『月の文学館 月の人の一人とならむ』和田博文編(ちくま文庫)★★★☆☆

『月の文学館 月の人の一人とならむ』和田博文編(ちくま文庫

 月がテーマの日本文学アンソロジー。ヒグチユウコによるカバーイラストに味があります。月の形を巻き貝という生き物で表現する発想と目の表情。姉妹編に『星の文学館』も。学者さんが編纂しているので初出や底本の情報が細かいのがいいですね。
 

「1 月光密輸入」

「月の出と蛙」草野心平(1928)★★★★☆
 ――○月をめがけて吾等ゆく夢の脚

 草野心平らしい視覚的効果も狙った詩です。原文は当然縦書き。タイトルからすると「吾等」とは蛙の一人称なのでしょう。月めがけてジャンプしてゆく同胞の後ろ脚を見ながら蛙たちが列になって次々とジャンプしてゆく姿がそのまま詩の形になってでもいるようです。
 

「月の記憶」川上弘美(2001)★★★★☆
 ――月を見るたびに「それは近づいていた」という一節を思い出す。「それ」とは月のことだ。月を見るたびに私は、この小説の中の「蝋の滴りのように地球にむか」う月の表面を、ありありと思う。小説の中のことなのに、実際にあったことのように、印象づけられてしまっている。

 イタロ・カルヴィーノ『柔らかい月』を通して現実を幻視してしまうのは、アブナイと同時に得がたい才能でもあるのでしょう。「まるで現実のよう」ではなくまさしく現実そのものらしく書けるのが著者の持ち味だと思います。
 

「月光異聞」佐藤春夫(1922)★★★★☆
 ――その家といふのはフランス革命まへにさる貴族が住んでゐたといふ由緒のある建物で、一室に幽霊が出るといふ噂が立てられてゐる。二階に住む二人の若い画家が、財政が逼迫してお化けの出る室を無料で借りやうと思ひついた。まづは扉に穴を明けてのぞいてみることにした。どうであらう! 窓がみんな明け放たれて月光が差し込んでゐるではないか。そしてまんなかに、一人の老婆が箒で床を掃いてゐた。

 確かに幽霊屋敷ものではあります。しかしながら、幽霊屋敷に忍び込んでみたら、月光の差し込んだ絵画のような風景が広がっていた……という、怖いよりも不思議な印象を受ける作品で、著者自身も最後にこれは幽霊ではなく月の優しさではないかとコメントするなど、すっとぼけた味わいがありました。
 

「月光酒」吉田一穂(1925)★★☆☆☆
 ――朝はやくから米つき??が米をつき、蟻とはなしてゐました。その話を屋根裏で盗み聞いた蝙蝠が、話に出てきた蜜蜂の酒をまきあげやうと考へました。屋根裏に巣を張つてゐた蜘蛛を怒鳴りつけ、蝙蝠は夜中に六角形の酒蔵へ近よつてゆきました。

 全体的には寓話のようなのに、最後にオチも教訓もなく唐突に終わります。酒という要素で一貫してはいますが起承転結のバランスがおかしいので読んでいて居心地がよくありません。
 

「月光密輸入」稲垣足穂(1926)★★★☆☆
 ――「目利きは片方の指数でげしょうな。月じるしを貼っただけの贋樽をつかまされるのは当り前でげす」「ステッキに仕込んだらどうかね」「ところがまるでニトロでげしてな。今夜のような良いお月夜にうっかり振り廻しでもしようものなら、ドカン! この前も小屋が吹っ飛んじまったのはご存じでげしょう」
 

「月光騎手」稲垣足穂(1926)★★★☆☆
 ――土地の者の案内によって、一隊は月夜村の丘上におもむいた。やや待つうちに馬どもがおびえたようないななきを発した。視よ! 月明の下、丘陵のかなたに、白馬に跨った白装束の騎手が、幾数百千とも知れず繰り出されてきた。

 一篇目の「月光密輸入」は、吉田一穂の掌篇と同じく「月光酒」という発想が用いられた、台詞付きのパントマイム無声映画のような作品。「月光騎手」はムーンライダーズが登場する一篇。
 

