『邪眼』ジョイス・キャロル・オーツ/栩木玲子訳(河出書房新社)★★★★☆

 『Evil Eye: Four Novellas of Love Gone Wrong』Joyce Carol Oates,2013年。
 

「邪眼」(Evil Eye)★★★★★
 ――それは最初の妻のものだ、と彼は言う。ナザールと言って、邪眼を払うお守りだ。彼女はその男の四番目の妻だった。結婚して数週間後、レセプションを開くというので家具を動かしただけで、夫は激怒した。馬鹿な私。でもここから学んでいかなくては。五番目の妻が現れるなんて考えたくもない。

 理不尽で独善的な夫に、そんな夫を刺激しないよう努める卑屈な妻。DV家庭や支配関係の心理が恐ろしいまでに詳細に描かれています。独善的な夫の姿に、身近にいる人間を連想し、まるでその当人のよう、とさえ思ってしまいました。飽くまで支配的な夫とその妻たちの物語だと思っていると、不意に狂気の可能性が浮上してきてぞっとしました。視点人物に寄り添うような読み方をしていると、こういうときに自分も狂気に陥ったようで眩暈がします。
 

「すぐそばに いつでも いつまでも」(So Near Any Time Always)★★★★☆
 ――私は十六歳だったけど、ボーイフレンドは一人もいなかった。それまでは。キスされたこともなかった。それまでは。母親はデスモンドに魅了されたけれど、姉のクリスティーンは「あれは全部お芝居」だと言った。家に遊びに来たデスモンドが披露してくれたヴァイオリンは、完璧とは言えなかった。

 デスモンドの支配的自己中心的なところは、他の多くのオーツ作品に登場する暴力的な男と同じように見えますが、はっきり異常者だと明記されているのは珍しいような気もします。もちろん明記されているかどうかというだけであって、出てくる男たちが異常なことに変わりはないのですが、法律的医学的にラベルを貼ってもらえるだけで随分と怪物感は減るものです。ところがそれで普通のサスペンスっぽいな……と拍子抜けしていたら、デスモンドの両親による別の角度から恐怖が待ち受けていました。
 

「処刑」(The Execution)★★★☆☆
 ――彼が寮を出たのは午前一時半。みんなはパーティに夢中だ。計画は秒刻み。しかも目撃者はいない。実家のドアを開ける。父親の顔は怒りと驚きで真っ赤になっている。斧が目に入らないのかよ、ったく。離れたところにはおふくろがいる。息子はやみくもに斧を振り下ろしている。警察は寮で事情聴取をおこなった。〈両親が――殺された?〉〈なぜおかあさんは死んだと思った、バート?〉

 帯にも引用されているメタリカの「Die, Die My Darling」の歌詞が印象的な作品です。これも殺人者のキチ描写から一転、意外な展開を迎えます。バートの思考回路はこういう人物の例に洩れず、すべてが自分に都合のいい考え方なのですが、この作品の恐ろしいのは、世界がバートに合わせて都合よく動いているようにも見えるところです。
 

「平床トレーラー」(The Flatbed)★★★★☆
 ――僕のせい?とNは言った。自分のベッドで、男の腕に抱かれているのに起こる、痙攣じみた滑稽な震え。あのことは誰にも話してない。決して誰にも。家で、家族に。彼は彼女に忠告した。〈これは私たちの秘密だ。内緒にしなきゃダメだよ〉

 珍しく救いのような形が描かれています。それが本当に救いかどうかは別にして。これも珍しく連れ合いに優しいところを見せる男性Nですが、それが誰に向けられているかという点を除けば暴力的な発作を見せていることには違いなく、そういう意味では結局のところNもまた本書のなかの男たちと同じなのかもしれません。
 

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