『The Complete Short Stories: J. G. Ballard』
「重荷を負いすぎた男」増田まもる訳(The Overloaded Man,1961)★★★★☆
――フォークナーはゆっくりと狂いかけていた。妻にはまだ言っていないが、ビジネススクールの講師を二か月前に辞めていた。妻のキスは短く機械的だった。フォークナーは家々を眺めていたが、いまやキュビストの風景を見つめていた。
あらゆるものを幾何学的形態として捉え直す〈能力〉を身につけた者であれば、実際に逃避してしまえるというのは、現代社会に生きる者であればどことなく羨ましい気がしないでもありません。
「ミスターFはミスターF」山田和子訳(Mr. F. Is Mr. F.,1961)★★★☆☆
――妻のエリザベスが妊娠してから、フリーマンの体重は徐々に減り始めた。医者にはかからずベッドに寝ていたフリーマンは、妻に気づかれないようにベッドに潜り込んでいたが、身長もどんどん減っていた。
縮んでゆく話ならよくありますが、この作品はとことんまで遡ります。さすがにそうなってしまうと、記憶や知識も維持することはできなかったようです。
「至福一兆」中村融訳(Billenium,1961)★★★★☆
――爆発的な人口増加により、人々は限られたスペースでの生活を余儀なくされていた。政府は人口の増加率をひた隠し、一人当たりの床面積(天井面積)の割り当てはどんどん狭くなる。
社会問題を極限にまで推し進めたディストピアに圧倒されますが、それだけに広い場所を求めて思い出の家具を売ろうとする主人公がちょっとだけ心を痛めるラストシーンが印象的でした。
「優しい暗殺者」山田和子訳(The Gentle Assassin,1961)★★★★☆
――戴冠式の日、ジェイミソン博士はロンドンに到着した。ジェイミソンがいくら説明しても、ジューンは「タイムトラベル」という言葉を使った。ジェイミソンは若い男女が話をしているのを眺めた。何としても阻止しなければ。
典型的なタイムパラドックスを扱った作品で、意外性のある展開のその意外さすらも型通りですが、それだけにコンパクトにまとまっています。
「正常ならざる人々」山田和子訳(The Insane Ones,1962)★★★☆☆
――精神自由法ができて精神医療を含めた他人への干渉が罪となる世界。そのために収監されたチャールズ・グレゴリー博士は3年の懲役から出て来たばかりで、一人の少女をヒッチハイクで拾った。少女は博士の正体を知り助けを求めたが、痛い目を見ていた博士は救いの手を差し伸べようとはしなかった。
これまた極端な世界を描いたディストピア小説です。舞台は極端ではありますが、たとえ心から口にしているわけでも矯正されているわけでもなくとも、グレゴリーに「お前は正常ではない」と叫ばせてしまえるほどに、社会的・心理的な圧迫が力を持ち得てしまっているという点に、現実にも通ずる恐ろしさがあります。
「時間の庭」増田まもる訳(The Garden of Time,1962)★★★★☆
――数えきれない人間の大群が地平線をこえてくるのが見えた。伯爵が時間の花を摘んでテラスに戻ると、花はきらめきながら結晶が溶解し、夕日めざして飛び去った。すると平原まで広がっていた大群衆は地平線まで後退し、そのまま静止したかのようだった。
時間の花というアイデアから、壮大ともいえる滅びや頽廃を美しく描いていて、地味ながら実にバラードらしいと思います。
「ステラヴィスタの千の夢」永井淳訳(The Thousand Dreams of Stellavista,1962)★★★★☆
――わたしが購入しフェイと暮らすことにした精神に感応するその家は、かつて映画スターのグロリア・トレメインが夫を殺した疑いを持たれた家だった。すぐにフェイはその家に影響され始め、とうとう家に殺されそうになった。
ヴァーミリオン・サンズもの。ヴァーミリオン・サンズではいろいろなものが「生きて」いますが、今回も、死者の記憶を持つ生きた家というユニークなものが登場します。
「アルファ・ケンタウリへの十三人」永井淳訳(Thirteen to Centaurus,1962)★★★★★
――エイベルは知っていた。十六回目の誕生日を迎えた直後に推測したことは当たっていた。ドクター・フランシスによれば、ステーションよりも大きな惑星というものは実在するという。そしてエイベルたちは惑星からアルファ・ケンタウリへと向かうステーションで生きる、条件付けをされた何世代目かの子どもなのだ。
バラードには珍しく、宇宙空間で暮らす人々の人間模様を描いたブラッドベリのような作品かと……思ってしまいましたが、そんなことはまったくありませんでした。皮肉どころか悪意さえ感じさせる現実でした。
「永遠へのパスポート」中村融訳(Passport to Eternity,1962)★★★☆☆
――「今年はきみに休暇旅行の手配をしてもらいたい」夫のクリフォードのひとことに、妻のマーゴットはうれしそうに身を乗りだした。目先を変えるために旅行代理店を残らずまわってお勧めを聞いてきてもらうことにした。
