『幻想と怪奇』9【ミステリーゾーンへの扉 「奇妙な物語」の黄金時代】
「A Map of Nowhere 08:「歩いていける距離」のホームウッド」藤原ヨウコウ
「ファンタスティック・マガジン 1940s〜1960s」
「ブレンダ」マーガレット・セント・クレア/森沢くみ子訳(Brenda,Margaret St. Clair,1954)★★★★★
――ブレンダ・オールデンは、少し時代遅れの潔癖な寄宿学校の、模範的な生徒だった。休暇を過ごしているモス島の森を歩いていたブレンダは、鼻をつく腐敗臭を嗅いでその源を突き止めることにした。男の姿が目に入った。浮浪者でも避暑客でもない。肌は灰色で、油脂のかたまりからできているかのようだった。手に死んだ鳥を握っている。次の瞬間、男がブレンダのほうへ手を伸ばしてきた。ブレンダは身を翻して走った。ブレンダは男を採石場に誘い込むことに成功した。男は採石場の斜面を這い上がろうとしたが、うしろへ滑った。這い上がろうとしては、また滑った。「出られないんでしょう?」からかうように言って、家に戻った。翌朝早く、ブレンダはチャールズに会いに行った。「おもしろいものがあるのよ」「興味ないね」。夕方、採石場に行くと、男はまだそこにいた。
思春期特有の肉体や心や家族や社会への違和感、あるいは人間そのものへの不信感。そういった諸々の感情を、人ならざる存在そのものに心を通わせるという手法で描いています。それにしても森の男が不気味でおぞましく、瞬間的に怖気を震わずにはいられません。とは言え作品内では人に害なすものかどうかもわからないのですから、そういった感覚自体が偏見と言えば偏見なのでしょう。これが例えば余所の町からきたジゴロあたりであればそれこそよくある話です。余所者どころか人外になるだけで恐ろしい話になるものです。
「生命体」リチャード・マシスン/夏来健次訳(Being,Richard Matheson,1954)★★★★★
――八月に車でニューヨークへ行こうなんて正気じゃなかった。補修中の幹線道路から迂回路に入ってからもう何時間も抜けだせずにいる。「ガソリン・スタンドがあるわ。水がもらえるか訊いてみましょ」マリアンが言った。「ガソリンもいくらか」レスが燃料計を見ながらつけ加えた。「ガソリンかい?」スタンドのわきに停まったレッカー車から、男が問いかけた。「満タンにしてくれ。それと、冷たい水を」「ここにはない。家まで来てくれ。水を汲んでくるまで動物園でも見てりゃいいさ」。男が古びた家の玄関を上がって行くのを見て、二人は檻の方へ向かった。なかを覗きこんだ。檻のなかにいたのは人間の男だった。「なんなの、これ?」「知るもんか。逃げよう」。だが車の前には男が立ってショットガンで狙いをつけていた。ゼラチン状のものが動きを再開した。〈それ〉は蠢きだした。
異星の生命体との直接の対決ではなく、生命体に脅迫されている男との対決にすることで、超常的なSFではなくサイコホラーのテイストを有している二重性が魅力でもあります。いま読むと、男の妻への愛情にマシスンらしさを感じたりもしました。
「代役」レイ・ブラッドベリ/植草昌実訳(Changeling,Ray Bradbury,1949)★★★★☆
――彼女はストリキニーネの瓶に雑誌をかぶせた。ハンマーとアイスピックはもう隠してある。準備はできた。ドアがノックされ、男が言った。「素敵な夜だね、マーサ」。どうして疑うのだろう。それはほんの些細な、言葉にできないほどのちょっとしたことだった。「気がかりでもあるのかい、マーサ」「なにも」彼女は言った。あなたの、なにもかもが、と思いながら。「レナード、あなた四月十七日の夜にアリス・サマーズと〈ザ・クラブ〉に行ったって話してくれなかったのね」「そうだったかな」「でもあなたはその頃、わたしと一緒にいたじゃない」彼女はキスをした。違う。ほんの少しだが、変わっている。彼がコースターを取りに行っている隙に、マーサは彼のグラスにストリキニーネを落とした。先週、マリオネット株式会社の新聞記事を読んで、彼といるときに感じる淋しさの理由に気づいた。等身大の、機械仕掛けで動く、人間と見分けのつかない人形。
噓を吐くなら最後まで吐き通してよ、とはよく言われることですが、浮気よりもひどい、空っぽの現実でした。自我とか尊厳とかいったもの自体が溶けて消えてしまったような虚無感に見舞われてしまうのも、やむを得ないことでしょう。
「小さな世界」ロバート・ブロック/植草昌実訳(It's a Small World,Robert Bloch,1944)★★★★☆
