ここ何日かで急に「読み」がどうこうという話題が増えたので何だろうと思ったら、鴻巣友季子氏が朝日新聞に寄稿した『少女を埋める』評に対し、作者の桜庭一樹氏が反論しているということのようです。
桜庭氏の最初の反論がTwitterだったこともあり、情報が断片的で経緯がよくわからなかったのですが、遡って確認してゆくと以下のような事情のようです。
桜庭氏が反論しているのは、鴻巣氏が書評のなかで『少女を埋める』について「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。」と書いてある箇所です。この部分は鴻巣氏の解釈であるのだから、「まるで原稿にそう書いてあったかのように評のあらすじで言い切るのではなく」、「評者の想像として分けて書くべき」というのが桜庭氏の主張です。
これに対して鴻巣氏が、「小説は多様な『読み』にひらかれている」「あらすじと解釈とを分離するのはむずかしい」と再反論し、騒動が大きくなっていったようです。
なぜこういうことが起こってしまったかとわたしなりに考えると、ひとつにはTwitterというものの性質にあると思います。鴻巣氏は再反論として「そういう物語として、わたしは読みました。」とnoteに書き、その後もTwitterで「作者がご自分の読みを」「作者と違う読み方も(理にかなっていれば)否定されたり排除されたりすべきではない」等コメントしています。この後半部分は飽くまでフォロワーがツイートした話題に対する返答であって、桜庭氏への回答ではないのですが、桜庭氏や読者が誤解してしまう余地はあるでしょう。
実際、「作者と違う読み方の否定は一切していません。」という桜庭氏のコメントに対して、「この点は理解しています。再確認できてよかったです。」と書いてある通り、問題点がどこにあるのかは鴻巣氏も認識しているようです。のちに桜庭氏も「変えてもらうということでは決してなく、評者の読みであるとわかるようにしていただけないかという要望になりました。(修正していただいた文章も届いています。受け止めて改めて考えてくださったこと、ありがとうございます)」と書いてあるように、鴻巣氏も問題点を認めて修正する用意はあったようです。
そのうえで、この問題について誤解を与える表現は修正するものの、文芸評論に対するスタンスは変えるつもりはない、ということなのでしょう。本人同士も混乱しているようですが、ツイートを断片的に読んだ読者にはますます事情がわかりづらいのが現状です。
その結果、騒動発生からもう数日経ち、桜庭氏本人が「論点がずれないようにと危惧しています」と明言しているというのに、いまだに誤読の是非や読みは自由だの作者の圧力だの云々といった、外野によるピントはずれのコメントが見られるという状況になっているのだと思われます。
さて、もうひとつの原因として、恐らくは鴻巣氏の想像力の欠如が挙げられます。わたしが確認したかぎりではその点に言及した文章はなかったので、ふだんあまりこうした時事的な出来事に関する文章を書かないわたしが今回にかぎって書いたのはそうした理由によります。
これは批評の問題ではなく感情であり暴力の問題なのだと思います。「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。」。桜庭氏の立場からしてみればこれは単なる事実誤認のあらすじどころではなく、「おまえの母親は要介護の夫を虐待していたんだ」と名指しでデマを全国区の新聞で広められたも同然と感じたのではないでしょうか。だからこそ、「わたしは評者としての鴻巣友季子さんを軽蔑し、今後執筆されるものについては、一切敬意を抱きません」という強い言葉を用い、「朝日新聞社での仕事をすべて降ります」という強硬な意思を示しているのだと思います。
ところが、どうも鴻巣氏はそのことをわかっていない、自分の文章が相手にどう受け止められたのかをわかっていない節があります。飽くまで「事実誤認」程度の問題だと思っているのではないでしょうか。だからこそ最初の反論で「余白の解釈」云々と通り一遍のことを書いて、桜庭氏に上記の「軽蔑」云々という激しい言葉で批判されているのでしょう。
桜庭氏は誹謗中傷を問題にしているのに、鴻巣氏は飽くまで文芸評論の問題だと捉えている――二人のあいだにはこのぐらいの温度差、認識差があるように思います。
もちろん、相手がどう感じたのかをしっかり理解したうえで、それと評論とは別だ、というスタンスもあるでしょうし、そもそもあの書評からそこまで感じ取ってしまうのは相手側の勝手だと思う人の方が多いかもしれません。ただ、騒動が起こってしまったあとで、なぜ桜庭氏が激怒しているのかを想像して誤解を解こうと努める余地はあったのではないでしょうか。
まあそもそもの原因がどこにあるかというと、「評者はおそらく、作品を斜め読みし、内容を勘違いし、ケア、介護という評のテーマに当てはめるために間違った紹介をしてしまったのだろうとわたしは想像しています。指摘されたけれど、認めたくなくて、改めて読み直し、言いわけに使える箇所がないか探したり一般論を駆使したりしたんじゃないかと。」という桜庭氏のツイートに尽きるとは思います。