『わたしたちが火の中で失くしたもの』マリアーナ・エンリケス/安藤哲行訳(河出書房新社)★★★★★

『わたしたちが火の中で失くしたもの』マリアーナ・エンリケス/安藤哲行訳(河出書房新社

 『Las cosas que perdimos en el fuego』Mariana Enriquez,2016年。

 アルゼンチンの〈ホラー・プリンセス〉による短篇集。帯にケリー・リンクの惹句掲載。解説に引用されている著者の言葉によれば、本質的にホラー作家のようです。ただし、現代のホラーは幽霊屋敷では起こらないというスタンスのため、作品はかぎりなく主流文学に近づいています。
 

「汚い子」(El chico sucio)★★★★☆
 ――わたしはいかれてる、家族はそう思ってる。治安の悪い祖父母の家に住むことに決めたから。わたしの家の前、かつてのコンビニには、若い女性が息子と暮らしている。妊娠数か月だがヤク中は痩せているのでわかったものじゃない。五つくらいの息子は学校に行かず、カードを売って地下鉄で過ごしている。ある晩、呼び鈴が鳴った。あの子がいた。「ママがかえってこない」一緒に過ごしてあげたのに、母親からは怒鳴られ、息子も知らんぷりをした。なんて恩知らずなガキ。

 日本や欧米以外の国の作品を読んだときに困るのは、記されていることがどれだけ一般的なのか現実的なのかということがわからないことです。主人公の友人の美容師が語った生贄の儀式が荒唐無稽な絵空事なのか、それに類する土俗的な因襲があるのかがわかりません。美容師が当たり前のことのように語るのを読んで薄ら寒くなりました。近所で事件が起きたときに、初めのうちはみんな探り合いをしているからまずは直接たずねるよりテレビで情報を得る方がいいという感覚がリアルです。それにしても貧しさと死の距離が近すぎて恐ろしい。
 

「オステリア」(La hostería)★★★★★
 ――父親の市議会議員選挙の運動中は、フロレンシアたちは追い出されることになった。問題はラリだった。週末はいつも外出し、酔っ払い、彼氏が大勢いた。フロレンシアは放課後、ののしる女の子たちと殴り合いをしてまで妹を守らなくてはならなかった。いったいどうなるんだろう? フロレンシアは親友のロシオにメールを送った。「会いに来て」。観光ガイドをしていた父親が、オステリアが独裁期の警察学校だったことを話したせいで首にされちゃった、とロシオは話した。だから雇い主のエレーナに嫌がらせするの。

 現代の幽霊屋敷という著者の発言はこういう意味であったのかと、ちょっと意外な念に打たれました。「汚い子」では飽くまで恐怖の対象が古典的幽霊から現実的な対象に移っていたのに対して、本作で描かれていたのは紛う方なき幽霊屋敷でした。ただしはじめは愚連隊にでも襲われたのかと思うような、やはり現実的な危険として少女たちを襲います。そうは言っても、結末の妹の思わせぶりな発言もあり、多感で想像力豊かな少女二人のヒステリーという線も捨てられません。タイトルが一字違えば「histeria」となり、スペイン語でヒステリーの意になるのだからなおさらです。
 

「酔いしれた歳月」(Los años intoxicados)★★★★☆
 ――あたしたちはパラグアイから運び込まれた有毒のマリファナを喫った。親はぜんぜん気づかなかった。アンドレアの家の台所で、あたしたちはぜったい彼氏はつくらないと誓った。ある夜、いつもより早くバスで帰ってきたとき、女の子が立ち上がって運転手に近づき、降ろしてくれるよう頼んだ。「こんな時間に、どこに行く気だ?」ポニーテールのその子は憎悪の目で男をにらみつけた。その子はバスから降りて木々のほうに走った。たぶん公園の警備員の娘なんだよ、とパウラの兄さんは言った。

 女の子の正体が何であれ、何年にもわたってこだわっているというのは普通ではなく、変種のイマジナリー・フレンドのようでもあります。白いリボンは失われゆく少女時代を繋ぐよすがでしょうか。
 