――今夜はクリスマス・イヴ。クライド・ヒルトンはプロッパー玩具店でふだんより忙しい仕事を楽しんでいた。ポケットの中には婚約指輪が収まっていた。視線の先のカウンターの中にいるのが、その指輪を渡す相手グウェン・トーマスだ。玩具店のドアが開き、大男が入ってきた。黒いコートをはおり、黒い瞳に宿る輝きは燃える炎のようだ。大男には小さな男の子の連れがいた。玩具店に来て顔が明るくならない子供など見たことがない。だがこの子は無表情だった。「三輪車を包んでもらえるかな」大男に言われてクライドはいったん店の奥に引っ込んだ。戻ってみると、グウェンが消えていた。服だけが床に積み上げられていた。床に落ちていた書き置きに気づいた。グウェンが書き残したものだろう。「サイモン・マロット 四九五四 アーキモア・コート クライ」。クライドはその住所に乗り込んだ。
ミクロの世界からの脱出と戦いというエンターテインメントに徹してくれるのがブロックらしいところです。恐ろしいシチュエーションであるにもかかわらず、わくわく感もあり、ある意味で安心して読めました。
「無銘の「異色」たち」木犀あこ
児童書の『意外な結末』シリーズがサキやジェイコブズや欧米のフォークロアなどの翻案だと知って驚いたという話から、「異色作家たちが新たな読者を得るには「無銘」でなければならないのかという葛藤がある」という話に。
「馬巣織りのトランク」デイヴィス・グラッブ/岩田佳代子訳(The Horsehair Trunk,Davis Grubb,1946)★★★★☆
――マリウスは一週間近くも伏せっていた。体内ではチフスが猛然と暴れまわっていた。八日目の朝、全身が燃えたつかのような異様な感覚を覚えた。階下の台所で妻のメリーアンがマッチ棒を折る音が、はっきり耳に届いた。マリウスは月末には職場に復帰していた。だがあれだけ悪意の塊だった人間が、どうすればさらに悪くなれるのかと、誰もが首をひねった。九月のある午後、マリウスはふと、あれをまたやってみようと考えた。秘訣は深い眠りに落ちそうなときに寝椅子から立ち上がるだけだ。それで体から離れられる。妻の声が聞こえてきた。「もう行ってちょうだい、ジム。あの人に見つかったらどうするの」「もう我慢できないんだ。今夜じゃダメなのか? ルイビル行きの蒸気船に乗れば、もうあいつの仕打ちを我慢しなくていいんだ」「わかった、いくわ」「九時に波止場で」相手の男は若かった。メリーアンはかつてマリウスには見せたことのない笑みを見せていた。マリウスはルイビル行きの船の乗客名簿を見て、ジムという乗客のとなりの部屋を予約した。
幽体離脱ネタというと、たいていは「戻れない」ところに勘所がありそうなものだと思っていたので、ベタななかにもちょっとした意外性がありました。そもそも病気で寝込んでいるという状況からこの展開に持っていくストーリーテラーぶりに独特のものがあります。計画を実行するなら暗闇だろう、暗闇で気づくなら手触りでだろう、というところから採用されたであろうタイトルも変わっています。
「ピアノ教師」ジョン・チーヴァー/宮﨑真紀訳(The Music Teacher,John Cheever,1959)★★★★☆
――すべて抜かりなく準備できているようだと、帰宅したシートンは感じていた。結婚して十年になる今もジェシカはことのほか愛らしいと思うが、この一、二年、二人のあいだに妙に重苦しい空気がたちこめていた。わざと料理を焦がして夫への不満を表しているかのようだった。だが思いついたのは、二人がまだ恋人同士だった十年前によく行ったレストランでのディナーに連れ出すことぐらいだった。それもベビーシッターが来られなかったために失敗に終わった。シートンはもう少し頑張ってみようと思い、土曜の午後、トンプソン夫妻を自宅に招待した。あまり乗り気ではないことはなんとなくわかった。帰りがけにジャック・トンプソンがシートンにきっぱりと告げた。君の家庭がどういう状態か、見ればわかるよ。趣味を持ったほうがいい。ミス・デミングのピアノのレッスンを受けることをお勧めする。
魔女というのを譬喩ではなく文字通りの魔女だと捉えることもできますが、実際のところは女だからこそ女のことを知りつくしている性悪婆であったのでしょう。決定的な何かがあったわけではないのに何かがおかしくなってしまった夫婦の仲は、特定の何かがあるわけではないからこそ修復が難しいのだと思います。現実だと余計に状況が悪くなりそうではありますが、毒をもって毒を制すようなやり方がどうやら功を奏したようです。
「おかしな隣人」シャーリイ・ジャクスン/伊東晶子訳(The Very Strange House Next Door,Shirley Jackson,1959)★★★★★
