双葉社から出版されていた『痛みかたみ妬み』全篇に、『またたかない星』収録作から『殺さずにはいられない』には未収録の2篇と、『小説ジュニア』掲載の単行本未収録作2篇を加えた増補復刊短篇集とのこと(解説より)。
「痛み La Peine」(1978)★★★☆☆
――先生、ごめんなさい……。決闘のすえ感化院から運び込まれてきた少女は、声にならないうわごとを繰り返していた。院長と話すうち音楽が好きだったことを思い出してゆく少女。だが同室の少女〈青狐のケイ〉は、それが気に食わなかった。決闘は心地よかった。ナイフで切り裂いているのは先生の顔だった。……治療が終わっても激しい痛みは続いた。
ミステリ的なタネはささやかなものですが、独特の臭いほどにロマンチシズム溢れる文体で、抑圧された思春期の痛みが綴られています。語り手の名前が記されていないので、もしや叙述トリックなのではないかと危惧と希望を半々で読み進めていたのですが、通過儀礼としての自分殺し母殺しというわけにはいかなかったようです。
「かたみ Le Mémento」(1979)★★★★☆
――高浜契子がホテルの部屋で死んでいるのが見つかった。夫からはつまらない妻だと思われていた。戦争で死んだ想い人のことが忘れられず、夫とのことはただの義務であり、子どもたちのことも夫の子だと思うと吐き気を催すこともある。ときどき松山を呼び出すのは、昔のことを分かり合える相手だというだけ……。小田切警部は捜査を始めた。
なぜ平仮名なのかと思いましたが、そうか「形見」だと語尾が「~み」で揃わないんですね。「エミリーの薔薇」を連想させる一途な悲恋とも恐怖譚とも取れますが、どの時点からうつつとのあわいがわからなくなっていたのでしょうか。死者や亡霊などではなく生身の相手というのが不気味です。
「妬み La Jalusie」(1980)★★★☆☆
――『道成寺』ね、あの女《ひと》も四十年踊り続けて、とうとう文部大臣賞を狙うところまで来たのねえ。あの女とは幼稚園から一緒で、気が合って……。嘘だ、嘘だ、真っ赤な嘘だ。あたしの書いたものを褒められたときは(勝った!)と思った。けれどあのかたが選んだのは結局はあの女のほうだった……。
他人向けのたてまえと内的独白の本音とが交互に綴られながら、最後の最後に外にまで本音が噴出するところに、妬みの深さと執念深さを感じます。私情を差し挟んではならない場面でここぞとばかりに差し挟むのは、妬みというより悪意と言ってもよいでしょう。
「セラフィーヌの場合は」(1972)★★★★☆
――「情婦《おんな》ができたんだね? あなたの夫に」とピエールは訊ねた。「わからないのよ、それが」セラフィーヌが答えた。「夫の相手が女なのか、男なのか」。セラフィーヌは大使館員ド・ボアン氏と結婚して日本に滞在している。ピエールが滞在できるのは四、五日しかない。ピエールはド・ボアン氏を尾行することにした。
セラフィーヌという「セラフィタ」を連想させる名前の入ったタイトルが冠せられ、冒頭から両性具有に関するような会話があり、それが歌舞伎という現実に落とし込まれる発想と展開は素晴らしいとしか言いようがありません。さらには主要登場人物がフランス人であることを疑問に感じさせない小泉喜美子の作風自体が仕掛けになっているところも、著者にしか書けない傑作と言っていいでしょう。
「切り裂きジャックがやって来る」(1976)★★★☆☆
――今ぼくはこの病院に入院中である。新聞には切り裂きジャックの再来のような事件の見出しが踊っていた。その手口の見事さから、切り裂きジャックは医者なのではないかという説がある。その物語について話そうか。だが、もしかすると、あの院長のやつ……。
あまりにも見え透いた真相ゆえいろいろとほかの可能性を勘繰ってしまいましたが、切り裂きジャックが医者だという説を持ち出したり、ロバート・ブロック「切り裂きジャックはあなたの友」の結末を示唆したりしたのは、もしかするとミスディレクションの狙いがあったのかな……。
「影とのあいびき」(1977)★★★☆☆
――中近東某国のナディン氏は、接待で連れられた歌舞伎に目を奪われた。「廿四孝」の八重垣姫を演じていた玉村扇二郎に夢中になったのだ。だがせっかく機会を作って扇二郎に会わせても、「このひとではない」と言う。会いたいのは俳優ではなく、あのひとだと……。
舞台の上にしか存在しないモノに惚れられたのなら、あるいは俳優にとっては本望でしょう。歌舞伎の世界とアラビアン・ナイトの世界を掛け合わせた異類との恋愛譚です。
「またたかない星《スター》」(1977)★★☆☆☆
――女流画家が旅行先の林を飼い犬と散歩していると、垣根の向こうから少女の手が伸びて、手紙を渡された。「助けて。ここに監禁されているの。水影美藻」。人気スターの名だ。誘拐されたというニュースは聞かないが、撮影中の事故を境に顔が変わったと感じる人も多いという。怪我のせいだと事務所は言うが、果たして……。
おとぎばなしであり、テレビの虚像の象徴であり、というのはわかりますが、さすがに現実的にはあり得ずミステリ的にはわかりやすすぎでした。スターと付き人の入れ替わりという少女漫画風のシナリオは、掲載媒体が少女小説誌ということを考えればむしろ当然ではあるのですが。
「兄は復讐する」(1974)★★☆☆☆
――歌手を夢見て上京したじゅん子が何度も金を無心した挙句に自殺した。歌手志望者を食い物にするもぐりのスタジオがあると知った兄の研吉は、懐に庖丁をしのばせてスタジオを訪れた。
さすがに田舎者を馬鹿にしているような気もしますが、兄が無知で近視眼的で愚かでなければ物語が動かないのだから仕方がありません。後半四編のうちこの作品だけは少女小説誌ではなく『小説推理』に発表されていますが、大人向けにしては薄い内容でした。
「オレンジ色のアリバイ」(1978)★☆☆☆☆
――友人の奈々子に殺人容疑がかけられた。梨路と会ったときには確かにオレンジ色の服を着ていたのに、タクシーの運転手は灰色だったと主張した。
単行本未収録だったのは単純に出来栄えが良くないからでしょうね。学習漫画の推理クイズレベルの錯誤でした。
「ヘア・スタイル殺人事件」(1978)★☆☆☆☆
――美容室のスチーム・バスで嫌われ者の女が蒸し殺された。機械の温度を上げることは従業員と利用客の誰にでも出来た。薄毛が気になる大石警部。
同じく単行本未収録作品。犯人当てクイズなので、小泉喜美子の特徴であるお洒落すらありません。
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