『妖盗S79号』泡坂妻夫(河出文庫)★★★★★

『妖盗S79号』泡坂妻夫河出文庫

「第一話 ルビーは火」(1979)★★★★★
 ――会社が倒産して無職になった松本は、海水浴場の監視員のアルバイトをすることになった。そのうち常連に気づいた。まずは学生の四人連れだ。それからオープンシャツを着た初老の二人連れ。子どもを連れた老人。そこに若い女性の二人が加わった。双眼鏡で眺めていると、指輪を連れに預けたオレンジ色の水着の女性が海に入り、波にさらわれた。松本は海に飛び込んで女性を助けたが、いつの間にかルビーの指輪が消えていた。

 泡坂妻夫の奇想と伏線の詰まった好篇。冷静に考えればこれしかないという隠し場所とも言えるのですが、「折れた剣」の発想をアレンジして押し進めたようなロジックのおかげで唯一無二の輝きを放っています。これは舞台が浜辺でなくてはならないのですが、逆説的ながら浜辺だからこそ隠す場所がないという不可能興味も同時に存在しているように、道具立てが完璧です。
 

「第二話 生きていた化石」(1980)★★★★☆
 ――ダイヤ以上の価値がある生きた化石と呼ばれるオキナエビス貝の新種が更藤デパートで展示される。東郷警部はS79号を捕まえる機会を逃さず、ルビー事件の関係者に招待状を送った。来賓の宮妃殿下がケースに触れて警報器を鳴らしてしまうトラブルはあったが、無事に展覧会初日は終了した……かと思われたが、近くに誰もいないのに警報器が鳴り響き、見ると貝殻は消えていた。

 第一話では松本と黒壁だった探偵役を、第一話で被害者だった戸村美矢が務めます。第一話に引き続き、怪盗ではなく獲物の方にどうこうしてもらうという趣向が取られており、それがタイトルのダブルミーニングにも表わされている凝りようです。サラリーマン刑事の愚痴だと思われたものが伏線になっているのにも舌を巻きました。
 

「第三話 サファイアの空」(1980)★★★★☆
 ――麻子が目覚めると見知らぬ部屋のベッドにいた。昨夜は酒を呷り……「秀」という青年の名前が甦った。「電話はそこだ。家に電話するんだろう? パパは?」「会社」「ママは?」「幸江は心配なんかしないよ。ママじゃない。パパの情婦さ。そうだ、わたしが誘拐されたことにして困らせて、宝石を送らせてやれ」「身代金の受け取りで捕まってしまうぞ」「だったら受け取らない。幸江の困る顔を見るだけでいいんだ。だから、石を風船かなんかに付けて、空に飛ばさせる」

 前二話に引き続き、泥棒の方から盗みに行くのではなく獲物の方からやって来てもらうという発想が踏襲されています。「ルビーは火」と同様のアイデアにはロマンがありますが、実はそのアイデアが警察の目を欺くためのミスディレクションであると同時に読者へのミスディレクションにもなっているところが巧みです。手口自体はあまりにも現実的であるにもかかわらず、それを気づかせないのは、警察も読者もS79号と泡坂妻夫のマジックに魅せられてしまっているからでしょう。S79号がこの手口を思いついたのは語呂合わせからでしょうか【※8・10】。二宮刑事が探偵役を務めます。第二話に続いて連続殺人犯・切岡孝保について言及がありました。
 

「第四話 庚申丸異聞」(1981)★★★☆☆
 ――実在《みあり》は徹底した現実主義による〈実在実験舞台〉の演出家であり、今回は〈三人吉三廓初買〉の本来の狙いを浮き彫りにする演出をおこなった。切岡事件で忙しい捜査一課から切符を譲り受けた東郷と二宮は、その芝居を観に行く。S79号を追う東郷にとって、盗賊が出て来る作品も研究の一環であった。なるほど金と宝物が人を狂わすのは現代にも通じる。と思って二宮が隣を見ると、東郷は思いのほか舞台に見入っていた。

 東郷警部と二宮刑事が観劇しているだけのうちにいつの間にか事件が始まっているという趣向は面白いものの、現実主義に凝り固まった劇団という設定だけである程度の見当はついてしまうのが難点です。俳優の芝居への観察眼が光る東郷警部が探偵役を務めます。
 

