『ガラスの麒麟』加納朋子(講談社文庫)★☆☆☆☆

『ガラスの麒麟加納朋子講談社文庫)

 悪意や死や心の傷が扱われているにもかかわらず、深くは掘り下げられず、善意で安易にごまかしていると感じました。著者の作品のなかではわりと初期に当たる作品で、新境地に挑んだものの扱いきれずにそれまでの作風で逃げたという印象です。一話目で力尽きてしまったのでしょうか。そもそも日本推理作家協会賞を受賞したのは短篇集ではなく表題作の短篇だけのようです。
 

「ガラスの麒麟(1994)★★★★☆
 ――安藤麻衣子は通り魔に殺された。もっと生きていたかったのに。高校二年の麻衣子は美しく、公募の童話賞も受賞するほどの才能だった。同級生の野間直子は自分が麻衣子だと言うようになり、通り魔の特徴まで詳しく話し始めた。直子の父親は、麻衣子の葬儀で遭った養護教諭の神野に相談する。

 フィクションであることを逆手に取ったような真相が見事です。現実であれば信じるはずもないことでも、フィクションのなかでは信じてしまいますから【※ネタバレ*1】。真相は単純なことですが、何のことはない――とは言えない重さがあります。作中作の『ガラスの麒麟』が余計で、作品全体の完成度を求めた結果嘘くさくなってしまいました。
 

「三月の兎」(1996)★★☆☆☆
 ――無能な改革主義者の校長がわざわざ授業中に呼び出しをかけた。通学中の生徒がおばあさんにぶつかって謝りもせず立ち去り、百万はくだらない壺が割れてしまったという。生徒のタイはえんじ色、二年生のものだった。犯人を見つけろというお達しに、二組の担任小幡は頭が痛い。「そんでさー、そのばあさんったらすっげえコワイ眼でこっちにらむわけ」教室で聞こえたのは川島由美の声だった。

 さすがに校長の話は典型的な詐欺の手口ですから意外性はまったくありません。タイトルになっている「三月の兎」も、会話の一部だけを聞いて誤解してしまった話と関連付けるのは強引すぎます。安藤麻衣子のいたクラスというのがあまり活かされていません。
 

ダックスフントの憂鬱」(1996)★★☆☆☆
 ――幼なじみの美弥とは中学に入ってから口をきく機会もなくなった。そんな美弥から高志に電話がかかってきた。小学生のころ二人で拾った猫のミアが後ろ足から血を流している状態で見つかったという。獣医の話では刃物で切られた傷であり、この日はほかにも同じ傷を負った猫が運び込まれていた。その話を保健の先生にした近所の高校生・直子から、緊急の電話がかかってきた「今日はお天気だから」

 弱い者を狙うのが犯罪者の常ですが、さらには安全圏から狙うという卑劣極まりない犯罪でした。ここで描かれた犯罪は現実にも充分にあり得るわけで、日常のなかに悪意が潜んでいるかもしれないかと思うとぞっとします。
 

「鏡の国のペンギン」(1997)★☆☆☆☆
 ――少女が三人写っている。〈彼〉が殺したのは真ん中の少女だった。右の少女は殺し損ねた。すると残るは……。……学校では安藤麻衣子の幽霊が出ると噂が立っていた。トイレには「後ろにいる。ふりむいたら連れていかれるよ」という落書きが――。担任の小幡康子は養護教諭の神野にそんな話を愚痴っていた。

 助けてほしい人はトイレに籠るとか、ボヤや落書きはSOSのサインだとか、神野の主張が強引で説得力がありません。挙句の果ては見えない人の趣向をやっているのですが、到底納得できるものではありません【※ネタバレ*2】。友人が死んで不安定というのを考慮しても。無理にミステリにせず、思い込みの激しい人だったということにしておいた方がまだ何倍もましでした。
 

「暗闇の鴉」(1997)★☆☆☆☆
 ――伸也は由利枝にプロポーズしたが、「私は誰とも結婚しちゃいけないの。人を殺したもの」という返事とともに、同級生の死と放火を暴く脅迫状を差し出した。伸也はそのことを知っている唯一の人間である、由利枝の母校の神野を問い詰めた。確かにその話を保健室の生徒にしたことがある。だがその生徒・安藤麻衣子は二月に殺された。六月に手紙を出すことはできない。

 前話のボヤ云々はテキトーな思いつきではなく、自身の経験からの発言だったことがわかります。とは言え前話の時点では探偵役しか知り得ない事実なので、後出しじゃんけんにしか思えませんが。本書では誰も彼もが安っぽいくらいに孤独と苦しみにさいなまれており、また、悪意に対してあまりにも楽天的な善意で話がまとめられており、安易でご都合主義なところばかり目立ちます。なお、本作はミステリではありません【※ネタバレ*3】。
 

「お終いのネメゲトサウルス」(1997)☆☆☆☆☆
 ――犯人は初めから安藤麻衣子を狙っていたのではないか。だから直子は殺されずに済んだのでは? 安藤麻衣子は殺されたがっていたのではないか――。直子は夢に見て思い出した。麻衣子が犯人だと思われる「ヒトゴロシ」に電話していたことをと。安藤麻衣子と自分は似てるんです、と神野先生は言う。

 一応のところは一連の安藤麻衣子事件が解決しますが、犯人から被害者から探偵役から、誰も彼もが安っぽいお悩みごっこに興じているとしか思えないような薄っぺらさです。神野先生は推理にかぎらず何事も直感的すぎる(というか感情的すぎる?)のでついていけません。神野先生と同じ経験をしていない読者にも共感できるように書いてくれないと。

 「あたし殺されたの。もっと生きていたかったのに」。通り魔に襲われた十七歳の女子高生安藤麻衣子。美しく、聡明で、幸せそうに見えた彼女の内面に隠されていた心の闇から紡ぎ出される六つの物語。少女たちの危ういまでに繊細な心のふるえを温かな視線で描く、感動の連作ミステリ。日本推理作家協会賞受賞作。(カバーあらすじ)

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*1 麻衣子の幽霊が取り憑いた――のではなく、直前に同じ犯人に襲われていた

*2 視線を感じて振り向くが不審者=男だと思い込んでいたので女は目に入らなかった。しかも不審者は安藤麻衣子そっくりの麻衣子の母親だったから、見たことに気づいてないけど実際には見えていて幽霊だと思った。

*3 謎がないわけではありませんが、ポストに引っかかっていた手紙(よくある問題点らしい)が投函後に取り出され中身をすり替えられたという話と、動物の死体やライターを庭に置いたのは死者の幽霊ではなく鴉であるという話なので、これをミステリとはさすがに呼べません


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