『La Maison à vapeur. Voyage à travers l'Inde septentrionale』Jules Verne,1880年。
シパーヒーの反乱(セポイの乱)の指導者だったドゥンドー・パント(ナーナー・サーヒブ)がボンベイに現れたという情報がもたらされた。だがナーナーに妻を殺されたマンロー大佐はそんなことも知らずに、友人である語り手モークレールとバンクス技師とホッド大尉とマックニール軍曹と語らっていた。旅をするなら列車でも馬車でもなく、移動できる家でするのが一番だ、と。斯くして大佐たちは象の外装のエンジンに曳かれた二軒の家でインドを横断する。
明治の未完訳以来の完訳です。
一見すると八十日間世界一周の二番煎じです。ところがそれにしては八十日間にあったような賭けによるタイムリミットもありませんし、道中がインドに限られているので多様性もありません。マンロー大佐に妻を殺されたナーナーと、ナーナーに妻を殺されたマンロー大佐による、相互の復讐劇――という波瀾万丈になりそうなテーマは表に出て来ることはありません。ではこの作品の魅力は何なのかというと、セポイの乱をはじめとした、旅する先々でのインドの歴史と紀行ということになりそうです。それも八十日間の二番煎じではありますが。
第二部に入って動物商マティアス・ファン・ハウトが登場してからは、大佐やナーナーそっちのけで虎や豹や象との攻防が続き、この辺りの娯楽パートはさすがにヴェルヌらしい生き生きとした魅力に溢れていました。
登場人物が多いわりにキャラクターも記憶に残りません。語り手と従者は単なる語り手と従者以上のものではありませんし、マンロー大佐も影が薄い。ナーナー・サーヒブも初登場のインパクトに比して、因縁の対決(のはずの)クライマックスも、ナーナーが表に出て来ることはなく、もっぱらマンロー大佐の救出と再会に筆が費やされてしまっていました。全篇通して目立ったのは、狩猟キチガイのホッド大尉と技師のバンクスがはしゃいでいるくらいです。語り手に至っては、途中から語り手の地位すら取り上げられてしまう始末でした。鋼鉄の象を「死んだ」と表現しながらインド人ナーナーの死を虎狩りと称する殖民地イギリスの視点には、フランス人である語り手の視点は邪魔だったのかもしれません。
[amazon で見る]