類書との重複を避けて選んだ猫SF&ファンタジー傑作選。さすがにもう過去の作品を編んだものは落穂拾いなのかも……という感想です。
「地上編」
「パフ」ジェフリー・D・コイストラ/山岸真訳(Puff,Jeffery D. Kooistra,1993)★★★☆☆
――五歳になる娘のヘイリーに請われてマフィンという猫を飼いはじめたが、しばらくして野犬に殺された。その一年前には妻のドロシーが、カーテンやカウチに爪を立てるマフィンを快く思わなくなっていた。わたしは実験室で子猫の成長を止めることに成功した。学習能力の高い成長期のまま止められたパフは、驚くべき量を学習していった。
ペットが仔どものままだったらいいのに――という人間の勝手な希望と、猫の魔性が人工的に作り出された顛末を描いて、(パフはしゃべることこそしませんが)しゃべる猫の系譜に連なる作品です。パフが野犬に仕掛けた罠がしょぼくて、あまり頭がよくなったように見えないのが難点です。
「ピネロピへの贈り物」ロバート・F・ヤング/中村融訳(Pattern for Penelope,Robert F. Young,1954)★★☆☆☆
――このままではピネロピのミルクも買えない……請求書を前に溜息をついたミス・ハスケルがふと見ると、雪が吹きなぐる寒風のなか、少年がコートも着ずに立っていた。室内に招かれた少年は、猫というものを初めて見るかのように、好奇心を露わにした。
ヤング特有の甘ったるい作品ですが、甘ったるさの対象が人間ではなく猫であるおかげで、気持ち悪さはありませんでした。
「ベンジャミンの治癒」デニス・ダンヴァーズ/山岸真訳(Healing Benjamin,Dennis Danvers,2009)★☆☆☆☆
――〈治癒の手〉の力を得たのは十六歳のときだ。心臓が止まったベンは生き返ってからはだいたい四歳のままだった。医師に診せるのはやめた。ぼくは四十六歳になり、ベンは四十九歳になっていた。猫年齢で三百二十九歳。ぼくはシャノンと知り合い、事実上の同棲を続けていた。ベンが人間の男だったらぼくは嫉妬しただろう。
死者を生き返らせる力がうっかり出せちゃったとしたら――飼い猫を生き返らせるだけ。その力が引き起こすであろう問題には語り手は無関心だし、そもそも力を使おうともしません。恋人がその問題を切り出したときにも、語り手は向き合おうとはしませんでした。年老いずに元気なままの猫ともふもふしていればそれで幸せ、そんな猫に対する特別な愛情がある人だけが楽しめます。
「化身」ナンシー・スプリンガー/山田順子訳(In Carnation,Nancy Springer,1991)★★☆☆☆
――この猫の九つの生命のうち八つは使ってしまった。残りはひとつきり。後悔のない使い方をするつもりだ。カーニヴァルに潜り込んだ彼女は黄金色のストリッパーとなり、サングラスをかけた男っぽい“あててみようか男”に会いに行った。人間の言葉は難しいが、思念を読むことができる。ところが反対に意識にタッチされ、彼女は逃げ帰った。
九つの命のある猫が最後の生を生き、美女に化けて選んだ男は……北欧神話を題材にした作品ですが、幻想的な書き込みが足りず主要な部分が猫と男の会話で明かされるためか、猫と男の正体はギャグだとしか思えませんでした。
「ヘリックス・ザ・キャット」シオドア・スタージョン/大森望訳(Helix the Cat,Theodore Sturgeion,1973)★★★☆☆
――ぼくが柔軟ガラスを開発している時、猫のヘリックスが落とした瓶が床に落ちてジャンプした。「このとんま。話がある」その声は瓶から聞こえた。声は交通事故で死んだ魂だと名乗った。魂を食べる〈彼ら〉から逃げ込んだという。ぼくは偶然から〈彼ら〉を遮断できる物質を作りあげてしまったらしい。
特殊な壜に閉じ籠もった男の魂によって改造された猫が、可愛くない!の一言に尽きます。しかもその可愛くない猫はわりと脇役で、ふたたび肉体を得たい魂と語り手のやりとりがメインなのが笑えます。
「宇宙編」
「宇宙に猫パンチ」ジョディ・リン・ナイ/山田順子訳(Well Worth the Money,Jody Lynn Nye,1992)★★★☆☆
