『恋牡丹』戸田義長(創元推理文庫)★★★★☆

『恋牡丹』戸田義長(創元推理文庫

 『The Casebook of Detective Toda Sozaemon』2018年。

 第27回鮎川哲也賞最終候補作。英題はさしずめ『同心戸田惣左衛門捕物帳』でしょうか。現代においてはベタ過ぎる恋愛観を、江戸時代を舞台にした大河ドラマに移植するというアナクロニズムによって、ベタであることに新鮮な魅力が生まれていました。
 

「花狂い」★★★★☆
 ――長屋でお貞が絞め殺されていた。母一人息子一人で亡父の残した借金を返していた苦労人だ。発見者は息子の平吉。呆然として話も聞けない。お貞の爪に血がついていたことから、腕に傷のある下手人はすぐに捕まるものと思われた。だが予想に反して下手人は見つからない。惣左衛門が後添えの話をしたときの長男の清之介の反応はおかしかった。詳しい話も聞きたいし、惣左衛門は気分転換に久々に清之介と碁を打つことにした。

 時代ミステリや歴史ミステリにおいて、当時ならではの事情によるトリックやロジックはよくありますが、武士だから解けないというのは新鮮でした。父親の目から見ると次男よりも出来の悪い長男が、だからこそ武士であることに疑問を感じることのない父親には思いつけない真相に至るきっかけを作るというのは、なるほど面白い発想です。本作のテーマはズバリ「愛」。時代小説に現代的な価値観を導入することの是非はあるでしょうが、お貞と平吉、お静と清之介、二つの母子の愛が、惣左衛門の心を動かすことはあってもいいと思うのです。
 

「願い笹」★★★★☆
 ――吉原・丸屋の妻お千は決意した。亭主の富蔵が白犬様とかいう奇妙な神を信心して丸屋は火の車だ。富蔵を殺して、同心の戸田惣左衛門に罪を着せよう。詐欺師を追って丸屋に来て以来、花魁の牡丹のところに通っているあの男なら丁度いい。惣左衛門は屏風に囲まれた場所で神に祈る富蔵の用心棒を依頼された。だが惣左衛門の目の前で、富蔵は刺し殺されてしまう。

 『ミステリーズ!』vol.90に先行掲載された作品です。武士といえども刃物は持ち込めない遊廓という場所が舞台であるがゆえに、不可能性が高まっているうえ、舶来もの狂いと特定の時期という要素によって不可能が可能になっているように、組み合わせ方が鮮やかです。探偵役は惣左衛門ではなく牡丹が務めていますが、生真面目なところのある惣左衛門には、清之介や牡丹のような異なる視点からの助言が必要なのでしょう。惣左衛門も認めている通り、牡丹の思いはあまりにも美化が強いのですが、やはりだからこそ、というべきでしょうか、またもや惣左衛門の心が動かされます。
 

「恋牡丹」★★★★☆
 ――隠居した惣左衛門に代わり家督を継いだ清之介だが、気持が焦るばかりで空回りしてばかりいた。生駒屋の隠居・徳右衛門が殺された。現場は荒らされており、近ごろあちこちで起きている押し込みの仕業と思われた。だが現場で目撃された人物は、清之介も幼いころからよく知る、生駒屋の孫娘・おみきに酷似していた。おみきはその時刻には芝居小屋で清之介に目撃されていたが……。

 なんと前話から時間が飛び、惣左衛門が隠居し、牡丹が引き取られているということに驚きました。アリバイの真相については見え見えなのですが、そういう事態が生まれてしまうきっかけに、「八丁堀の鷹」惣左衛門が関係していたというところが、ちゃんと前話から繋がっていました。探偵役は引き続き牡丹(お糸)が務めます。優秀な弟に対するコンプレックスを持つ清之介を、母親のように導くお糸の姿を見ていると、惣左衛門から受けた恩をその息子に返すという人の心の繋がりを感じます。まさかの惣左衛門退場でしたが、それによって他の登場人物の魅力も浮かび上がり、もっとこのシリーズを読みたいという気持になります。
 

「雨上り」★★★★☆
 ――鶴屋には他の店のように若い茶汲み娘は置いてません。音松さんたちはお吉に茶を注文した後、梅屋で評判のおりょうの話をしていました。そのうち音松さんが「すっかり大汗をかいちまった。水でも浴びてくるか」と言い出して、褌一つになって川辺に歩き始めました。するとお吉が背後からすーっと近づいて、手にした盆で音松さんの頭を叩き始めたんです。ひっくり返った音松さんは打ち所が悪かったのか、動かなくなってしまいました。へええ、二人は面識がない、襲う理由がないのですか。

 第二話から第三話への時間経過も驚きましたが、第四話ではご一新が為されていました。惣左衛門もすっかり老いてしまっています。現代人にはさほど難しくはない謎も、結局父親のような石部金吉になってしまった清之介には、人の心の綾を解き明かすことは出来ません。第一話では惣左衛門に人間の心は理屈ではないことを気づかせるきっかけとなった清之介が、第三話ではお糸から逆に人の心の機微を説かれ、最終話ではまた新たな心の繋がりに気づかされるというように、個々の作品間の繋がりはゆるやかながら巡り巡って伝わっているところにほっとします。

 連作短篇というと単なるシリーズものか、または最後に大仕掛けをしてあるものという印象だったのですが、本書の場合は個々の短篇は独立していながら短篇集全体を通して読み終えてみれば一大サーガになっているという、読みごたえのある作品でした。これはこれで完結してしまっていますが、時間の隙間を埋めるエピソードが書かれて欲しいところです――という希望が多かったのかどうか、続編『雪旅籠』も刊行されています。
 

神隠し」(2018)★★★☆☆
 ――越前屋の主人・新右衛門が神隠しにあった。芝居道楽の先代が舞台を作り、年中行事に合わせて素人歌舞伎を催すようになっていた。越前屋では何事も主人が率先垂範するのが家訓となっていたため、新右衛門が一人で舞台の片付けをしていたが、ふと見るとその新右衛門の姿がどこにも見えない。内儀のお佐代が慌てて店の者と探したが、どこにも新右衛門の姿はなかった。婿養子の生活に嫌気がさした新右衛門が自ら出奔したのではないかと惣左衛門は考えたが……。

 本書刊行記念にWebミステリーズ!に掲載された書き下ろし短篇で、「願い笹」の前日譚になっています。といっても、「百日紅の下にて」が『獄門島』の前日譚というのと同じ意味合いでの前日譚ですが。神隠しとしか思えないような失踪事件が頻発していたという前提があってこそ成立する事件でしたが、(結果的に)身を隠すことになってしまった事情が切なく、それだけに魔が差す瞬間が身に染みます。

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