――噂話はしない。わたしにとって我慢ならないものがあるとすれば、それは噂話だ。隣の家のことを考えると頭にくる。バートン一族がやっと出ていくと――村の連中のせいだと思う――あの頭のおかしい人たちが引っ越してきた。おかしいことは家具を見るなりわかった。店から家に帰ろうと隣家の裏庭を横切ったところ、メイドが裏庭で地面に穴を掘っていた。「こうして地面に膝をついているのは今夜の食事を作るためなのよ」と言って見せたのはドングリが一個だった。「でも、食料雑貨店で買った鶏肉はどうするの?」「ああ、あれはわたしの猫用なの」まさか。猫のために鶏を丸ごと一羽買う人なんている? なんにせよ、隣の人たちが鶏肉を食べなかったのは確かだ。うちの台所の窓から向こうの食卓が見えるのだ。
ジャクスン得意の自分がおかしいと気づいていない人の一人称かと思わせておいて、もしかすると隣人の方がおかしいのではという描写もあってどうなるかと思っていると、それでもやはり語り手たちがおかしくて、いくら余所者に排他的な田舎にしても度を越しているのではないか――と、どちらともつかない不安な気持ちになってきます。田舎でのんびり暮らそうとした魔女一家が、排他的な村人たちから思わぬ拒絶される話だと思えば辻褄は合うでしょうか。とは言えそれも村人の主観でしかありません。蜘蛛の巣のカーテン
「大自然と魔術を操る、もう一人の異色作家」小山正
マシスンやボーモントと比べると無名ですが、『ミステリーゾーン』人気エピソードの脚本を書いていたアール・ハムナー(・ジュニア)について。第3シリーズ「狩りの最中突然に(84)」「ピアノの怪(87)」、第4シリーズ「夜の女豹(109)」、第5シリーズ「指輪の中の顔(133)」「車は知っていた(134)」「黒い訪問者(138)」「連れて来たのはだれ?(150)」「水に消えた影(156)」。玉石混淆
「歩いていける距離」ロッド・サーリング/矢野浩三郎訳(Walking Distance,Rod Serling,1960)★★★☆☆
――彼の名前はマーティン・スローンで、三十六歳。世界をこの手に握っていながら、週に三回は泣きたい気分を味わっている。スローンは窓から外を見つめながら、少年の頃のことや、故郷のメインストリート、ウィルスンさんのドラッグストアのことなどを思い出していた。ふと、考えた。車に乗って出かけよう。途中、ガソリン・スタンドで点検を頼んだ。『ホームウッド 一・五マイル』という標識がある。「歩いても行ける距離だな」マーティンはドラッグストアに入った。すべて記憶にある通りだった。二十年たってもまったく変わっていなかった。十一歳のとき名前を彫ったパビリオンの柱もある。一人の少年が今しもなにやら彫りつけている。マーティンは少年に歩み寄り、そこに二十五年前の彼自身の顔を見た。
文春文庫『ミステリーゾーン』からの再録。第1シリーズ「過去を求めて(5)」の小説版です。『ミステリーゾーン』でこのあと量産されることになる過去へのノスタルジーものですが、その最初期のものとして結構よい作品だった記憶があります。が、文章で読むと、さすがに主人公の行動に違和感を感じてしまいます。
「だれもが死んでいく」ジョージ・クレイトン・ジョンスン/浅倉久志訳(All of Us are Dying,George Clayton Johnson,1961)★★☆☆☆
――彼は見知らぬ新しい町に入り、ホテルの前に車をとめて、外に出た。「サム!」と声が呼びかけた。大柄な男が手をさしだして近づいてくる。彼の反応は自動的だった。その手を握りしめて、「また会えてよかったよ」と熱をこめていった。ホテルに入ると、彼を見た女店員から愛想のいい微笑が消えた。「フレッドじゃない? よく帰ってこれるわね」
第1シリーズ「顔を盗む男(13)」の原作ということですが、原案と言った方がいいでしょう。意図的に顔を変えているというよりは、誰からも誰かに間違われる顔をした男の話です。悪党ですらない小悪党の最期は惨めなものでした。『ふしぎの国のレストラン』より再録。
「行き止まり」マルコム・ジェイムスン/三浦玲子訳(Blind Alley,Malcom Jameson,1943)★☆☆☆☆
――フェザースミス氏はとにかく虫の居所が悪かった。生まれて初めて心臓発作も起こった。もう一度若さを取り戻したい。フェザースミス氏が会いに行った魔女マダム・ヘカテの要求は、彼の魂ではなく全財産だった。寝台車の中で目を覚ました。快適なはずの列車が激しく横揺れしている。しかも次の駅で寝台列車は切り離された。そうだった。四十年前じゃ直通の寝台列車などめったにあるもんじゃなかった。それに変わっているのは服装だけで、自分自身はまるで変わっていなかった。