「月光」堀口大學(1922)★★★☆☆
 ――とくとくと戸口を/叩くものあり//来る可き女も/あらぬ夜ふけを//とくとくと戸口を/叩くものあり//われ待つ友も/なき夜更を//――誰かゐるのか?/戸を引けば流れ入る月光《つきかげ》

 これで全文です。た行の繰り返しのリズムが効果的で、実際には存在しない月光の音が聞こえてくるようです。
 

「鏡像」多和田葉子(1994)★★★★☆
 ――昔あるところに僧侶がひとり住んでいた。池に映る月を抱こうとして飛び込んだ。それは満月の夜だった。僧侶は経典を読みながら眠ってしまった。深い眠りの中で池まで歩いていった。僧侶は池の中に月を見ます。眠っているから目を閉じたまま見ます。僧侶は水の中に飛び込みます。それから? 溺れます。飲みます。水を飲みます。月を飲みます。あなたはいったいどなたですか? わたしは読書が好きで、眠れない夜には散歩に出ます。

 水に映る月とは水であって月ではないのか、それとも水が月なのか。「泳ぐことは誰にでもできますが、溺れることができるのは、水にかたちがないことを知っている人だけです」という言葉をはじめとして、当たり前の(ように思える)ことがさまざまに語り直されて綺羅星の如く光り輝いています。昔話のように始まりながらも、着地が「うしろを見るな」のようでぞくっとしました。
 

「2 月と死の気配」

月下の恋人」浅田次郎(2004)★☆☆☆☆
 ――海を見に行こうよと、雅子は言った。雅子の唐突な提案は、別れ話を察知していたかのようだった。高校のクラスメイトだった僕らは古風な性格で、恋人がいなかった。「みんなあの人が悪いの」僕らの恋を他人のせいにするなら、たしかにその易者しかいない。海に着くと旅館に泊まった。「話があるんだけど」「私の話を、先に聞いてね」

 浅田次郎のロマンティシズムべたべたの文体は苦手です。いい歳をした大人が過去に浸りきってナルシシズム全開で回想しているのは気持ち悪いのひとことに尽きます。
 

「月とコンパクト」山川方夫(1963)★★★★☆
 ――そのとき私は夜汽車で伯父の家に向かっていた。向かい側の席にはでっぷり肥えた中年の紳士と髪に白いカーネーションを挿した若い女がいた。おそらく父娘だろう。茅ヶ崎を過ぎたころ、女が髪から花を抜いてシートに落し、席を立った。ごく自然に、手洗いに立ったのだと思った。ところが大声がして急ブレーキがかかった。飛び降りだよ!

 衝撃的な発端。関係者同士の邂逅という有り得ないほどの偶然。はっきり言ってこれだけでも一つの作品にはなっていたでしょう。けれどそこからさらに怪奇幻想めいた出来事が起こります。果たして最後に映った景色がコンパクトの中に閉じ込められているのか、はたまた意図も手段も皆目わからないながらもトリックが用いられたのか。その出来事をきっかけに自分の過去に思いを馳せ、月を「凍死した古い地球の過去」と表現し、地球という「若々しい生きている産みの親をはるかな高みから眺め下ろし」ているという発想が非凡です。
 

「月夜」林芙美子(1939)★★★☆☆
 ――あつくるしい夜だけれど/あの月のいろはどうだらう/……/つれなくさびはてた海底の船のデツキは/月光を眺めようとひとがひしめき歩いてゐる/……/幽闇の慟哭はうすい波間に消えてしまひ/そのためいきは不知火となつて/月夜の水平線を走つてゆく。

 最初の二行は素晴らしいのですが、そこから先は情景の描写になり、最後はきれいではありますがありきたりな譬喩で終わってしまいます。
 

「月」千家元麿(1922)★★★☆☆
 ――大きな怪物めいた剥皮体のやうな/赤く破壊《こは》れた半月が/暗い水のやうな地平に浮いてゐる/何かにぶつかつて二つに割れた断片のやうに/酸鼻の姿である/見てはならないものを見たやうに思ひ/空気はそよともせず/巨人の掌の上のやうに/森も河も小さく死んだやうに/夜の神秘の光りに浮んでゐる/天変地異でも起りさうだ

