『幻想と怪奇』8【魔女の祝祭 魔法と魔術の物語】

「A Map of Nowhere 07:「若いグッドマン・ブラウン」のセイラム」藤原ヨウコウ

「〈幻想と怪奇〉アートギャラリー 魔女の伝承とイメージ」
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「若いグッドマン・ブラウン」ナサニエル・ホーソーン/植草昌実訳(Young Goodman Brown,Nathaniel Hawthorne,1835)★★★☆☆
 ――夕暮れになり、若い畑主殿ブラウンは家からセイラムの村の通りに一歩踏み出した。細君のフェイスが止めるのも聞かずに邪悪な用事で森に出かけた。道を曲がるときちんとした身なりの男が立っていた。「遅いぞ。十五分前にボストンを通ったとき、教会の時計が鳴っていた」「フェイスに引き留められたんでね」と答える声が震えていたのは、男が唐突に現れたからだ。さらに進むと信心の鑑というべき善女クロイスがこんな夜更け、こんな荒れ野を歩いていた。グッドマン・ブラウンは彼女が男の姿を見て驚かないようにしたかったのだが、男は杖で老婦人の首筋に触れた。「悪魔!」敬虔な老婦人が悲鳴をあげた。「覚えていてくれて何よりだ」「これはこれは閣下ではありませんか。今晩の集会に来る若いお馬鹿さんグッドマン・ブラウンのお祖父さんとは知り合いでしたが、今の閣下とよく似てらっしゃる」

 そもそもサバト魔女狩りキリスト教と異教との関係性に関わっているとはいえ、キリスト教の信仰および罪と罰の話なので、ピンと来ないところはありました。好奇心からサバトに参加しようとしたところ、それまで敬虔だと信じていた誰も彼もがサバトに顔を見せていたというのでは、そりゃ人間不信にもなろうものです。それにしても Goodman に Faith とはあまりにもあからさまな名前です。
 

「金雀児の窪地」A・M・バレイジ/植草昌実訳(Furze Hollow,A. M. Burrage,1923)★★★☆☆
 ――ハーロウはロンドンで出会った元学者のモファットの人柄に惹かれ、七月になると別荘を訪れた。十一時半を過ぎて別荘から宿屋に戻る途中、金雀児の窪地《ファーズ・ホロー》を通って近道しようとした。葦笛に似た音が聞こえてきて足を止めた。獣の匂いに気づいて恐怖を覚えた。牧神パンなどいない。今は二十世紀だ。ジプシーの一団だとわかって安堵の息を漏らした。ところが翌日、荘園管理人のウォルターズにそのことを話すと、ここらにはジプシーはいないと言われた。いぶかるハーロウにモファットが事情を説明してくれた。「百年ほど昔、領主がジプシーに立ち退きを求めたところ、ジプシーの予言通りに領主の屋敷が火事になり、その報復でジプシーたちの野営に火を放った。小さな女の子だけが生き残った。長寿で知られるライトのばあさまだよ」

 一般的な魔女や魔術のイメージとは違い、ジプシーの呪いが題材にされていました。呪いにまつわる言い伝え自体はよくある内容ですが、燃えさかる炎や、たった一人の生き残りといったイメージの喚起力が鮮烈です。
 

「ミス・コーネリアス」ウィリアム・F・ハーヴィー/岩田佳代子訳(Miss Cornelius,William Fryer Harvey,1928)★★★★☆
 ――アンドルー・サクソンは科学教師だった。これまで心霊研究に興味を抱いたことはなかったが、友人のクリントンからメドーフィールド・テラスを一緒に調べてほしいと頼まれると、嫌とは言えなかった。住んでいたのはパーク夫妻と子どもふたり、料理人、子守り、そして家が改装中に住まわせてもらっている年配の婦人ミス・コーネリアスだった。三週間以上にわたって、ラップ現象が起きたり、家具がいつの間にか動いていたり、誰も触れていないのにありとあらゆるものがあちこちに投げられていた。サクソンはミス・コーネリアスがペンを投げているのを見たと正直に伝えて険悪になってしまったが、妻のサリーが偶然ミス・コーネリアスと遭遇して交遊を温めていた。