「第五話 黄色いヤグルマソウ(1982)★★★☆☆
 ――マンション十階のベランダから珍しい黄色いヤグルマソウがなくなった。新聞の投書を読んだ東郷警部は、S79号が盗んだ宝石を一時的に鉢植えに隠し、それを回収したに違いないと考える。小学校の校庭でも黄色いヤグルマソウが発見されたため、東郷警部は宝石を回収に来るS79号を捕まえるため小学校で張り込みを始める。そして運動会の日……。

 第三話で捨てネタに使われたアイデアが二段構えという工夫のうえで実用化されていました。火のないところに煙を見てしまう東郷警部のおかげでそのアイデアは見抜かれたため、この作品では二段構えの二段目からの犯行が描かれることになります。意外な持ち出し方法という点ではこれまでと変わりありませんが、方法は舞台が小学校ならではと言えるでしょう。これまで以上にユーモアが前面に押し出されたトリックでした。
 

「第六話 メビウス美術館」(1983)★★★★☆
 ――「エスななじゅうきゅうごうだと?」セザンヌの全作展をおこなうICO美術館に犯行を予告する電話がかかってきたが、東郷警部はS79号が自分の名前を読み間違うはずがないと一蹴する。だがゴーギャン展を実施するUCO美術館にも脅迫状が届くに至って、腰を上げざるを得なくなった。脅迫状の文字はICOの社史から切り抜かれており、やはりS79号らしくない。東郷と二宮は一週間にわたり変装してICO美術館を見回り続け、展示室を歩いているうちにいつの間にか受付に戻っているという構造を不思議に思った。

 どう見ても模倣犯らしい犯行声明から幕を開けます。これまでの宝石や化石とは違い、絵画というかさばるものをどうやって盗むのかという疑問もあります。その二つが見事にクリアされた、これまた二段構えの犯行でした。常設展示ではなく展覧会というものの特性を上手く利用したアイデアだと思います。それにしてもS79号は第五話と第六話でけっこうがっつり姿を見せているのですが大丈夫なのかと心配してしまいました。
 

「第七話 癸酉組一二九五三七番」1984)★★★☆☆
 ――宝くじに当選しても受け取りに現れない人がいるという記事を読んで、二宮は苦しまぎれにS79号の話をした。当選金を狙ってS79号が現れるのではないか。S79号が当選しなければ意味がないと東郷は取り合わないが、宝くじの関連銀行にS79号らしき人物が侵入し、ルウペを盗んで行くという事件が起こった。やがて銀行に木村と名乗る男が現れ、当たりくじを換金して行った。

 宝くじの賞金を銀行で正当に手続きして騙し取るという、どう考えても不可能な犯行が描かれていました。現代では使えない手口ですが、単純なだけに見事に騙されました。ルーペが盗まれていたり、換金後の追跡に読者の目を向けたりと、その単純さをカバーするための記述が多少スマートではありませんが。
 

「第八話 黒鷺の茶碗」(1985)★★★★★
 ――二宮の父が亡くなり、S79号の予告状が届いた。葬儀の日、蔵にある黒鷺の茶碗をちょうだいす。だが専門家によるとその茶碗には値打ちはないという。葬儀で蔵に出入りするため錠を掛けるわけにもいかず、東郷警部が蔵を見張ることにした。だが警部が見張るなか茶碗はなくなり、瓦の硯や古い錠前もなくなっていた。

 紹介しづらい作品です。久しぶりに探偵役の変更があり、警察職員の君島賀子が探偵役を務めますが、確かに事件の性質上二宮や東郷が務めるわけにはいかなかったでしょう。その賀子が繰り広げる、品物を保護するはずの容器の方が高価な場合があるという逆説は、これこそ泡坂印でした。これに加えてもう一つ仕掛けがあり、シリーズものだからこそ効果の大きいものでした【※S79号を騙って目を茶碗に向けておいて本命の錠前を盗むという手口と、事件そのものを利用して思い出の茶碗を守ろうとする二宮。S79号を利用した犯人と、S79号を利用した犯人を利用した二宮という二重構造】。それにしても二宮刑事の相続問題は第二話から描かれていたわけで、それをこのように組み込んでくるところに舌を巻きます。ただの二宮刑事の近況――なわけはありませんでした。前話に引き続き木村一郎という偽名が登場しますが、果たしてS79号と関係があるのかどうかわかりません。
 

