『奥の部屋』ロバート・エイクマン/今本渉編訳(ちくま文庫)★★★★★

 国書刊行会〈魔法の本棚〉版に「何と冷たい小さな君の手よ」「スタア来臨」の二篇を加えた文庫版。
 

「学友」(The School Friend,1964)★★★★☆
 ――学生時分の友人サリーは大学に進み、私たちは疎遠になりましたが、四十一の年、私は両親の元へ出戻りと相成り、サリーの父親テスラー博士の死を知ったのです。再会したばかりのサリーは昔のままでしたが、父親の家で暮らすことにしたサリーを訪ねてゆくと、どこかしら様子が変です。私と会っているあいだじゅう、一度も笑いませんでした。

 有識な女性二人と研究者である父親が、何かに心を奪われてしまう様子が語られていますが、その「何か」が何であるのかはまったくわかりません。一瞬にして消えた男の姿にこそ通常の怪奇作品のような雰囲気があるものの、乱雑な家のなかの様子や、一変してしまったサリーの人とナリ、食料品店での様子などを見るに、(比喩的な意味で)何かに取り憑かれているだけのようにも思えます。少なくとも食料品店の人たちは事情を知っていたし、語り手もどうやら最後には知ることになったようです。タイトルが「学友」であり、主要登場人物が三人に共通しているのが学識であるだけに、知に関する何かが関係あったのでしょうか。
 

「髪を束ねて」(Bind Your Hair,1964)★★★★★
 ――クラリンダはダドリー・カーステアズとの婚約直後、実家の両親に紹介された。そこにパガーニという独特の雰囲気の夫人が押しかけてきた。翌日の午後、クラリンダは気分転換に散歩に出かけた。立入禁止の札を無視して奥に進むと、豚の群れがいる。驚いていると、性別も不確かな二人の子どもが現れた。「上には何があるのかしら」「迷路」

 一応のところは変化《へんげ》やサバトらしきものが描かれていると思しいのですが、主人公が意外なほど堂々としているため、読んでいるこちらの方がこれは夢か何かなのかと自信がなくなってきます。そんなさなかにしっかりと刻まれる現実の印にぞっとしました。読み終えるころには、何も気づかず(?)パガーニ夫人と共存している田舎の人々の方が恐ろしいとさえ思えてきました。
 

「待合室」(The Waiting Room,1964)★★★★☆
 ――居眠りして列車を乗り過ごしてしまったペンドルベリは、終点の駅の待合室で一夜を過ごすことにした。「悪いけど、俺は責任持てないよ」とポーターは言って、首をひきつらせた。

 エイクマン作品のなかで格段にわかりやすく、何が起こっているのかも起こったことの因果関係も明らかでした。そうは言ってもそれは最後にそう明らかにされる、というだけのことで、明らかにならなければならないで夢とも現実ともつかない待合室の夜の風景が、読み終えてもなお心に尾を引くことでしょう。個人的には怪異そのものよりも、同僚のポーターの最後の一言が怖かったです。
 

「何と冷たい小さな君の手よ」(Your Tiny Hands Is Frozen,1966)★★★★★
 ――夜中にベルが鳴ってエドマンドが受話器を取ると、相手は計ったように受話器を置いた。「もしもし」と言ってみても無駄だった。電話は何度もかかってくる。婚約者テディの結核療養のあいだは一人暮らしだ。外出中に知り合いとばったり出くわし、二十五年前に町でよく会っていたクウィーニーという女性のことが話題になった。クリスマスに招待してみよう。エドマンドは電話をかけた――。

 新版異色作家短篇集『棄ててきた女』にも収録。『ミステリーゾーン』風の電話の怪……だと何の気なしに読んでいると、唐突に出てくる「二十五年前」という言葉にどきっとします。若者の話ではないんですね――。この時点で、何か歪んでます。感覚的にどこかおかしい、ずれています。だからこそ「エミリーの薔薇」めいた哀しみと恐ろしさをもよおさせる結末は、むしろ当然のような気さえしました。タイトルはプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』より。
 

「スタア来臨」(The Visiting Star,1966)★★★★★
 ――タバド座の支配人マルニクは赤字覚悟で地元作家の戯曲を上演しようとしていたが、女優のミス・ロウクビーはシェイクスピアでなければ出演しないと断言していた。鉛鉱調査中のコーヴァンが泊まっているホテルの隣室に、ミス・ロウクビーの信奉者らしきスパーバス老人が部屋を取った。

 永遠の美女と、それにまとわりつくようにして邪魔者を消す老人……とくれば、魂の取引および悪魔という図式が思い浮かびます。それが小出しにされてゆくため、徐々に何かがおかしく息苦しくなってゆくのは、他のエイクマン作品と同様です。どちらかといえば「髪を束ねて」ともども、ショッキングなシーンのある作品だったと思います。
 

「恍惚」(Ravissante,1968)★★★★☆
 ――画家をやめて編集者になっていた知り合いが死んだとき、遺された原稿のなかに、個人的な記録も入っていた。「……Aという画家の未亡人が存命中だと知り、僕はブリュッセルまで会いに行くことにした。 A夫人は顔を近づけて画家たちのゴシップを聞かせてくるのでうんざりしていた。A画伯の絵を見せてもらっていると、『あたしの養女、今日はいなくて残念だわ。美人なんだから』」

 怪異よりもむしろ、マダムAのアクの強さが気になって仕方ありませんでした。一種の怪人ですね。「髪を束ねて」のパガーニ夫人といい、エイクマンの描く年配婦人は強烈です。そのうえBGMのように登場する動物たちの存在がおぞましさを盛り立てます。
 

「奥の部屋」(The Inner Room,1968)★★★★★
 ――私が父に買ってもらった古い人形の家には、窓を背にして書き物をしている婦人もいた。後ろ姿を見ただけでこれは狂女だと決めてしまった。そのうち私は家と住人のことを夢に見るようになった。板張りの廊下に足音がパタパタと響いていた。朝になって弟と一緒に家を確かめたけれども変わったところはない。けれど弟が間取りを計ってみると、どうしても一部屋ぶん足りないことがわかった。

 意思を持っているかのような人形。あるはずなのにない部屋。過去に罪を犯したらしき父親と不幸な家族。少女時代の不幸な思い出が、何年も経ってから襲いかかってくる……恐ろしいことが起こりそうなのに、むしろ気分が晴れた(とは言い過ぎにしても目が覚めた)ように立ち去る主人公の姿が印象的です。
 

  


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