時代や世界が違っても、夫婦のやることは変わらないな、という感じです。
「砂の檻」中村融訳(The Cage of Sand,1962)★★★★★
――いまだに地球を周回している遺棄された七つの衛星カプセルが一堂に会して空を渡る時期がきた。火星の砂に埋もれた街も、かつてはリゾート地だった。今は疎開命令が出され立入禁止になっている。夫が遭難した衛星を見つめているルイーズ・ウッドワードを、ブリッジマンは見つめていた。
火星の砂に埋もれた街――『沈んだ世界』や『結晶世界』でおなじみのバラード世界そのものが舞台となっています。すでに終わりが決定的な世界で、滅びをともにする人々。
「監視塔」柳下毅一郎訳(The Watch-Towers,1962)★★★★☆
――その翌日、どういうわけか監視塔の活動が活発になった。レンサルはいつも監視塔を無視しようと努めているのだが、通りの端まで行ってからこっそりと首をまわした。レンサルが会いに行くと、オズモンド夫人は監視の強化されたことを気にしていた。「あいつらの行動の意味なんてわからない。それにあいつらだって壁は見通せないさ」
(たぶん)監視している存在がいるらしいのですが、疑心暗鬼ですらなく、監視している“ということになっている”というのがしっくりきます。そしてこの“ということになっている”というだけのことを、伝統とか常識だとか思い込んでいるひとが現実には存在するから困り者です。
「歌う彫刻」村上博基訳(The Singing Statues,1962)★★★★☆
――ルノーラ・ゴールンは顔に怪我をしてから売れ出したが、やがて女優をやめて美術界のパトロンになった。そのルノーラがネフェルスのギャラリーに入ってきて、ぼくが内部にひそんでいるとも知らず〈ゼロ軌道〉に目を留めた。このチャンスに、ぼくは思わず自分で歌っていた。
歌う彫刻というアイデアはもちろん、どこか退廃的で病んでいるような女優の存在にいたるまで、ヴァーミリオン・サンズらしい道具立てが揃っています。この道具立てあってこそ、芸術家気取りのパトロンに対する諷刺などというつまらないものではなくなっています。
「九十九階の男」永井淳訳(The Man on the 99th Floor,1962)★★★☆☆
――フォービスは百階に到達しようとして終日がんばった。だが九十九階まで来るとそこから先に進めなくなった。フォービスが自殺しようとしていたと考えた大学教員のヴァンシタートは、フォービスが催眠術をかけられていると考えた。
百階を目指す男と催眠術の犯罪というサスペンスこそ引き込まれるものの、終盤はさしてひねりもなく黒幕が出て来ておしまい、という内容でした。
「無意識の人間」柳下毅一郎訳(The Subliminal Man,1963)★★★☆☆
――「また看板だ」とハサウェイが言った。禁止されているサブリミナルによって購買意欲を植えつけられているのだとハサウェイは信じ込んでいた。
当時としてはかなりの諷刺だったのかもしれませんが、今となっては当たり前すぎて却って面白味がありません。
「爬虫類園」浅倉久志訳(The Reptile Enclosure,1963)★★★☆☆
――「あの人たちを見ているとガダラの豚を思い出すわ」テラスの下には、砂浜から砂丘の上まで、寝そべった人々の体で埋めつくされていた。
レミングの集団自殺という俗説でおなじみの行動が、ガダラの豚になぞらえられていて、終末世界の得意な(?)バラードらしい幻想感に溢れていました。
「地球帰還の問題」永井淳訳(A Question of Re-Entry,1963)★★★★★
――軌道からはずれて行方不明になったスペンダー大佐のスペース・カプセルをさがしに、コノリー中尉は南米のジャングルに足を踏み入れた。現地ではライカーという白人がインディオたちと過ごしていた。
目的こそ宇宙船の乗組員をさがすことでありながら、問題とされているのは宇宙のことではなく文明と価値観のことで、それが宇宙のこと以上に読む者の心を揺さぶります。
「時間の墓標」増田まもる訳(The Time-Tombs,1963)★★★★☆
――いつか復活できることを信じて、三次元データを埋葬した王朝の「時間の墓」。盗掘人のシェプリーが見つけたのは、絶世の美女の墓所だった。
謎めいた美女に囚われてしまうというところからはヴァーミリオン・サンズものにも通じるところがあります。美女そのものが幻だったという儚い話です。
「いまめざめる海」増田まもる訳(Now Wakes the Sea,1963)★★★★☆
――夜になるとまたしても、メイスンは近づいてくる波の音を耳にした。「ゆうべもまた海を見たよ」と妻に話しても、「いちばん近い海だって千マイルは離れているわ」と言われてしまった。
この時期のバラードはアイデアSFみたいな話だったり幻想小説としか言いようのない作品だったり振れ幅が大きいようですが、本書収録作のなかではこれは「砂の檻」と併せて幻想系の代表作だと思います。