第4シリーズ「再び故郷へ(116)」原作。映像版もひどいものでしたが、原作に至っては契約すらも満足に出来ないお粗末ぶりです。それを考えると、映像版は悪魔がうまく裏を掻いた【※ネタバレ*1】ように改善されていました。
「パール・ジャコビアンの赤ちゃん」チャールズ・ボーモント/植草昌実訳(The Child,Charles Beaumont,1951/2013)★★★☆☆
――サミュエルスン夫人はどう切り出そうか迷っていた。「今日、パール・ジャコビアンに会ったの」「ねえ、パールはどこに行こうとしていたの? 三人目の子が死んでしまったあと、彼女を見かけた話ははじめて聞いたわ」「ベイカー先生の診療所に行くって、笑って答えたわ」「もしかして……」「勘ぐるのはよしましょう。あのと、パールはもう子供をつくれない体になった、と先生に言われたのよ」。……ベイカー医師は受話器を耳に当てた。「パールが産気づきました」トム・ジャコビアンがの声がした。「落ち着きなさい。きみの勘違いだ」「陣痛を起こしてるんです」「わかったよ、トム。診ればわかるだろう」
古典的な○○怪談です。かまびすしい奥さまたちの噂話が中心に描かれていて、パール・ジャコビアン本人は直接には登場しません。それだけに、最後になって姿を見せるあの存在が効果的でした。
「『ミステリーゾーン』エピソード一覧」
「ナポレオンの帽子」イヴリン・ファビアン/高橋まり子訳(Napoleon's Hat,Evelyn Fabyan,1955)★★★★☆
――わたしたちが住んでいたのは、十八世紀に建てられた小さな館《シャトー》だった。家から離れた畑を越えてさらにその先に広がる松林の手前に、その小屋はあった。理由は忘れたが弟とわたしはそこを〝黒い足の家〟と呼んでいた。怖くてたまらなかったものの、好奇心が薄れることはなかった。毎日がとても気楽で、わくわくすることばかりだった。わずか一年後、わたしが九歳の誕生日を迎えたあと、あらゆる価値が一変する出来事が起きてしまった。ドイツ人の家庭教師がやってきた。幌つきの馬車からノイベルク先生が降りて、母がわたしたちを紹介した。母と先生がいなくなってから、弟の顔が青ざめていることに気づいた。「大変だ、ソランジュ。あの人、目玉が白っぽかった」「あんた、やけに礼儀正しくしてたわね」「怖かったんだ」「まだ何もわからないわ」「ナポレオンと同じ帽子をかぶってた。かっこいいなあ!」
姉弟のところにやって来た外国人の家庭教師――。典型的な余所者=人ならざる者の恐怖が漂う物語でした。幸せだった世界に割り込んで来た高圧的な異分子は、たとえ化け物でなくともそれまでの日常を脅かす恐ろしいものです。果たして彼女は本当に化け物なのかどうか――それを本人や直接的な恐怖ではなく、帽子の有無でずらしてみせるのがやけに記憶に引っかかって残ります。
「精巧な細工」キャサリン・M・ヴァレンテ/貝光脩訳(A Delicate Architecture,Catherynne M. Valente,2009)★★★☆☆
――菓子職人だった父は毎晩、綿菓子でわたしの枕をつくってくれました。それだけではありません。家財の多くは飴細工でできていました。でもプラムの砂糖漬けを食べるためのフォークはツバメの骨でできていたので、奇妙な塩辛さが舌に残ったものでした。どうしてなのかとわたしがたずねると、父はこう答えました。砂糖というものが生きた植物からつくられている、ということを、おまえはつねに心に留めておかなければならない。砂糖をつくってくれる子どもたちが流す汗は、塩の味がするんだ、と。わたしは父によく、母はどこへ行ってしまったのか、とたずねました。「ウィーンに住んでいたころ。皇妃さまを満足させることなどできない三流職人が、世界でいちばん純粋な砂糖を手に入れた。わたしはその砂糖びんを譲り受け、煮つめてお嬢さまの形をした型に流しこみ、オーブンに入れた。一、二時間でおまえの焼き上がり、ってわけだ」
『孤児の物語』の著者による、おとぎばなしがテーマのアンソロジー寄稿作。さしずめ「本当は怖いおとぎばなし」といった態の作品でした。
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*1 見た目は若返ったが内臓までは約束していない。
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