 これで全文。三日月でも満月でもなく、ぱっくり割れたような赤い半月というのが不気味さを誘います。
 

「月」金井美恵子(1978)★★★★☆
 ――母が言うには、わたしは夜でももう一人でおつかいに行ける年齢だった。お前のお姉さんなど(彼女は六歳で死んだのだが)、自分の飲む粉末ミルクを買いに行った、と父は上機嫌に笑う。急行列車が街に着いたのは夜遅くで、わたしは予約をしていたホテルが以前とはすっかり変ってしまっているのに驚いた。死者についてかつて抱いていた恋のことを思い出そうと努めてみたが、何も思い出せなかった。それでも彼女を恋していたことがあったのだ。

 おつかいと死んだ姉の思い出から思いは飛んで、死者に会いに故郷へ帰ってきた現在の出来事が綴られたかと思えば、やがて過去も現在もそれどころか語り手さえもが交錯して一つになる結末が衝撃的です。
 

「3 身体のリズム、ルナティックな心」

「ルナティック・ドリーム女性器篇」松浦理英子(1986)★★★★☆
 ――あなたは女性器を持たない。わたしが持っているのが女性器だ。女性器は血と親しい。女性器はまた月と親しい。もはや行為によっては赤に染まらぬわたしの性器だが、月の満ち欠けに呼応して二十八日おきに血糊を吐き出すのは相変わらずである。

 生理を身体のリズムと捉え、リズムは同調し、生理周期が月の満ち欠けに影響されるように生理周期が月に影響を与えるという、奇想あふれる理屈が魅力的です。月も人間も自然の一部なら、少なからず似たようなことはあってもいいのでは……とさえ思ってしまいます。
 

「月光と蔭に就て」伊藤整(1932)★★★★☆
 ――鈴子は、私が茫然としていることを嫌った。私は書物を読んでいないとき、翻訳をしていないとき、必ず彼女と話し、愛撫しなければならなかった。でなければ、私が死んだ葉子のことを考えている、と言いだすのだ。あなたは、妾《わたし》が葉子さんの病気をわざと手遅れになるようにしたと考えているのだわ。

 月明かりの下の夢遊病者。絵に描いたようなゴシックハートあふれる場面です。前妻の死とそれにまつわる夫婦間のしこりがあるなか、月影によって際立たされた暗闇のなかで自分以外は眠りと死という状況下では、確かに闇に引きずり込まれてしまいそうです。心中や自殺というのはこういうときに起こってしまうものなのではないでしょうか。
 

「月夜の浜辺」阿部昭(1972)★☆☆☆☆
 ――高校時代Mという級友がいた。彼と過ごした高校三年間に、私は文学というものの或る気分のようなものを教わったように思う。受験時代のある晩、Mが濡れた砂の上に一個のボタンを見つけた。

 Mというかつての級友に対する劣等感を、中原中也の詩「月夜の浜辺」そのままになぞった身辺エッセイ。
 

「都会の夏の夜」中原中也(1929)★★★☆☆
 ――月は空にメダルのやうに、/街角に建物はオルガンのやうに、/遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。/――イカムネ・カラアがまがつてゐる――//その脣は?ききつて/その心は何か悲しい。/……

 中原中也が飲み会帰りのサラリーマンの詩を書いているとは思いもしませんでした。「イカムネ・カラア」とは何のことだかわからなかったのですが、礼装用の胸当てを「烏賊胸」と呼んだのだそうです。「死んだ火薬」とは花火のことでしょうか。
 

「殺人者の憩いの家」中井英夫(1978)★★★★☆
 ――「あなたがお書きになった“月光浴”という言葉。あれはいいですね。月光療法なんてしゃれているじゃありませんか」所長は新聞記事を見せてくれた。“本当に月の光で膚が焼けるんですよ”。「月光より月蝕の方が似合うかもしれませんな。この療養所を月蝕領と名付けたくらいです」月蝕領主。私は嫉妬した。その名を名乗るために所長を抹殺して、私が代わらねばならぬと知った。

 法の手を逃れた殺人者の収容施設「月蝕領」の領主に収まりたいと考える著者を思わせる語り手が、ひそかに領主の地位奪取を企むという虚実綯い交ぜになった作品で、かなり自虐的な内容です。
 