 「コーネリアスという女」の新訳。登場するのはポルターガイスト現象とインチキ霊媒ですが、ミス・コーネリアスが奥さんに取り入り旦那さんを悩ませるさまはまさしく魔女さながらでした。一番たちが悪いのは、本人の悪癖よりもむしろ、繊細な人間に影響を及ぼしてしまう伝染力でしょうか。心霊もので始まった物語が神経症
 

「アリ・アリスター監督が好きなのは君、そう、そこにいる君だよ」斜線堂有紀
 『ウィッカーマン』と比較しつつ、「『ミッドサマー』(二〇一九)を作ったアリ・アスター監督は人間が好きである」と結論づけます。この場合の「君」とは映画を見ている鑑賞者でした。目次もタイトルも「アリ・アリスター監督」になっているのは単なる誤植のようです。
 

「聖所」E・F・ベンスン/圷香織訳(Sanctuary,E. F. Benson,1934)★★★★☆
 ――フランシス・エルトンは叔父のホレスが亡くなり遺産を相続することを知った。遺体はその日のうちに火葬されるので急いで駆け付ける必要はないという。叔父と会ったのは四年近く前、学校を卒業したばかりのころに滞在したのが最後だった。イザベル・レイと娘のジュディスもいた。それから秘書のオーウェン・バートンがいた。イザベルはフランシスに、素晴らしい名文家だと言ってユイスマンス『彼方』を読ませた。読んでみたが不可解で難解だった。その夜、叔父がイザベルに話しているのが聞こえた。「あやつにはその傾向がないのだ……」

 魔術書ではなくユイスマンスの小説『彼方』(1891)を読ませて黒魔術の素養を植えつけようとするところが、なんだかファンによる二次創作のようです。後半がやや間延びするものの、叔父やオーウェンが蠅に呑み込まれるイメージは圧巻です。
 

「奥義書」モンタギュー・サマーズ/夏来健次(The Grimoire,Montague Summers,1936)★★☆☆☆
 ――ホドソル博士は古書店で、十七世紀初めごろに印刷されたと思しき魔術書『秘めたる奥義』を購入したが、それを見た司祭からは、燃やしてしまうべきだと言われた。振り返ると黒服の男がいた。司祭は新しい使用人を雇ったのだろうか。「何の用だ? けっこうだよ、してほしいことがあれば呼び鈴を鳴らすから」

 日夏耿之介『吸血妖魅考』の著者による創作ですが、さすがに古くさかったです。
 

「コーベット氏の蔵書」マーガレット・アーウィン/宮﨑真紀訳(The Book,Margaret Irwin,1930)★★★★☆
 ――コーベット氏は寝る前に本を読もうとして、書棚の二番目の棚に隙間があることに気づいた。だが翌朝には隙間はなく、家族に尋ねても本を動かしたりはしていないという。その夜は読書の気分ではなく、おじの神学関係の蔵書に手を伸ばして、息子のラテン語辞書や文法書を引きながら解読にいそしんだ。その手書きの本こそ、二番目の棚の隙間にあった本だと確信した。どうやら何かの秘密結社に関する本らしい。だが翌晩、最後のページを目にして戸惑いと恐怖を覚えた。『我、こころざし半ばにして命尽きたり』というラテン語の文章に続いて、昨日はなかった『汝、この終わりなき研究を続けよ』という一文が書き加えられていた。

 悪魔との契約ものの一種と言えますが、悪魔自身は登場せず、飽くまで魔術書とのやり取りだというのが不気味です。対話は出来ず一方的に命令をされるのみというのは、良いときは良いですが非道いときには最悪でしょう。魔術書に気づいてしまった娘を殺すように命じられて、夕べ娘を抱きしめる前だったならそれも出来ただろうに、と考えるコーベット氏の歪んだ発想が恐ろしかったです。
 

