『クリスティの六個の脳髄』アガサ・クリスティ/深町眞理子訳(グーテンベルク21)★★★☆☆

 もとは講談社文庫から出ていたものの電子化のようです。
 

「私立探偵エルキュール・ポワロ編」

「すずめばちの巣」(Wasps' Nest)★★★☆☆
 ――庭にいるジョン・ハリスンのところにポワロが現れた。ハリスンの恋敵ラングトンがすずめばち退治に青酸カリを購入したと聞き、確認しにきたらしい。二人のあいだにわだかまりはないし、退治にはガソリンを使ってもらうつもりだと言い張るハリスンだったが……。

 子供のころ偕成社文庫で読みましたが、同じ各務三郎編なんですね。この作品と次の「二十四羽の黒つぐみ」は、ポワロの関わり方が特殊で、とりわけ印象に残っている作品です。最後になるまでポワロが事実を明らかにしないため、読者から見ると目の前ですごいことがおこなわれたように見えますが、実際のところはポワロたいしたことはしてませんよね(^^;。
 

「二十四羽の黒つぐみ」(Four and Twenty Blackbirds)★★★☆☆
 ――ポワロが食事をしていたレストランには、名物客がいた。毎週火曜日と木曜日に決まった料理を食べる「ひげの老人」が、先週だけは月曜日に来て、ふだん絶対に食べない腎臓のプディングと黒いちごを食べていったという。「医者から食事を変えろと言われたのかな? 気が動転していたのかも」連れはそう言ったが……。

 ポワロの言うように、たいした犯人ではありませんが、犯行を見抜くきっかけとなる一点としては、マザーグースの一節と相まって、記憶に残る作品です。ただしこの手のトリック、そういう約束事の世界なのだ、と頭ではわかっていても、どうにも拒絶反応が出てしまいます。
 

バグダッドの櫃の秘密」(The Mystery of the Baghdad Chest)★★☆☆☆
 ――クレイトン夫妻、カーティス少佐を招いて、リッチ少佐の家で内輪のパーティが開かれた。ところが用事があって欠席したはずのクレイトン氏が、部屋にあった櫃のなかから刺殺体で発見された。クレイトン夫人を巡る愛情のもつれから、リッチ少佐が疑われた。

 前二話とは違ってポワロとヘイスティングズが事件について語っている普通の出だしであるため、やや物語の吸引力に欠けます。一種の密室ものの変形と言えるでしょうか、櫃に空いた穴から真相を推理するポワロが見事です。犯人のズレた妄念が悲しい作品です。
 

「素人探偵ミス・マープル編」

「青いゼラニウム(The Blue Geranium)★★☆☆☆
 ――青いゼラニウムの意味するものは死……心霊術師が予言したとおり、壁紙のたちあおいが一輪だけ青く変色していた。数日後、プリチャード夫人が死んだ。ガスくさいと証言する者もいたが、死因は心臓発作と診断された。

 短篇集『火曜クラブ』の一篇です。このシリーズのよさがわたしにはよくわかりません。
 

「風変わりな悪戯」(Strange Jest)★★★☆☆
 ――チャーミアンとエドワードがミス・マープルに相談に来たのは、マシュー伯父さんの遺産の件だった。生前に全財産を遺してやると約束していたのに、蓋を開けてみると財産はなし。どこかに隠しているに違いないのだが……。

 ミス・マープルの(一見)無駄話がこれでもかと発揮されています。この隠し場所は類例がありますが、そういうのを読むたびに、価値が! 価値が――と思ってしまいます。
 

「夫婦探偵トミーとタペンス編」

「鉄壁のアリバイ」(The Unbreakable Alibi)★★★☆☆
 ――モンゴメリー・ジョーンズ氏は恋に落ちた。探偵小説好きだった二人はたちまち意気投合し、ユーナから賭けを申し込まれた。「だれにも破られないような完璧なアリバイを提出するわ」

 連作短篇集『おしどり探偵』より。素人探偵トミーとタペンスが小説上の名探偵を真似て事件を解決するというシリーズから、フレンチ警部のアリバイものです。聞き込みをしても小説通りには行かないおかしみと、おしどり夫婦ぶりが楽しい一篇です。
 

