『紫の雲』M・P・シール/南條竹則訳(アトリエサード/書苑新社 ナイトランド叢書)★★★★★

『紫の雲』M・P・シール/南條竹則訳(アトリエサード/書苑新社 ナイトランド叢書)

 『The Purple Cloud』M. P. Shiel,1901年。

 シールにしては恐ろしいほどに読みやすい。訳者の苦労がしのばれます。

 死んだ友人からの手紙には、霊媒が幻視したという今から十五~三十年先の未来の手記が綴られていた。

 世界で最初に北極点に到達した者に莫大な遺産を贈るという遺言を残して大富豪が亡くなった。医者であるアダム・ジェフソンは探検家のクラークに誘われ、科学者として探検隊に参加することになった。一行が北極に着くと紫の霧が漂い始めた。ひとり北極点にたどり着き、船に戻ったアダムは、隊員たちが死に絶えているのを発見する。あの紫の霧はフェロシアン化カリウムの結晶だったのだ。この世には“黒”と“白”という存在があり、“黒”は人類に優しい“白”の裏をかくために、私を利用したのではないか。アダムは北極をあとにするが、どこに行っても死者があふれていた。一人世界に取り残されたアダムは、やがて王となり破壊を楽しむようになる……。

 どこまで行ってもひたすら死体の山で、読者もアダムと同じく生者がいることを希望しながら読み進めてそのたび絶望を味わいます。空気を遮断できる地下の炭坑なら生き残りがいるのではないかという思いつきには期待がふくらんだものですが、あっさりついえるとは思いませんでした。どこに行っても死者しかいないので、さながら死者ばかりの観光地めぐりです。

 雲の性質によって死体が腐敗しないのがかろうじての救いでしょうか。普通に活動していた最中に突然死したままの姿というのも、生きていたころを思い出させて残酷といえば残酷ですが、やはり世界中が腐敗する地獄絵図よりはまだしもましでしょう。

 途中からはアダムも開き直ってスルタンの恰好をしたり、各地の建物を爆破したり、十数年かけて王宮を造りあげたりするのですが、そういったロビンソン・クルーソー的な物語に慣れてきたころに、地殻変動(?)によりイタリアが一部消えてしまうという事件が起こります。地面という揺るぎないはずのものが消滅するという絶望。生きている人が自分以外ひとりもいないということ以上の絶望がまだあるとは思いませんでした。

 本書の世界にも電気は登場しますが、燭台、暖炉、機関車もまだ現役の世界です。しかも主人公は医者ですから、何かあったときには現代よりも融通が利きそうです。

 世界中が死に絶えるという時点ですでに壮大なのですが、そこに“白い奴”による人類再創世という輪をかけて壮大なストーリーが待ち受けていました。果たして本当に何ものかの意思が介在しているのか、そのように思えるものはすべて偶然なのかはわからないままですが、主人公が人類など死に絶えてしまえばいいという境地に至るのも、間接的なものも含めれば三人の人を死に至らしめているという序盤のエピソードが効いていました。婚約者による探検隊員謀殺疑惑などは、てっきり主人公を北極探検に行かせるためだけの筋書きだと思っていたのですが、己の浅慮を恥じるばかりです。

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