『終点のあの子』柚木麻子(文春文庫)★★★★★

 柚木麻子のデビュー連作集。ちょっと悪ノリしすぎのものもある最近の作品とは違い、リアルで地に足の着いた登場人物たちに親しみと共感を覚えます。またシリアスな作品も書いてほしい。
 

「フォーゲットミー、ノットブルー」(2008)★★★★★
 ――一体いつ終わるのだろう。希代子の通う私立女子校の最寄り駅はいつ見ても工事中だ。「完成しないところに良さがあるんだよ」という声に振り向くと、青色のワンピースを着た女の子が立っていた。写真家を父に持ち海外暮らしも長い奥沢朱里は、奇矯な言動ですぐにクラスでも浮き始めた。朱里と仲良くなれて興奮していた希代子だったが、学校をさぼって電車に乗ろうと誘われたとき、土壇場で逃げ出した。朱里に言われた「意気地なし」という言葉が刺さった。

 オール読物新人賞を受賞したデビュー作。悪口のセンスを見るに頭はいいのであろう朱里が人間関係には疎くて、朱里を孤立させるためにクラスメイトの会話を誘導するくらい頭も対人スキルもある希代子がでも落としどころがわからなかったりと、誰もが持っている不完全さが描き分けられているので、登場人物の誰をも嫌いにはなれません。なかでも娘を守るために悪気も自覚もなく翻意する母親がリアルで、現実にはこんな人間は大嫌いなのですが、でもこの母親が憎めないのは、娘を愛するがゆえだとわかっているからでしょう。

 タイトルは作中に登場する「勿忘草の青」という絵の具の色に由来しますが、そこに読点が打たれることで「青ではなく、私を忘れて」となるのでしょう。「朱里は、希代子がしたことを大人になっても忘れないだろう」と確信しているにもかかわらず。

 体重が増えたため階段を上るのに苦労するという描写によって、勉強ばかりしていたという事実によりいっそうの現実感が生まれているところが好きです。
 

「甘夏」(2009)★★★★★
 ――森奈津子は生まれて初めて抱く秘密の重さにくらくらした。夏の間に変身しよう。高校に入ってから突如、階級制度が発生し、親友の希代子ちゃんまでもが奥沢朱里という外部生と親しくなっていった。隣のクラスのミッツーに相談して、バスで三十分かかる市民プールで禁止されているアルバイトをすることにした。佐久間さんという大学生のことが気になる。お嬢様校だと知ってからちやほやしだした大学生たちを、ミッツーは切り捨てるけれど……。

 イケてない女子の勘違いによる全能感に、読んでいてはらはらさせられました。若さとは傲慢さであり、周りが見えなくて当然の年頃ゆえに、本書の女の子たちはみんな何かしら自分を肯定して他人を否定してばかりいます。終わらない工事に続いて、酸っぱい甘夏を甘くする譬喩が用いられていました。
 

「ふたりでいるのに無言で読書」(2010)★★★★★
 ――この夏は卓也とのデートで埋め尽くされる予定だった。フラれて一人になりたい恭子は、図書館に足を向けた。……普段は読めない長篇をたくさん読もう。早智子は実は漫画よりも小説を読むのが好きだった。……恭子は早智子に声をかけた。可愛い制服を無頓着にただ着ているだけなのが腹立たしい。「本好きなんだ。どんな本読むの」何の気なしにつぶやいた恭子の問いに、早智子は身を乗り出して語り出した。早智子の語る『危険な情事』のあらすじは面白かった。

 リーダー格の菊池恭子とオタクの保田早智子が主役です。他人の視線を気にする恭子と対照的にいっさい気にしない早智子が、読書という意外なところで繋がりますが、やはり対照的すぎて長続きはしませんでした。わたし自身はマイペースすぎる早智子にすこしいらいらしましたが、それはつまり、わたし自身は他人の視線を気にする側寄りの人間だということなのでしょうか。読書の楽しみが描かれているところが著者らしかったです。
 

オイスターベイビー」(2010)★★★★★
 ――杉ちゃんには誰もが一目置いていた。二十二年で初めての親友。朱里はずっと同性が苦手だった。絵に迷いがない――杉ちゃんはそう言ってくれるけれど、四年間の迷いの末にたどり着いたのが父親と同じカメラだった。恋人の淳之介は就職が決まらず焦っていた。美大を卒業しながら企業のデザイン部を受けるとは、朱里に言わせればプライドがなさ過ぎだ。淳之介が優しくしている美咲のことも、朱里に気があるくせにうじうじしている島根のことも、気に食わない。

 四年後が描かれます。これまでの登場人物は若さゆえに周りが見えていないだけでしたが、ひとり朱里だけは確信的に他人と違う自分に浸りたくて他人を否定して優越感を得ています。就職や『魔女の宅急便』をしたり顔で否定する意識高い系ぶりが痛々しい。そんな朱里と気が合うのが、他人の女だから遊んでいただけの島根だというのが皮肉です。それにしても、もう大人なんだから自分の責任とはいえ、朱里に対する人間関係にしても芸術方面に関しても、瑠璃子さんが無責任に思えてしまいます。「フォーゲットミー」に対するアンサーは「忘れることなどできない」。みんなにとっての乗換駅で、ひとり終点に置いて行かれる朱里には、四年が必要だったのかもしれません。

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