『チェコSF短編小説集』ヤロスラフ・オオルシャ・jr.編/平野清美編訳(平凡社ライブラリー)★★☆☆☆

チェコSF短編小説集』ヤロスラフ・オオルシャ・jr.編/平野清美編訳(平凡社ライブラリー

 英米以外のSFの翻訳は少ないうえに、訳されたものの多くはSFというよりも幻想小説や風刺小説だったりするのですが、懸念は的中し、本書収録作も前半はそんな話でした。後半はごく普通の現代SFっぽくなります。
 

オーストリアの税関」ヤロスラフ・ハシェク(Rakouské celní úřady,Jaroslav Hašek,1912)★★☆☆☆
 ――オーストリア税関の検査にあった。スーツケースからは疑わしいものは出てこなかったものの、病院で作成された教授と助手の署名入りの証明書が見つかった。「証明書によると、頭蓋骨の代わりに銀のコンロの天板を使っていますね。純度検証刻印がありませんから、一二コルナの罰金を払わなければなりません」

 『兵士シュヴェイクの冒険』の著者による〈フモレスカ〉。事故の被害者がサイボーグ化されるという設定こそSFですが、本質はお役所仕事の諷刺にあります。
 

「再教育された人々――未来の小説」ヤン・バルダ(Převychováni,Jan Barda,1931)★☆☆☆☆
 ――裁判官兄弟、図書の発見について知りながら隠していたことを否定することをするつもりはありません。また女性と男性の関係、とりわけ親の実子への関係と子どもの養育について矯正されるかぎり、現体制に賛成できない、と人前で意見を述べたことも告白します。

 長篇からの抜粋。諷刺ですらないと思うのですが、例えば中国で事実をそのまま記したとしたらそのこと自体が諷刺たりうるようなものなのかもしれません。
 

「大洪水」カレル・チャペック(O potopě světa,Karel Čapek,1938)★★★★☆
 ――先の大洪水を覚えておいででしょうか。当時、キルヒネルさんだかベズジーチェクさんだかそんな名の老人がいました。年金暮らしの身で考古学を始め、発見した土のかけらの文様をルーン文字だと決めてかかりましたが、考古学者からは相手にされませんでした。老人が私怨を募らせていたそのような折りに大洪水が起きたのです。近所の人から堤防を築くのに手を貸してほしいと言われても見向きもしませんでした。

 さすがユーモアのキレが違います。うろ覚えの老人の名前の候補二つが似ても似つかないのにはユーモアを通り越して悪意すら感じますし、物語のスケールに比して下世話なオチも効果を上げていました。
 

裏目に出た発明」ヨゼフ・ネスヴァドバ(Vynález proti sobě,Josef Nesvadba,1960)★★☆☆☆
 ――シモン・バウエルの発明により、工場は完全オートメーション化に成功した。だが妻のイレナは夫の頭がおかしくなったと言って家を出てしまった。バウエルは図に乗っていたが、得たのは金だけで、地位も名誉も手には入らなかった。しかも自動化により職を失った人々はやりがいを求めて無償で働き出したので、金さえ不要な世の中になってしまった。

 巻末資料を見る限り結構邦訳のある作者です。オートメーション化の発明により生きがいを失うというのには現代もしくは近未来のアクチュアリティを感じますが、逆に言えば発想が現実を超えられずに面白くありません。
 

「デセプション・ベイの化け物」ルドヴィーク・ソウチェク(Bubáci v Deception Bay,Ludvík Součekk,1969)★★★☆☆
 ――兵役も終盤を迎えたころ、NASAが勧誘にやって来た。NASAの訓練は軍隊よりもきつかったよ。ロシアの月に対抗した火星探検の訓練のため、ツンドラを車で走破するテストがおこなわれた。準備期間の一〇日が過ぎ、われわれは宇宙服を着て出発した。見張りは怠るわけにはいかなかった。軍隊のドッキリ好きはご存じだろう? なんらかのしかけに出会う確率は高かった。「止まれ、何か動いた」「火星人?」

 ここまでのなかでは一番SFらしい作品で、未知の敵に襲われて応戦するという古式ゆかしい定番中の定番です。古くさい宇宙観が繰り広げられますが、そうしたステレオタイプのなかに現実を潜ませている内容である以上は、古くさいのも仕方のないところです。
 

「オオカミ男」ヤロスラフ・ヴァイス(Vlkodlak,Jaroslav Veis,1976)★★★★☆
 ――脳移植の研究をしていたリント教授は、共同研究をしていた外科医のシレス助教授に裏切られ、グレートデンに脳を移植されてしまう。閉じ込められていた檻から脱走したリント教授は、底辺生活者のマースと出会い、サーカスに出て大金を稼ぐ代わりに復讐を手伝うよう取り引きする。