「アデーラの家」(La casa de Adela)★★★★★
 ――アデーラは場末のプリンセスだった。彼女の住む一戸建てはまるでお城。兄とわたしが彼女と友だちになったのは、アデーラには片腕しかなかったからだ。生まれつきなの、とアデーラの両親は言った。アデーラはユニークな性格をしている。本当は犬に襲われたの。兄は彼女の嘘を楽しんでいた。やがて兄たちはホラー映画の話を、それが終わると別の話をしてくれた。わたしはとりわけ廃屋の話が好きだった。スーパーから半ブロックのところにある廃屋は、窓はふさがれていて、芝生は地ならしされたみたいに短かった。

 兄のことを考えれば、幽霊屋敷に呪われてしまった話なのだと素直に捉えるべきなのでしょうか。「アデーラの家」という表現のこともありシャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』を連想し、居場所のない少女が自身の空想で作りあげた終の棲家に潜り込んだようにも感じてしまいます。それというのも幽霊屋敷のイメージが非常に作り物めいていて、映画のセットかお化け屋敷の跡地なのでは――と思いながら読んでいたこともあります。それだけに直後の急転直下は怖かった。
 

「パブリートは小さな釘を打った――ペティーソ・オレフードの喚起」(Pablito clavó un clavito: una evocación de petiso orejudo)★★★★☆
 ――初めてペティーソ・オレフードの幽霊がパブロの前に現れたのは、犯罪と犯罪者のツアーの最中だった。生後十か月で死んだ兄の思い出がペティーソにつきまとい、犯罪の多くで埋葬の儀式を繰り返した。サン・カルロス通りの交差点で、ペティーソは十八か月の女の子を襲った。そのとき九歳だった。パブロが好きなのはペティーソ最後の犯罪だった。それはツアー客をいちばんぞっとさせた。怖がる様子を見るのが楽しみだった。

 シリアル・キラーに共感するような嗜虐趣味のちょっと危うい人物が主人公です。目を背けたくなるような残酷な犯罪の記述が続いたあとに、遂に――と思うところで敢えて書かない、何も起こらない、でも何も起こらないはずはないのでは……と想像力を掻き立てます。
 

「蜘蛛の巣」(Tela de araña)★★★★☆
 ――わたしは伯父夫婦を訪ねて行った。母が死んで捨て鉢になって結婚し、そして今はフアン・マルティンにうんざりしていた。次の日、従姉のナタリアから買い物に誘われた。「一緒に行かない? 旦那も連れてこ」露店で突然フアン・マルティンが言った。「これはみんな密売だ」わたしは彼の腕をつかんだ。「そんなふうに言わないで。殺されるわ」帰り道で車が突然停止した。夫は文句を言うだけだった。ナタリアは車から降りて通りかかる車を止めようとしていた。

 「わたしたちはみんな、間違いをおかすわ/肝腎なのは、それを直すこと/解決策のないのは死だけよ」。ナタリアが見た消えた火事の話や、トラック運転手の語る消えた姑(!)のエピソードがあることから、失踪に何らかの超常的な意味があるようにも思えます。もちろんただの偶然で、これ幸いと駄目男を捨てただけのことなのかもしれません。
 

「学年末」(Fin de curso)★★★★☆
 ――歴史の時間に、だれかが小さな、ぞっとするような悲鳴を上げた。マルセラは左手の爪を引き抜いた。歯で。まるで付け爪みたいに。まったく痛がっていなかった。何人かの女の子が吐いた。マルセラの両親は、あの子は薬を飲んでいるんです、セラピーを受けてます、落ち着いてます、と断言した。ほかの親たちは信じた。すべてが本当に始まったのはトイレでだった。

 精神的に問題のある少女による肉体的な恐怖が描かれており、思春期特有の不安定さによって別の少女にも伝染してしまいます。無論伝染するのは精神的なものなのですが、無理に誤読すれば伝染したのは幽霊かもしれません。
 

「わたしたちにはぜんぜん肉がない」(Nada de carne sobre nosotras)★★★☆☆
 ――ごみの山の中にそれを見つけた。口腔外科の学生たちの仕業だ、と思った。その頭蓋骨には下顎と歯が全部欠けていた。探したけれど、歯は見つからなかった。残念。両手で持ってアパートまで歩いた。リビングのテーブルに置いた。小さかった。頭蓋骨《カラベラ》と名付けることに決めた。夜、恋人が帰ってきたときには、もう単にベラだった。「それ、なんだ? いかれてる」