「4 月の人/月のうさぎ/かぐや姫

「月の人の」井上靖(1976)★★★☆☆
 ――角川源義氏のお見舞いに上がったのは、亡くなられる前日であった。その病院からの帰りに、出版部の方から「俳句」十一月号を頂戴した。その中に「月の人の一人とならむ車椅子」というのがあった。

 これは井上靖のエッセイが良いのではなく、角川源義の俳句あってのものでしょう。わたしは竹取物語に出て来る月の都の人の飛車を連想しましたが、そうなると「月に還る」というような句意になるのでしょうか。
 

「月と手紙――花嫁へ――」尾形亀之助(1928)★★☆☆☆
 ――私はあなたと月の中に住みたいと思つてゐる。でも、雲の多い日は夕方のうちに街に降りて噴水の沢山ある公園を散歩しよう。私は手紙の中へ月を入れてあなたへ贈つたのに、手紙の中に月がなかつたとあなたから知らせがあつた。
 

「月夜の電車」尾形亀之助(1926)★★☆☆☆
 ――私が電車を待つ間/プラツトホームで三日月を見てゐると/急にすべり込んで来た電車は/月から帰りの客を降して行つた

 ポエムと言って馬鹿にされるような、悪い意味での詩人という印象です。内省的で感傷的で観念的な自己陶酔的な言葉の羅列で、あまり好きになれません。
 

「明月」川端康成(1952)★★★☆☆
 ――今年は十月三日が仲秋の明月ださうな。私は一日の夕方、宗達の墨絵の兎を床にかけて箱根へ書きものに出た。月子の誕生日に東京にゐないわけなので四五日前に祝つておいた。月子は妹の子だが、仲秋明月の日に生まれて、月子と名づけられてゐた。月子の誕生日は旧暦で祝ふことになつてゐた。

 仲秋の明月の日に生まれたので月子とは、いい名前です。誕生祝いをいつも十五夜にするのでたまの洋食レストランだと喜んだり、車の明かりに照らされて萩を見る美しい場面などの、何でもない描写が印象に残ります。
 

「月」宮尾登美子(1987)★★★★☆
 ――人間が初めて月面に下り立ったとき、月に対するイメージが狂ってしまうのではないかと懸念したが、従来どおり仰ぎ見ることが出来る。月はやはり嬉しいときよりも悲しいときに眺めるのがふさわしい。直木賞に落選した晩、夜更けの町をひとりで月を見ながら歩きまわったものだ。

 科学と月の神秘性、悲しいときが似合う月、など、いちいち首肯できるエッセイです。最後は月の名で終わるのですが、なぜか「覚えるのが楽しみ。」と中途半端な体言止めで終わっているので文章の調子が台無しになってしまっていました。
 

「月の兎」相馬御風(1936?)★★☆☆☆
 ――月の中の黒い陰を兎と見立てた最初の人はどこのいかなる人であつたらう。それにしても、人々はなぜもつと\/さま゛\/にあの月面の黒影に形を与へて見ないのだらう。なぜ人々は幼い者共にまでも自由な想像の代りに昔ながらの型を与へようとしてゐるのであらう。

 月の兎に関するつぶやき。もっともらしいことを言っているようでただの放言です。子どもが好きに想像しても記録や伝承に残らないだけでしょ。この人、自分の子どもと遊んだことないのかな。
 

「月夜」前田夕暮(1929)★★★★☆
 ――微かな月光の下の一路を、白い薄い服をきて、一人の若い女がほのかにくる。「貴女はどこから来ました。」と私は訊ねる。「妾は妾の寝台から。」と彼女の言葉は打ち烟つてゐる。「月は毎晩、明るい光で白い妾の寝台を照らしてくれます。さうすると、妾の魂が明るく静かに眼をさまします。さうして妾は私の故郷へ参ります。」

 著者は歌人。語り手が月光の下で離魂病者の魂と出会う話ですが、果たして語り手の体験自体が現実なのか夢なのか判然としません。描かれている光景はそれだけ幻想的で、月の光が「味覚的」であり「掌の上にほのかに反射する」「空をあふぐと顔に冷たい滴りを感じる」ように、どこか物質的に描写されています。だからこそ最後の「白い芙蓉の上に朝の月がほのかに淡くのこつてゐた。」という〆の一文に力があります。
 