 SFや諷刺に頼らない作品の方が普遍性を持ち得るのは皮肉なもので、人間の知性を持った犬がやがて獣性に目覚めてゆくのが哀れです。「山月記」の李徴はプライドが高いだけの人間でしたが、リント教授は実際に知性と才能のある人間なだけに、いっそう悲しみを誘います。
 

「来訪者」ラジフラフ・クビツ(Když jsou hosté v domě,Ladislav Kubic,1982)★☆☆☆☆
 ――呼び鈴が鳴ったのでドアを開けると、ぶかぶかの服を着て大荷物を抱えた男が薄気味悪く笑っていた。「どうも。こちらを間借りすることになりました」「うちは賃貸なんてしていませんよ」「おたくに住まわせてもらいます」「警察を呼びますよ」「どうしたって追い払うことはできないと思いますがね」

 宇宙人が侵略してきたというだけの内容そのまんま過ぎて意味がまったくわからないのですが、1982年当時のチェコはまだ共産国家だったことを考えるとこれも諷刺なのかもしれません。
 

「わがアゴニーにて」エヴァ・ハロゼロヴァー(U nás v Agónii,Eva Hauserová,1988)★★☆☆☆
 ――下の階の光景のなんと恐ろしいこと。アゴニー全体が無意味なミニ国家で、何もかもが窮屈だと態度に示していた。初めて会ったときには、クランを、成熟した家母長制を、アゴニーの暮らしを熱心に擁護したものだが。「うちのクランの生活はすばらしいのです。死亡した女性からクランの心臓をいただいたの。うちのクランに何かあったら困るわ」

 家母長制社会に於けるご近所づきあいに主婦同士の姦しい感じがなく理屈っぽい。女同士に対するステレオタイプなイメージは避けたかったのでしょうけれど。
 

クレー射撃にみたてた月飛行」パヴェル・コサチーク(Let na Měsíc pojednaný jako střelba do pohyblivého terče,Pavel Kosatík,1989)★★☆☆☆
 ――スパイダーは興味深い短編を読んだ。自分の知っていることをバラードという作家も探り当てたのだ。ジョン・ケネディは貧民窟の出だった。六歳のとき、母親が秘密を打ちあけた。本当の父親はアメリカ大使のジョー・ケネディだと。ジョンはその話を信じた。役所も鵜呑みにし、なぜか大使も信じた。

 J・G・バラード「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」に想を得て、さらに発想を飛ばした作品で、宇宙人からの交信を受けたケネディがカーレースのゴールである月を目指してアポロ計画を推し進めるという筋の周辺を法螺で固めたバカSF。
 

ブラッドベリの影」フランチシェク・ノヴォトニー(Bradburyho stín,František Novotný,1989)★★★☆☆
 ――火星探査隊副隊長メル・ノートンが行方不明になった。「ブラッドベリの影」という謎めいた言葉を残して……。峡谷に救助に向かった一行は、マイナス八六度の中に立っている女の姿を見つけた。生きていたメルと連絡がつき、女はメルの母親だという。火薬を使ってメルを助け出そうとする一行の前に、次々と幻が現れた。

 タイトルになっているブラッドベリ火星年代記』のほか、レム『ソラリス』の影響が顕著ですが、ソラリスの海が人間の似姿をコピーするだけの完全に理解不能交流不能の存在だったのに対し、本編の「ブラッドベリの影」はその人の心のなかの記憶や感情を汲んで再現するなど、むしろディスコミュニケーションの表現としては後退してしまっています。『ソラリス』をブラッドベリふうにアレンジしたということなのでしょうか。無駄に長い。
 

「終わりよければすべてよし」オンドジェイ・ネフ(Konec dobrý, všechno dobré,Ondřej Neff,2000)★★★☆☆
 ――「フォト・コンテスト歴史ルポ部門、第一位のポールをスタジオにお迎えしています。わたしも時間旅行のときのきれいな写真もあるわ」「だがね、やはり心がほしい。テーマを選ぶ時点でね。アウシュヴィッツ」「テーマに怖じ気づいた?」「それはないね。宿主はSS中尉にした。ガス室に送られる女がいた。ぼくが子どもを預かると、女の目に希望の火がともったね。その瞬間に子どもを犬の群れに放り出してやった。その瞬間をシャッターに捉えたんだ」

 はじめのうちはただの司会者とゲストの何でもないやり取りが続くので、クリエイターズ・ファイルみたいなパロディなのかと勘繰ってしまいましたが、ようやくアウシュヴィッツの現場写真という趣向が明らかになり、そこから先はマスメディアによる真実と正義というお決まりのパラドックスとそこから始まった復讐譚となります。

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