『だから殺せなかった』一本木透(東京創元社)★★★★☆

『だから殺せなかった』一本木透(東京創元社

 各種ベストテンにランクインした「『屍人荘の殺人』と栄冠を争った第27回鮎川哲也賞優秀賞受賞作」。

 「おれは首都圏連続殺人事件の真犯人だ」大手新聞社の社会部記者に宛てて届いた一通の手紙。そこには、首都圏全域を震撼させる無差別連続殺人に関して、犯人しか知り得ないであろう犯行の様子が詳述されていた。送り主は「ワクチン」と名乗ったうえで、記者に対して紙上での公開討論を要求する。「おれの殺人を言葉で止めてみろ」。連続殺人犯と記者の対話は、始まるや否や苛烈な報道の波に呑み込まれていく。果たして、絶対の自信をもつ犯人の真の目的は――劇場型犯罪と報道の行方を圧倒的なディテールで描出した、第27回鮎川哲也賞優秀賞受賞作。(カバー袖あらすじ)

 著者と同名の太陽新聞記者・一本木透が事件に臨むモノローグと、とある青年・江原陽一郎の家族を巡るモノローグから構成されています。

 選評でも述べられているように、この新聞記者の一人称が圧倒的に読ませます。新聞の売り上げ不振による報道とワイドショー的事件の相克が冒頭から描かれるなか、きれいごとと批判された被害者/加害者家族の特集に対する回答は、一本木の過去でした。その顛末は物語としてはありふれてはいるものの、正義と個人の幸せというジレンマは重く、しかもその正義自体が揺らいだものだったというのでは、拠って立つ地盤自体が揺らいでしまいかねません。正直なところ、二十年で立ち直れる語り手は、強いか鈍いかのどちらかでしょう。

 もう一人の語り手である、一本木の記事および太陽新聞の読者である江原陽一郎も重い過去を背負っていました。父親への思いや家族との微笑ましいエピソードが綴られ、特に「タブ鹿」といった細部には身内だけが持つ絆のリアリティが感じられます。だからこそ、真実が明らかになったときの衝撃は計り知れません。

 さて、一本木の特集記事を読んだ連続殺人の犯人から挑戦状が届きます。犯行を「言葉で止めてみろ」というのがポイントですね。「つかまえてみろ」でも「止めてみろ」でもない。一本木たちがおこなうのも、だから犯人探しではなく犯人への反論ということになるのですが、一本木個人が指名されたとはいえそこは新聞という半ば公的な器である以上、はっきり言えばきれいごとしか述べられていません。謎解きという点に関していえば、この紙上討論がむしろ中だるみと言っていいでしょう。

 一本木の反論だけではなく街の声や社説を載せようとするピントのずれ方が現在の新聞らしいとも言えますし、殺人事件を売り上げに結びつけることには批判的でありながら、現実であれば四人目の被害者が出た時点で一本木と太陽新聞に対するバッシングが起こるであろうことには無頓着であるところなど、ひっくるめてメディア批判と言って言えなくもありません。もっとも、後者に関しては、そこまで書くとミステリ小説としてバランスが悪くなるのは確かです。

 事件は200ページを超えたところで新たな局面を迎えます。これがひどい。「犯人を知っているけれど今は言えない」――これまでのリアリズムをぶち壊すような、作り物のミステリが顔を出します。これだけでもひどいのに、この明らかに作り物っぽい部分が実際に作られた部分だったというのは、本書の一番の欠点でしょう。

 結局この作り物の部分が尾を引いて、犯人の動機もなにもそらぞらしいものになってしまいました。タイトルになっている「だから殺せなかった」理由こそ胸を打ちますが。

 しかも本書は決していい話では終わらせません。いい話風にまとめてはいますが、犯人視点で見れば一本木は屑でしょう。一本木自身もそれを自覚していながら、すでに過去の思い出になってしまっているようです。何食わぬ顔でしれっとこういうことを書くあたり、著者はかなり意地の悪い人なんだろうなと思います。

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 だから殺せなかった 


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