「幽霊探偵ハーリー・クィン編」

「ハーリー・クィン登場」(The Coming of Mr. Quin)★★★★☆
 ――サタースウェイト氏は気になっていた。ポータル夫妻には何かがある。「以前この家に住んでいたケイペルさんは、ピストル自殺をなさいましたの――」女主人が話しはじめた。「どうして自殺したのかわかりません。受け取った手紙は、開封してもいませんでしたし……」

 なぜ髪を染めているのか――それも黒を金にではなく、金を黒に……。こういう些細な謎がクリスティは抜群に上手いです。しかも単なるお爺ちゃんの詮索好きを越えて、核心を突いているのですから。主人が自殺したきっかけについても、クリスティ得意の錯誤が用いられており、地味ながらよくできた作品だと思います。
 

「ヘレンの顔」(The Face of Helen)★★★★☆
 ――サタースウェイト氏がオペラ座で見かけた女性は完璧な美人だった。トロイのヘレンのような、歴史を動かす顔だ。やがてその女性――ジリアン・ウェストとバーンズ氏が婚約したことを知る。恋敵のイーストニー氏は快く祝福して贈り物までくれたという。どうやらサタースウェイト氏はイーストニー氏のことを勘違いしていたようだ。

 ハーリー・クィンものに似つかわしくないほどのトリッキーな作品で、サタースウェイト氏が名探偵(というのに鈍すぎますが)を務めます。トロヤ戦争の引き金となった美女ヘレンを髣髴とさせる美女、本ものの歌声を持つオペラ歌手、古典的な三角関係……整いすぎているくらいに舞台は整っていて、サタースウェイト氏はむしろ舞台を台無しにする場違いなよそ者のようでさえあります。台無しにされた舞台は、俳優の退場で幕を引くしかないのでしょう。
 

「私立探偵パーカー・パイン編」

「明けの明星消失事件」(The Regatta Mystery)★★★☆☆
 ――ポインツ氏がホテルで知り合った人々と食事をとっていると、イーヴというアメリカ娘が「おじさま、いつもあのダイヤモンドを持ってらっしゃるの? 危ないわ。あたしなら盗んでみせる」「ほう、どんな方法です?」会食者のあいだをダイヤがまわされ、イーヴが床に落としてしまい、いくらさがしてもダイヤは消えていた。

 あからさまなレッドヘリングが、見え見えなんだけどやっぱりうまいと思いました。盗みの手口の一端には、チェスタトンや後年のアシモフの某短篇のネタも組み合わされているんじゃないかと思います。でもエヴァン氏がいなければ、どうするつもりだったんでしょうね? 容疑者不在の不可能事件になってしまいます。
 

「幻想と怪奇編」

「ランプ」(The Lamp)★★★☆☆
 ――ランカスター夫人は実際的な性格だったから、その「幽霊屋敷」を気にせず購入した。雨がふりはじめ、窓をたたきはじめた――ぴたぴた、ぴたぴた。「まるで子供の足音みたいじゃないか」夫人の父親のウィンバーン氏が言った。「それよりも雨の音みたいですよ」夫人はほほえんだ。ジョフリー少年が階段を降りてくると、どきりとした。少年のとはちがうべつの足音が聞こえたような気がしたのだ。

 怪奇短篇集『死の猟犬』より。わたしは怪奇小説幻想小説も大好きなのですが、クリスティの怪奇小説って、基本的に気が滅入るんですよね。「解決」というある意味ハッピーエンドな探偵小説とのギャップなのか。殺人と同じく、何の覚悟も用意もしていなくても、人は怪異に襲われる――いわば被害者視点だから、読むのがつらいのかもしれません。幸せな一家に紛れこむ怪異、誰にも救われようがなく、そのうえ子どもが哀れです。
 

「人形」(The Dressmaker's Doll)★★★★☆
 ――その人形は椅子の家に横たわっていた。いつからそこにあるのか、店の人間は誰も知らなかった。「気味が悪いわ!」得意客のブラウン夫人が言った。掃除婦のグローブズ夫人もその人形を見て「ぞっとする」と言う。アリシアとシビルは顔を見合わせた。別の部屋にしまっておくことにしたが、翌日になると人形はもとに戻っていた。

 人形とは怖いもの――。人型ゆえに不気味さとは切り離せないだけに、ブラウン夫人たちはもとより読者のほうでも、当然おそろしいものだと信じて接するのも不思議ではありません。子どもの真っ直ぐな気持がそれを裏切る場面で、大人であるわたしは呆然としてしまうのでした。
 

  


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