 わたしはおかしくない周りがおかしいんだ、という狂人の理屈をこねて自分だけの世界に閉じ籠もっているうちはいいですが、骸骨に取り憑かれるあまりシリアルキラーの一歩手前のような恐ろしさを感じてしまいます。
 

「隣の中庭」(El patio del vecino)★★★★☆
 ――目を覚ませられたノックの音があまりに大きかった。悪夢に違いない。ミゲルは寝ている。信じられない! 「どうした、パウ?」「ドアをたたく音、聞こえなかった?」「見てみるよ」「だめ」武器を持った泥棒なら。ミゲルはパウラを病気だと思っていた。ジムに行け、窓を開けろ、友人と会え。隣の家の人は眼鏡をかけた独身の男性で、礼儀正しいけれど愛想のない挨拶をした。中庭で何かが動く気配がした。猫ではない。片方の脚だった。子供の脚。足首に鎖がつながっていた。

 主人公のパウラが心の病を患っている(いた)のは明らかであるにもかかわらず、というかだからこそ、妄想かもしれない暴力的な音が臨場感を持って響いてきます。そんなニューロティックな不穏さが、鎖に繋がれた子どもの足という物体によって一気に虐待を思わせる現実的なおぞましさに変じますが、それすらも本当の怪物の前の序曲に過ぎませんでした。
 

「黒い水の下」(Bajo el agua negra)★★★★★
 ――ピナッ検事は二か月のあいだ、その事件を調べていた。酔っ払った警官二人が十五歳の少年二人を殴り、川に突き飛ばした。女性が叫び声を耳にしていたが、南部の警官たちはこれまで何度も無罪になってきた。ピナッ検事はビジャには何度も足を運んだ。有毒廃棄物投棄の調査のためだ。そこで生まれた子たちに奇形が増えた。奇形の女の子の一人がオフィスを訪れ、「エマヌエルはビジャにいるよ」と死んだ少年の名前を挙げた。警官に有利な発言をするよう買収されたんだ、と思いながらも検事はビジャを訪れずにはいられなかった。

 何よりもまず、人の命さえ軽い不正がはびこっている現実にぞっとしますし、汚染でタールのように澱んだ川で溺れ死ぬというおぞましさに生理的嫌悪をもよおされました。現実が地獄であるのなら、邪な神に救いを求めることもあるでしょう。無論検事の見たのが幻覚や妄想であり、通り過ぎたのがただのパレードである可能性だってあるわけですが。
 

「緑 赤 オレンジ」(Verde rojo anaranjado)★★★☆☆
 ――ほぼ二年前、彼はわたしのディスプレイでは緑か赤かオレンジの点になった。カメラのスイッチを入れないので、わたしは彼を見ていない。脳の震えが起きて二週間たって、彼は閉じこもってしまった。二年たった今、わたしは毎晩、緑、赤、オレンジを待ってる。わたしは彼とチャットしてる。だんだん緑でいるのが減っている。

 チャットの相手が機械なのではないかという会話をする場面がありますが、引き籠もりの相手とチャット越しに話しているということは、相手の存在を確認するには食事が減っているかどうかくらいしかすべがないと考えると、あながち絵空事とも言えないような気もします。
 

「わたしたちが火の中で失くしたもの」(Las cosas que perdimos en el fuego)★★★★★
 ――最初は地下鉄の女の子だった。寝ているときに夫がアルコールをかけ、ライターを近づけた。彼女の顔と腕は火傷でまったく形が変わっていた。彼女は車両に乗り込むと、乗客の頬にキスして挨拶する。何人かが顔を遠ざける。しかし、焚火が始まるようになるには、ルシーラが必要だった。ルシーラの彼氏も喧嘩の最中にルシーラを燃やした。だから、女たちが自分を燃やしはじめたとき、だれも信じなかった。

 男は慣れなきゃいけなくなる。女性の売買もなくなる――。被害に遭った女たちが被害を逆手に取って叛乱を起こすという発想でしか自衛出来ないのだとしたら、悪夢のようなディストピアです。南米は日本より性被害が多そうですし、twitter辺りで何が流行るかわからない時代、形を変えてあり得るかもしれない悪夢なのかもしれません。

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