行け!』と。女たちは暖を取ろうとくっつき合っていました」

 ヴィザという言葉の意味の恐ろしさもさることながら、これまでの作品を読んできた人間には、「すべてが一緒になって動いていた」「その動くさまは(中略)ただ何か動物のよう(中略)か塊のようでした」という描写に説得力を感じてしまうところに、恐怖を覚えました。
 

「人間は強い」(Człowiek jest mocny)
 ――私たちはトラックで運ばれ、丸々九日間働かされました。新たにユダヤ人が運ばれてきたとき、ドイツ人は私たちを選別にかけ、弱った者がガス行きになりました。ある日、トラックから妻と子どもたちの死体が投げ出されました。私は死体の上に横になり言ったんだ、撃ってくれと。

 タイトルはもちろん肯定的な意味などではありません。
 

アウシュヴィッツの大人たちと子供たち」(Dorośli i dzieci w Oświęcimiu)
 ――囚人となった医者たちの任務は、ほかの人と同じような苦しみを受けながら、ほかの人を助けることだった。一人の医者の窓を叩く者がいた。ガス室から逃げることのできた二人の少年だった。プラハの医師は収容棟で二人の子供を見かけた。子供たちは砂の上に座りこみ、何やら棒を動かしていた。

 意味もわからず何でも吸収してしまうのが子どもというものです。あざといくらいに象徴的なエピソードを最後に、本書は幕を閉じます。
 

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