『桜は本当に美しいのか 欲望が生んだ文化装置』水原紫苑(平凡社新書)★★★★☆

 桜は本当に美しいのか――なかなか挑発的なタイトルですが、実際に万葉集のころには桜の歌よりも萩や梅の歌のほうが多いという事実もあるそうです。

 本書は、歌人である著者が、歌集を中心とした文学作品に詠まれた桜の意味の変遷を読み解いてゆく作品になります。

 白眉は『古今集』を論じた章でしょう。ある意味では撰者による意図的な桜の意味の転換を、真名序から始めて収録順に順番に見てゆく手順には、説得力がありました。万葉集には見られなかった「散る桜の美」が登場するのがエポックメイキングです。業平の「さくら花ちりかひくもれおいらくのこむといふなるみちまがふがに」について、「自然に相対している」万葉のころとは異なり、「人間の心の中にのみ散り乱れる」「美の通貨」であると断じているところなどは、著者の読みが光ります。

 その後は『新古今集』を例外とすれば、時代との関わりというよりは作品論作家論のようになってしまいますが、現代の桜ソングにまで言及しているところに目配りが感じられました。とはいえ、ポピュラーソングの桜は、新学期=出会いと別れのウェイトが大きいと思うのですが。

 宮内卿の歌、「花さそふひらの山風吹きにけりこぎ行く舟の跡みゆるまで」「あふさかや梢の花を吹くからに嵐ぞ霞む関の杉むら」はいいですね。
 

   


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