――遠征隊に志願して採用されたのは、ジャーゲンフスキーを含めた三人だった。それと船猫のケルヴィン。トーマスが〈パンドラ〉に呼びかけた。「出発しよう」[目的地は?]「二七度五〇分」[了解]。「猫にもちゃんと用意してやらないとな」それがきっかけだった。〈パンドラ〉は猫の食べたいものを自主的に用意するようになった。
ふざけた邦題に加えて、宇宙船のAIが猫を乗務員と認識してしまうドタバタを描いた前半から、ユーモアものかと思っていると、後半からはまさかの活劇に。なるほど邦題通りの内容でした。前半のユーモアも、後半にAIが猫の指示に従うための下敷きだったんですね。
「共謀者たち」ジェイムズ・ホワイト/中村融訳(The Conspirators,James White,1954)★★☆☆☆
――〈脱出〉のための仕事についていた〈小さな者〉が事故にあったらしい。シンガーが一部始終を見ていた。フェリックスは焼け焦げた〈小さな者〉の死骸を動かした。「よし、鳥頭。もう行っていいぞ。あんたはおれを怖がることになっているんだから」「ホントに怖いんだよ」シンガーが飛び出して行った。
重力の欠如が長びいたことで起こった〈変化〉によって知能指数が上昇しテレパシー能力も身につけた猫とカナリアとモルモットとハツカネズミが、宇宙船内を人間に見つからないように移動しようとする話。『冒険者たち』みたいで絵面は悪くないのですが、もっと物語に躍動感がほしかったところです。
「チックタックとわたし」ジェイムズ・H・シュミッツ/中村融訳(Novice,James H. Schmitz,1962)★★☆☆☆
――テルジーはチックタックとテレパシーで意思疎通ができるようになっていた。チックタックが絶滅したバルート・カンムリネコの生き残りであり、政府の保護を受けなければならないと博士から聞かされたテルジーは……。
連作集『テルジーの冒険』の一篇。獲物に応じてハンターも獲物から狩られるリスクが設定されているという異星の文化が面白かったので、この設定を活かした物語であればよかったのに。
「猫の世界は灰色」アンドレ・ノートン/山田順子訳(All Cats Are Gray,Andre Norton,1953)★★★☆☆
――スティーナはキュートな女ではない。月のように色彩に乏しい。だが〈火星の女帝〉事件を解決したのもスティーナだった。最大の懸賞船〈火星の女帝〉が近づいていることを野心家のクリフに知らせ、猫のバットと一緒に宇宙船に乗った。財宝の積まれた〈火星の女帝〉に乗り込んだ者は、それきり消えてしまうか逃げ帰ってくるかのどちらかだった。
ファンタジー作品が多い本書中にあって、本書は色に関するSFでした。原題「All Cats Are Gray」が「見た目は重要ではない」「猫は(色盲なので)世界が灰色に見える」の二つの意味で用いられていて、それが単なる言葉遊びではなく内容を象徴するものになっていました。作品の長さも短く、未知の生物との交戦や正体に関してもあっさりとしているため小品という印象です。
「影の船」フリッツ・ライバー/浅倉久志訳(Ship of Shadows,Fritz Leiber,1969)★★★★☆
――スパーが悪夢を見て目を覚ますと、猫が低い声で罵り声をあげた。話す猫だっているだろう。スパーは猫にキムと名づけて職場〈こうもりの巣〉に出かけると、クラウンの情婦が入ってきて月の露を注文した。昨日クラウンが忘れた黒いカバンを取りに来たのだという。スパーは何食わぬ顔で黒いカバンを本来の持ち主であるドックに返し、視力を取り戻す約束を取り付けた。
作品世界の成り立ちに関わる大きなネタ自体はありきたりなものなのに、そこに魔女とか吸血とかいったものが組み込まれて得体の知れない鵺のような作品になっているのはさすがです。町の顔役のような男が恐怖で支配する無重力空間で、目の悪い老人(?)が知る真実が、あれよあれよと明らかになります。目はともかく歯は何なのかと思っていたら、ちゃんとつながっていました。
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