『ブレイク詩集』寿岳文章訳(岩波文庫)★★★★☆

 寿岳文章訳のブレイク詩集の集大成。『無心の歌』『有心の歌』『天国と地獄の結婚』などの代表作のほか、稿本詩抄や私家版を収める。私家版を除けばイラストは掲載されていません。

 ライカという少女をめぐるストーリー仕立ての詩「失われた少女」「見つかった少女」には、獅子が気高い猛獣の王者として描かれています。子取りの妖精のようなストーリーながら、有名な「虎」のように、獅子、豹、虎、狼といった猛獣たちは卑賤ではなくどこまでも気高い存在です。

 そして「わたしは一つの夢をみた!」で始まる「天使」、「虎よ! 虎よ!」でお馴染みの「虎」と、おそらくは地上のことをあたかも天上のできごとであるかのように歌い上げる作品が続きます。

 さらに著名な「学童」。「よろこぶために生まれた小鳥が/籠にとじこめられて どうして歌えよう?」。内容自体は至って平凡なのですが、文学作品とは表現なのだと深く感じる名フレーズです。

 稿本からは、蛇や豚が登場する象徴的な「わたしは見た 総黄金造りの礼拝堂を」や、善ならざる天使の登場する「わたしは泥棒に 桃一つ盗んでくれと頼んだ」、アガサ・クリスティ『終りなき夜に生れつく』のタイトルにもなっている「無明の長夜へと生まれるものあり」を含む「無心のまえぶれ」等が収録されています。

 『セルの書』はもともと長めの詩が一篇だけの作品のようです。

 続く『天国と地獄の結婚』は、全篇これ幻視者の見た夢の如く浮かされたように謳われる圧倒的な長篇詩です。これは寿岳文章訳でなければいけません。どこを引用してもかっこいい。「天使たちは苦悩とも狂気とも見える詩霊の悦楽に酔いしれて、地獄の炎の中を歩んでいたとき、私はその箴言の幾つかを集めた。蓋し一民族の用いる諺が……」

 『ユリゼンの書』では「非時」と書いて「ときじく」と読ませていました。『萬葉集』に用例があり、「時じ」で「その時節ではない」の意味なんですね。

 決定稿の三十年前に刊行された『無染の歌』『無明の歌』については、たとえば「小学生」と題された「The Schoolboy」を見てみると、「喜ぶために生まれてきた小鳥を、/籠の中で歌はせようたつて駄目だ」となっており、文章の調子自体が違います。
 

  


防犯カメラ