「第九話 南畝の幽霊」(1985)★★★★★
 ――黒田岳男が不倫旅行から帰って来ると、円空の尼僧像が見当たらない。警備員もいるマンションの十階から盗み出せるのはS79号しかいないと東郷警部は断言する。東郷はS79号を挑発して尼僧像よりも価値のある南畝の幽霊画を狙わせ、待ち伏せして逮捕しようと考えた。黒田が再び不倫旅行から帰って来ると、無関係の人間は近づいていないというのに幽霊画は消えていた。

 驚くべき怪作です。冒頭から下ネタで畳みかけられるユーモア色の強い作風でしたが、解決篇も笑うしかないようなとんでもないものでした。しれっとした伏線がまた心憎い。仏像盗難の方がインパクトは強いものの、南畝の絵の方も絵絹という日本画の特徴が活かされていてこれまた泡坂妻夫らしい。それにしても利害の一致があったからこその持ち出し方法であることを考えるに、冒頭の睦言にもしっかり意味があったことがわかります。S79号は警部たちに素顔を晒して正体は完全に見破られていると考えてよいのでしょうか。奥さんが話す方言は本当にあるのかどうかわかりません。
 

「第十話 檜毛寺の観音像」(1986)★★★★★
 ――偉大な芸術家の父を持つ田甲里黒墨には才能がなかった。父親の作品ばかり注目されるのに嫌気が差し、父親の遺作の数々ともども自宅に閉じこもり、人と会わなくなってしまった。お手伝いのつる婆さんは、孫の夫が作った借金を穴埋めするため、田甲里家から美術品を持ち出そうと考えた。どうせ黒墨に金策を頼んでも相手にはされまい。死蔵されるよりは美術品も浮かばれよう。

 第八話から骨董がらみの事件が続きます。S79号を騙る手口はこれまでにもありましたが、本篇ではいわば倒叙のような形が取られていました。鑑識眼のないお手伝いさんしか目に出来なかった秘蔵コレクションに鑑識眼を持つ者が介入することで明らかになる事実が衝撃的でした。ある意味で宝物を【この世から】盗み出しているとも言えます。S79号は介入を利用して「奇妙な足音」のような手口で鮮やかに去ってゆきます。
 

「第十一話 S79号の逮捕」(1986)★★★☆☆
 ――マグリット展で日本人女性と意気投合したセルニース博士は、蒐集品を見せるためセルニース城に招いた。だが東洋の間の改装中、蒐集品が少しずつ盗まれていた。高い城から盗み出せるのはS79号しかいないと、東郷と二宮はパリに発った。

 やはり東郷と二宮もさすがに誰がS79号なのかは気づいていたのですね。個人所有の城が改装中だからこそ盗み出せた手口ゆえに、海外が舞台に選ばれたようです。さらには後半の話ではすっかりお馴染みになったS79号を騙る便乗犯も、海外が舞台だからこその動機でした。S79号の正体に迫る一方、指紋の謎が生まれてしまいました。
 

「第十二話 東郷警部の花道」(1987)★★★☆☆
 ――S79号逮捕の結果を出せない東郷警部はとうとう退職を打診された。田甲里家から盗まれた「春雨黄山図」と対になる「秋雨黄山図」が百年ぶりに発見されたという記事を読み、東郷警部と二宮刑事は出所である藤寺を目指す。藤寺で住職の南契と対峙したが……。

 雑誌で紹介された途端に伐り倒された、人面瘤のある樹という謎が魅力的です。指紋の謎も含めたS79号の正体が明らかになりました。ここに来て「三人吉三」や二宮刑事の相続税のエピソードも回収され、最後には亜シリーズの最終話のような大団円を迎えます。切岡孝保の用いられ方を見ると、二話目の時点でこうした結末を考えていたということなのでしょう。脱帽です。

  


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