「赫映姫――姫の歌える――」原田種夫(1967)★★★★☆
 ――お翁さん お嫗さん お別れです。さようなら。わたしは もう 月のお宮へ還るの。もとの天人になるの。わたしは めんど臭い 生死苦楽の 塵の世に 飽きました。愛想がつきたの。嫌になったの。

 かぐや姫視点の別れの詩。いいだけ好き放題した挙句に文句を言って外国に旅立ってゆくドライな自立した女みたいです。日本って最低、アメリカは天国なの、みたいな。原典でもかぐや姫って何のために地上に来たのかよくわからないですし、実際こんな勝手な感じかも、と思わされます。
 

「5 月見の宴を、地上で」

「お月さまと馬賊小熊秀雄(1976)★☆☆☆☆
 ――ある山奥に大勢の馬賊が住んでをりました。酒に酔つた馬賊の大将が冷たい風に当たらうと外に出ると、『なんといふ、きれいなお月さんだらうな』。月に浮かれて気づくと山塞からだいぶ離れてをりました。街の灯を見た大将は急に荒々しい気持ちに返り、たつた一人で襲撃し、捕まつて首を切られてしまひました。

 童話ふう。
 

「月と狂言師谷崎潤一郎(1949)★★★☆☆
 ――わたしがあの疎開先から京都へ出て来てからまる二年になん\/とする。町内にも顔馴染が出来、私たちは昨今では狂言の千五郎氏を贔屓にしてゐるのであつた。月見もかねて狂言と小舞の会をすると云ふ案内があつて、もしも私が出席するなら千作翁と千五郎氏とが特に一番づゝ舞つてくれると云ふことであつた。

 後半は代わる代わる演じられる演しものについてひたすら説明してゆくちょっと忙しい文章なのですが、自分の好きなことを全部書きたい!という感じが伝わって来てお茶目とさえ言えるようなエッセイでした。
 

「月夜のあとさき」津村信夫(1940)★★★☆☆
 ――私の宿つた坊では、月夜の晩にはきまつて蕎麦を打つた。蕎麦を打つのは家内総出であつて、少年と雖も心得てゐる。もつとも少年少女はこつそり蕎麦粉を盗んで粘土細工のやうにするのが楽しみなのである。坊の娘はいつも着物を長目にきるので、歩くたびにかすかな衣ずれがする。まるで昔の人のそれのやうである。

 室生犀星の弟子とのこと。足の速い老婆がただの前座話なのが可笑しい。「戸隠では、蕈と岩魚に手打蕎麦」というメモのそれぞれがまったく別々の話だし、月夜の話であるのに月の美しさ自体は描かれることなくその周辺のことばかり記されていたりと、つかみどころのない作品でした。
 

「月、なす、すすき」西脇順三郎(1961)★★★☆☆
 ――すすきが穂の先を少し出かかった時分はなんともいえない自然の風味を覚える。これは風流心とか俳味を解するからでなく、ごく普通の素朴な自然愛からであろう。すすきに関連して思うに、なすも日本の夏から秋への風情をますものであると思う。

 十五夜とすすきという定番の組み合わせに、茄子を取り合わせたところに創意があります。
 

「名月の夜に」横光利一(1939)★★★☆☆
 ――昨夜の睡眠不足のところへ写真である。今夜は名月だから月見をしたいと思つたが眠い。次男の一年生が読本を両手に捧げ、「オツキサマ」のところを大きな声で読み始めた。句を一つ作らうとしてみたが、家内が剥いてゐた林檎の匂ひばかりひどく漂つて、句にならぬ。

 エッセイですらない日記のようなもので、身も蓋もない眠いという感想に大笑いしました。「写真である」と言われても、これだけ読んでも何のことやらさっぱりです。
 

中秋の名月太田治子(1989)★★★★☆
 ――中秋の名月が近い。まんまるなお月さまもよいが、十三夜もよい。うなじの清らかな少女に似ているといったのは、三年前に空にいった母である。「十二、三歳の少女がきれいなように、満月になる前が一番清らかで美しい」。一足飛びに、大人になりたかった。新派のお芝居にでてくるような、明治の奥さまに、ひたすらあこがれていた。ところが実際に大人になって、独身のまま二十五を過ぎると、奥さんでもないのに奥さんと呼ばれるようになった。

