タイトル通り十代向けの文豪怪談アンソロジー。挿絵・総ルビ・註釈つき。
「夢十夜」夏目漱石(1908)★★★★★
――こんな夢を見た。あおむきに寝た女が、もう死にますという。「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って、そうして星の破片を墓標に置いてください。また逢いにきますから」
第三夜の註釈で、「こんな晩」というのがそうした型の話の題名でもあるということを初めて知りました。挿絵を担当している山科氏は、動物や洋装よりも、植物や和装の人物を得意としているようで、「夢十夜」のなかではお百度参りや表紙の絵に惹かれました。
「豹」内田百間(1921)★★★★★
――小鳥屋の大きな檻の中に、鷹がつがい、雛を育てていた。その隣りの檻に豹がいて、雛をねらっている。「この豹は見覚えがあるね」といった者がある。豹がこちらを向いた。「檻の格子が一本抜けている」といった者がいる。するとはたして豹が私らを喰いに来た。
鷹だと思ったら鷲、「見覚えがある」豹、「半識り」の男たち、「多少かかわり合いのある女」等、知っているようで知らないという、まさに現実と薄皮一枚へだてた夢のような感覚のなか、最後には解釈を拒むような結末が待ち受けています。
「ゆめ」中勘助(1917)★★★☆☆
――二人は小舟にのって流れてゆく。不意にどこからか猿みたいな顔をして、胴体はカンガルーの人獣が、彼女をさらって逃げだした。
漱石や百間の語り口や内容と比べると、「ゆめ」というより伝奇めいたグロテスクなイメージに溢れていて、作家性がわかって面白いと思いました。
「沼」芥川龍之介(1920)★★★☆☆
――おれは沼のほとりを歩いている。おれの丈よりも高い蘆が水面をとざしている。その蘆の向こうに不思議な世界があることを、おれは知っていた。おれはとうとう柳の上から、思いきって沼へ身を投げた。
中勘助があまりにも独自色が強すぎるのに比べて、芥川はむしろ漱石「夢十夜」の影響が強すぎるように感じます。
「病辱の幻想」谷崎潤一郎(1916)★★★★☆
――彼は歯をわずらって、えぐられるような苦痛のために、気が狂って死ぬかもしれなかった。今では痛みが臼歯や犬歯にまで共鳴を試み、ちょうどピアノの鍵盤を掻きまわしたごとく、口腔内へ反響をしつづけていた。
前半はまるでユーモア小説のようで、中盤で連想から連想へ飛んだあと、終盤は幻想の地震の世界そのものに足を踏み入れてしまったかのような狂気に見舞われます。
「山の日記から」佐藤春夫(1928)★★★★☆
――谷崎と泉先生とは去年芥川龍之介のお弔いの帰りにこの家へ来て以来、一年ぶりで会うそうだ。雨は毎日やまず、夜になるとしきりに犬が吠える。谷崎が芥川に本をあげようと言っている。クウビンの「髑髏舞」だ。自分も芥川にやろうと買っておいた本があるのを思い出した。
谷崎と著者と死んだ芥川の登場する夢もさることながら、病床に就いている隣家の主人としきりに吠える犬といった現実の方に、より不気味な雰囲気が漂っていました。
「病中夢」志賀直哉(1939)★★★★☆
――月夜。版画の下絵にする境内を見ておこうと思った。路に小さな白黒のぶち犬が死んでいた。水で死んだ犬か、長い毛がぐっしょり濡れていた。十歩ほど行きすぎた時、その犬が死んだまま起きあがって首を垂れ、後ろからついて来た。石段の上にある神社の門は閉まっていた。
版画の下絵のために訪れた神社の景色ということになっていますが、むしろブリューゲルやボッシュをはじめとする西洋の幻想怪奇系の画家による静止画を連想します。
「怪夢」夢野久作(1931,1932)★★★★☆
――海の底へ私は沈んでゆく。金貨を積んで沈んだオーラス丸の所在をたしかめよ……という命令を受けて……耳の底がイイイ――ンンと鳴りだした。遠くでお寺の鐘が鳴るような……。見ると青白い七本の燐光が近づいてくる。「わたしたちは乗組員のやつらに打ちころされて……」
現実的な工場を舞台にした苦みの利いたファンタジーから始まり、精神世界に足を踏み入れた怪談になったあとは、シュールな幻想コントで幕を閉じるように、スタイルの目まぐるしく変わる怪奇幻想ショートショート集です。
「夢一夜」北杜夫(1979)★★★★★
――こんな夢を見た。うす暗い部屋の中に、色の白い痩せた女が一人寝ていた。女がたえだえの声で言った。「もう産まれるわ」「なにが?」「あなたの子よ」おれは呆然とした。第一、この女をおれは知らない。
オリジナルの「もう死にます」を踏まえた「もう産まれるわ」には笑ってしまいました。それからも凄まじいパロディでありながら完成度の高いパスティーシュでもあるという、離れ業を最後まで演じきってくれています。
「夢を啖うもの」小泉八雲/平井呈一訳(The Earter of Dreams,Lafcadio Hearn,1902)★★★★☆
――最近わたしが獏を見たのは、蒸暑い晩のことであった。大きな部屋の床に、わたしの影がうつっていない。ひょいと見ると、すぐそこの寝台の上に、わたしの死骸がのっている。そばには女が腰をかけていますが、知った顔の人はいません。
獏に関する蘊蓄は外国人向けでしょうか、雰囲気のある怪談といった夢の景色のなかから、モンスターが襲ってくるのは、かなり怖い。
「黄泉の穴」東雅夫訳(『出雲国風土記』より,733)
――北の海の浜に磯有り。西の方の窟戸、高さ広さ各六尺許。窟の内に穴在り。人、入ることを得ず。夢に此の窟の辺に至らば、必ず死ぬ。故、黄泉の坂、黄泉の穴と号ひき。
古典を紹介する、幻妖チャレンジというおまけコーナーです。