「ひとり残る者」マージョリー・ボウエン/安原和実訳(One Remained Behind,Marjorie Bowen,1936)★★★★☆
 ――学生のリュドルフは古物商で稀覯書『真の魔道書《グリモリウム・ウェルム》』を見つけ、店主に術をかけて魔道書を頂戴してきた。魔道書を読みふけっていると、家主の孫娘が家賃の催促に来た。「あとにしろ。忙しい」いま読んでいるのは、四人の客を招喚し、うちひとりに命じればどんな望みもかなうというものだ。リュドルフは曾祖父からもらった指輪を売って魔術の材料を買い揃えた。招喚の呪文を唱えると美少年の姿をしたルシフェルが現れ、魔術の成功を約束した。いよいよ実験の日、呪文を唱えると、嫌悪する三人の男と、公爵夫人となった高慢なコンテス・ルイーズが窓からふわふわと入って来た。リュドルフはひとり残したルイーズに、「賭博の幸運を授けよ。名声を授けよ」と言った。

 ルシフェルに不遜な態度を取るなどして度胸と覚悟は満点かと思いきや、魔術によって人が死ぬとは思っていなかったり、ひとり残った相手にノイローゼ気味になったりと、実は何の覚悟もないだめんずだとわかるギャップが可笑しい話でした。待っているのは当然のことながら身の破滅なのですが、最後もユーモラスで皮肉が効いていました。
 

「甦るアレイスター・クロウリー ――不死身の魔術師――」植松靖夫

「ヴァイオリンを弾く女」アレイスター・クロウリー/植草昌実訳(The Violinist,Aleister Crowley,1910)★★★☆☆
 ――彼女はギリシャ彫刻のような繊細な顔だちをしているが、口だけは牧神か悪魔のものと呼ぶにふさわしい。ヴァイオリンを手に、彼女は壁際に立っていた。彼女は弓と弦で生と死を断ち切った。曲は高揚し、彼女は壁を乗り越え、ついにあの調べを奏でた。彼女が手を止めても調べは続いた。少年が一人、目の前に立ち、彼女の腰に腕をまわした。「レメス。また会えたのね」。彼が耳元で囁くと、彼女は声をあげて泣いた。彼女が望んだのは生あるものの想像が及ばないほどの激しい愛だった。そのために、わたしはこんなことを?

 愛のために魂を犠牲にしてしまった女の後悔は一瞬のもの――女自身が魔性のものでした。
 

「生贄の池」アルジャーノン・ブラックウッド/渦巻栗訳(The Tarn of Sacrifice,Algernon Blackwood,1921)
 ――野蛮人がローマ兵捕虜を放りこんだ言い伝えのある〈血染池〉の辺りを通りかかったところ、見知らぬ女性と父親に招かれた。
 

「魔女の谷にて」サックス・ローマ-/田村美佐子訳(In the Valley of the Sorceress,Sax Rohmer,1916)
 ――古代エジプトの研究仲間が猫に噛まれて亡くなった。手紙に書かれてあった、罪を犯して逃げて来たらしいアラビア娘のことも気になったため、わたしは発掘現場を訪れた。
 

「死せる妻たちの奇妙な事件」リサ・タトル/金井真弓訳(The Curious Affair of the Dead Wifes,Lisa Tuttle,2014)★★★☆☆
 ――依頼人はフェリシティ・トラバースという少女だった。一カ月前に目を覚まさなかった姉のアルシンダの姿を、先週見かけたというのだ。母親の墓の前に立っていて、男と一緒にいたという。声をかけようとしたが、男に脅されて怖くなって逃げて来たという。アルシンダの残した覚え書きには、ミスター・Sの言う通りにすれば母親と死後の世界で一緒になれると書かれていた。墓地を訪れたジェスパートンとレーンは、アルシンダを連れ去った男が葬儀社のミスター・スマールだとつきとめ、早すぎた埋葬対策のための安全棺の考案者だと知り、スマール家を訪れる。

 ジェスパーソン&レーンものの短篇。どうやらシャーロック・ホームズものが「The Adventure of ~」で統一されているように、このシリーズは「The Curious Affair of ~」で統一されている模様。このシリーズはどこからどこまでが超常的なのかが読んでみるまでわからないのも楽しみのひとつです。かつて心霊家サイドにいたレーンが、死んだ母親に会いたがるアルシンダに気持ちを寄せるのは、レーンでなければ持てない感情でしょう。怪奇やミステリの趣向とは別に、ミスター・スマールに囚われていた女性たちの関係性が意外で奇妙なものであり、そうした歪さが不気味な読後感を与えていました。
 

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