 十三夜をうなじの清らかな少女に似ているといった表現もいいですが、何よりも文章が美しいので、ただ読んでいるだけで心洗われる気持になれます。著者は太宰治の娘だそうです。
 

「6 大陸の月、近世の月」

「月光都市」武田泰淳(1948)★★☆☆☆
 ――毎日さまざまな中国人に接触していると、杉が支那文化に抱いていた思想や考え方の順序までが雲散霧消して、後にはあたり前の旅人の感覚だけが残っていた。「半年やそこらでわかろうとしたって駄目よ」と博士夫人は杉を子供あつかいした。「徐光啓の墓が見つけられなくて、教会だけ見てきましたよ。一度は事務所の給仕と一緒に」「ああ、あの閻姑娘と。あの子キリスト教なの?」

 武田泰淳は好きな作家ではありません。土臭い話ばかり書いている人という印象です。
 

「月の詩情」萩原朔太郎(1940)★★★☆☆
 ――昔は多くの詩人たちが、月を題材にして詩を作つた。月とその月光が、何故にかくも昔から、多くの詩人の心を傷心せしめたらうか。すべて遠方にある者は、人の心に憧憬と郷愁を呼び起し、抒情詩のセンチメントになるからである。しかも青白い光を放散して、燈火の如く輝いてゐる。そこで自分は生物の本能である向火性といふことに就て考へてゐる。

 かつて月を詠んだ詩歌が多かった理由について真面目に考察しているのでしょうが、導き出された答えがプラトニツク・ラヴやらフエミニズムやらでは、とてもではないけれどついていけません。最後には都会も田舎も電光化されてしまって云々という平凡な結論になってしまっています。
 

「町中の月」永井荷風(1938)★★★★☆
 ――燈火のつきはじめるころ、銀座尾張町の四辻で電車を降ると、時々まんまるな月が見渡す建物の上に、大きく浮んでゐるのを見ることがある。街上の人通りを見ると、誰一人明月の昇りかけてゐるのに気のつくものはないらしい。佃のわたし場から湊町の河岸に沿ひ、やがて稲荷橋から南高橋をわたり、越前堀の物揚場に出る。

 散策の過程と物思いを綴ったエッセイですが、月を見ながら歩くという行為自体が古き良き時代のゆとりある行動のようで、何だかうらやましくなりました。
 

「句合の月」正岡子規(1898)★★★☆☆
 ――句合の題がまわつて来た。月といふ題がある。最初に浮んだ趣向は、月明の夜に森に沿ふた小道を歩行いて居る処であつた。景色が余り広いと写実に遠ざかるから狭く細かく写さうと思ふて、森の影を蹈んでちら\/する葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても月は葉隠れになつた儘で自分の顔を照す事はないといふ趣を考へたが、長すぎて句にならぬ。

 俳人である著者が俳句作りに当たって頭の中に描き出した光景を文章化していて、芸術作品の創作状況を知ることが出来る貴重な内容です。俳句を作る人には参考になるのでしょうか。
 

「7 月面着陸と月の石」

「月に飛んだノミの話」安部公房(1959)★★★★☆
 ――会議は午前零時きっかりにはじめられた。零時より前は会場がふさがっていた。ここは私の行きつけのバーだったのである。全国害虫協議会の出席者の大半はノミだった。当夜の議題は「せまりくる平和の危機をどうするか」……以前なら、自然から遠ざかった人間を、戦争が引戻してくれた。しかし今度ばかりは平和がながすぎた。

 地球を見限りロケットで月に行こうとするノミの話で、これは月じゃなくても海底コロニーでも何でもいいと思うのですが、人間のいないところに行く理由として人間の心理が挙げられていました。ちょっとこじつけめいて感じられましたが、蟻を踏み潰す子どもというよく引き合いに出される例えを考えれば、一つ目は無くは無いのでしょう。二つ目の理由にしたって、つい掻いちゃう気持はわかります。
 

