『いまさら翼といわれても』米澤穂信(角川文庫)★★★★★

『いまさら翼といわれても』米澤穂信(角川文庫)

 『Last seen bearing』2016年。
 

「箱の中の欠落」(2016)★★★☆☆
 ――生徒会長選挙で投票用紙が生徒数より四十枚多かった。投票箱を運んだ一年生が選挙管理委員長から理不尽に疑われ叱責されているのを見て、里志は義憤に駆られたが、投票用紙を不正に多く投票した手段がわからず、奉太郎に相談することにした。

 動機も犯人も不明なままの純然たるハウダニットです。用紙を増やすのではなく――というロジックが魅力的です。ただ、あの時点で気づけない里志がにぶすぎる気がしますし、時間の経過について衝撃を受ける奉太郎は大げさな気もします。タイトルは『箱の中の失楽』から。
 

「鏡には映らない」(2012)★★★★★
 ――中学時代のクラスメイトは折木のことをまだ許していなかった。卒業制作の鏡のフレーム造りで、折木の班は蔦文様ではなく一直線のレリーフを提出した。デザイン担当の女性徒は号泣し、折木はクラスメイトから恨まれた。確かに折木は無駄なことはしないが、だからといって三年生全員が関わる卒業制作をさぼるような人間ではない。

 伊原が語り手を務めます。古典部を通して折木のことが少しはわかってきた伊原が過去の出来事を振り返るという構成は、シリーズも回を重ねてきたからこそ。そうした伊原の視点を通すことで、自分では何だかんだ言いつつも奉太郎が本質的には昔から変わっていないことがわかります。短篇では古典部員の掘り下げに重点が置かれることが多かったのですが、本作は長篇同様に人の心が持つビターな面がフォーカスされていました。奉太郎がどういう人間かを知っている人間以外は疑問を持つこともなく、隠し方も違和感なく、悪意自体も実際にありそうなもので、日常の謎としては理想的な作品だと思います。
 

「連峰は晴れているか」(2008)★★★★☆
 ――放課後にヘリが飛んで来た。奉太郎は中学の英語教師・小木がヘリが好きだと言っていたことを思い出したが、里志はそのことを知らず、それどころか小木が自衛隊のヘリにまったく興味を示さなかったことを覚えていた。里志によれば小木は雷に三度打たれたそうだ。雑談が好きな教師だった覚えはある。奉太郎は気になって、図書館に調べに行く。

 誰もが驚くように、奉太郎自身が「気になるから」といって自発的に行動します。もちろんそこには自分のためではない奉太郎なりの理由がありました。「パリは燃えているか」をもじったような謎めいたタイトルが、実は真相そのものだったりします。見る角度による見え方の違いはミステリの基本ですが、ヘリというものの持つ意味が「一度きりのヘリ好き」と「雷に三度も打たれた」事実から導き出されるのはまさにミステリでした。奉太郎は「無神経」であることを危惧しましたが、これだけ物事が見えてしまうととても生きづらそうです。
 

「わたしたちの伝説の一冊」(2016)★★★★★
 ――読むだけ派と描きたい派に二分されてしまった漫研で、伊原は描きたい派の浅沼さんから同人誌を作って売ろうというクーデターを持ちかけられた。派閥には興味がないものの漫画を描きたい伊原は引き受けたものの、計画がばれて読むだけ派からつるし上げられてしまう。同級生で新部長の羽仁から同人誌を作れなければ描きたい派は退部しろと迫られるものの、その羽仁にネームを書いたノートを盗まれてしまう。

 伊原が語り手を務めます。奉太郎の中学時代の読書感想文が真相のヒントになっているとはいえ、奉太郎は脇役で推理する場面もありません。伊原自身の事件という性質上そうなったのでしょう。理屈めいてしまいがちな里志と奉太郎の話とは違い、伊原の話はすっきりしていていいですね。黒幕からの一言【※ネタバレ*1】がエグい。読者としてもこれまで伊原視点(もしくは古典部視点)でしか見ていなかっただけに、そういう見方もあるのかとショックを受けました。盗んだノートをその日に返す理由【※ネタバレ*2】に、何だかんだで夢のある高校生らしさを感じます。
 

「長い休日」(2013)★★★☆☆
 ――珍しく調子のよい目覚めを奉太郎は、散歩の途中で立ち寄った神社で十文字かほと一緒にいる千反田に会う。千反田と一緒に祠の掃除をすることになった奉太郎は、「やらなくていいことならやらない。やらなければならないことなら手短に」と考えるようになった小学校時代の出来事を語る。花壇の水やり係だった奉太郎は、通学に時間のかかる同級生に代わり一人で水をやっていた。

 奉太郎の省エネ主義のルーツが語られます。どこにでもあるような出来事ですが、気づいてショックを受けるほどには小学生のころから頭がよかったことがわかります。これまではどちらかといえば天敵のような描かれ方をしていたお姉さんですが、タイトルになっている「長い休日」と結びのセリフによって深い愛情を感じることができます。タイトルの元ネタは『長いお別れ』や『長い日曜日』のもじりのようにも見えますが、意味からすると『二年間のバカンス』あたりでしょうか。
 

「いまさら翼といわれても」(2016)★★★★★
 ――神山市の合唱祭でソロパートを歌うはずだった千反田が姿を消した。バスで会館まで来たことは一緒に来た参加者が証言している。徒歩となると行ける場所は限られているし、千反田が責任を放棄するとも思えないが、伊原から報せを受けた奉太郎は会館に向かう。

 冒頭だけ千反田の一人称です。風変わりなタイトルですが、読み終えてみれば「連峰は晴れているか」などと同様、答えそのものだったことがわかります。英題は「Last seen bearing」。さしずめ「失踪当時に負うものは」でしょうか。部室でこそ高校生らしからぬ伊原と千反田の意思に感心する奉太郎でしたが、やはり千反田も高校生、小さな肩には重すぎたようです。
 

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*1 楽しくやっていた弱小野球部に入ってきた天才

*2 伊原が応募した漫画の受賞結果を見て、受賞していたなら合作を持ちかけずプロを薦めるつもりだった

 


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