『事件』大岡昇平(創元推理文庫)★★★★☆

 1961年から1962年にかけて連載され1977年に刊行された作品です。ミステリの老舗である東京創元社から再刊されました。

 フィクションとはいえ映画や小説とは違う裁判の実態を明らかにしようという意図や、戦後16年経たった1961年現在いまだに引きずっている古い部分と新しい部分に対する批評が、21世紀になって古びてしまっているか力を持ち得ているか――現在の現実の裁判を知らないのでそこはまったくわかりません。

 小説ですから多少ドラマチックなのはやむを得ないとはいえ、宮内という証人の嘘が裁判中に暴かれるというのは小説的すぎてシラけました。殺人の目撃者がいたというのも都合がよすぎます。花井先生が聞き込みをするという、裁判小説に馴染まない場面は、青春小説的なものを目指していた当初のなごりでしょうか。

 その一方で、「殺人」と「傷害致死」では社会的にまったく異なる――というのは、推理作家の手になるミステリでは出て来ない視点でしょう。刺した前後のことははっきり覚えていないという被告人の言葉から、推理小説的な真犯人を期待する余地は残されているとはいえ、被告人が刺したことはほぼ間違いないことなので、事件のゆくえは結局のところは罪状がどうなるかという極めて地味なものなのです。

 本書は裁判小説と銘打たれてはいますが、基本的に証言の検証に絞られています。被告人や証人の言葉から勘違いや嘘や物忘れや言い落としをつつき、真実を(というか、法律的な落としどころを)探ってゆく。これがこの小説だけの特徴なのか、それともこれが現実の裁判というものなのか、やはりわたしにはまったくわかりません。

 一九六一年夏、神奈川県の山林で刺殺体が発見される。被害者は地元で飲食店を経営する若い女性。翌日、十九歳の少年が殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。―― 最初は、ありふれた殺人のように思われた。しかし、公判が進むにつれて、法廷で意外な事実が明らかになっていく。戦後日本文学の重鎮が圧倒的な筆致で描破して、第三十一回日本推理作家協会賞に輝いた不朽の裁判小説。(カバーあらすじ)

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