「月世界征服」北杜夫(1963)★★★★☆
 ――ポリネシア諸島にあるイッツアライ島が独立した。文明の余波がこの島を侵しつつある。日本商社の男がシャボン玉の製法を伝え、以来島民たちは日がなシャボン玉をふくらまして暮らしている。夏の暑さのため大酋長がふきげんになった。「この島は独立国だ、国威を発揚せねばならぬ。科学大臣を呼べ」。科学大臣はケンブリッジ卒のインテリであった。「米ソが月へロケットとやらを射ちあげようとしているのは事実か?」「さようです」

 ナンセンス・ユーモア作品かと思っていたら、きちんと伏線が張られてあって、さらに笑いました。「It's a lie」をはじめとした、ぬけぬけとした法螺が小気味よかったです。
 

月世界旅行安西冬衛(1964)★★★☆☆
 ――クラブ「ダイアナ」/ボックスへきたのは/森田という厚木育ちのホステスで/黒い絹靴下の留金の十仙銀貨《ダイム》が/三文オペラモリタートを思わせた。/バー「ムーン」/カウンターでしけていたのは/上越線月夜野がふるさと/「だもん、月乃」と/繊い糸切歯を見せた/……

 くだらない。月にゆかりのある酒場で出会った女たちが詠まれています。1964年というとアポロはまだ計画・準備段階で月に行ってはいなかったことを考えると、当時の人々には有人月面着陸なんてそうした冗談程度の絵空事だと思われていたのかもしれません。
 

「私のなかの月」円地文子(1975)★★★☆☆
 ――アポロ8号が月のまわりをまわって帰って来たころ、友だちが興奮して、これからは月をみる目が違って来るといった。今度の11号の人たちが月面に足をつけても、月はあのままの月であって、うさぎもかぐや姫も住わせて置くことが出来るのである。月の魅力を多く感じるのは、都会育ちのものの方に多いかもしれない。

 そりゃそうだよね、という内容です。見慣れている人にとっては特別なものでも何でもないに決まってます。
 

「月の石」高橋新吉(1972)★★★☆☆
 ――月の石を見た/四十五億年の黒い色/それは地球の黒さとちがっている/今まで見たことのない色である/深々とした黒い色だ/不思議な色だ/これほどまでに地球のものと/ちがっているとは思わなかった/豊かな色である/これから先五十億年は変色しないだろう/……

 月の石に肉眼での違いを認めるのは詩人ならではのロマンチシズムであり、そこに真理を見るのも詩人ならではのデリケートな感性です。
 

「月のいろいろ」花田清輝(1992)★☆☆☆☆
 ――サーバーの『たくさんの月』という話は、月を最初から手のとどかないところにあるものだときめつけている大人たちより子供たちのほうがまだしも見どころがあるといいたかったのであろうか、それとも子供たちというものはにせものをほんものと信じこむほどおめでたいといいたかったのであろうか。たしかにレノア姫は今日の子供たちにくらべると時代おくれかもしれない。

 評論家とは因果なもので、ジェイムズ・サーバー『たくさんのお月さま』の内容にすら意味を見出そうとしてしまうようです。しかもそれがことごとく陳腐なのが悲しい。そのうえ自分で否定的なことを言っておいてからそれをひっくり返すという自演ぶり。昔は花田清輝、好きだったんですけどね。これでは何にでも取りあえず文句をつけておくだけのご意見番おじさんです。
 

「湖上の明月」瀬戸内寂聴(1989)★☆☆☆☆
 ――ふと車窓を見ると、大きな満月がぽっかりと空中に浮き、白金色に輝いていた。思わず私は見知らぬ乗客のだれにともなく、「まあ、きれいなお月さま」といってしまった。「あんな月見ると、なにやら死後のことが思われてくるなあ」六十すぎの男らしい。「そうかなあ、ピンときいしまへんなあ」二十代らしき黄色い声。

 クサい。満月を見て思わず見知らぬ乗客に声をかけてしまったというのもクサいし、それをきっかけに月を見て話し始めた乗客たちの言葉の一つ一つがクサすぎます。

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