『S-Fマガジン』2022年8月号No.752【短篇SFの夏】
「魔法の水」小川哲
「『地図と拳』とあわせて読めばより深く味わえる」そうなので、それまで読むのは保留しておきます。
「戦争を書く、世界を書く」逢坂冬馬×小川哲
「自分と同じような価値観や立場の人間の考えることであれば、わざわざフィクションにせずとも想像がつくからです」という小川氏の創作姿勢は明確です。それにしても、小説の世界にまで文化盗用が忍び寄っているとは。
「奈辺」斜線堂有紀
「怪物」ナオミ・クリッツァー/桐谷知未訳(Monster,Naomi Kritzer,2020)★★★★☆
――貴州省に来たのは、アンドルーを捜すためだ。アンドルーと出会ったのは高校二年のときだった。わたしはオタクで、一九八〇年代当時、それはカッコよさの対極にあった。ある日、わたしが本を読んでいるのを見て、アンドルーが一冊のペーパーバックを手渡した。「きっと気に入るよ」。翌日、わたしたちは一緒にランチを食べた。アンドルーには彼女がいた。二人が別れた数か月後、彼女とばったり会った。「アンドルーが死んだウサギを冷蔵庫に入れてたことを知ってる?」。それが別れた理由だという。貴州省に来ればアンドルーのほうから捜し出すはずだと、彼らは考えているらしかったが、アンドルーからは何の連絡もなかった。食堂に西洋人の男がいる。もしかすると彼もアンドルーを捜しに来たのだろうか。アンドルーはわたしの研究を利用して、家出したティーンエイジャーを実験台に、超人的な俊敏さと反射神経と力をもたらす薬剤を開発し、逃亡していた。
本を開いて伏せたりページを折ったりする語り手のことを怪物扱いした若かりし頃のアンドルーが、本当の怪物になってしまいます。復讐してもなぜひどい目に遭っているのかが相手にはわからない、とわかっていながら復讐をした時点で怪物に足を踏み入れていたのでしょう。
ほかの寄稿者(ここ最近の若手作家)にはついていけないのでパス。
「乱視読者の小説千一夜(76)インド夜想曲」若島正
「リー・シーゲルというまったく知らない作家の、Love in a Dead Language(一九九九年)という、聞いたことのない小説」について。「『カーマ・スートラ』の注釈という形式を借りてロス教授が綴るのは、露骨なセクハラの物語である」そうです。
「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡(3)仁木悦子、藤木靖子、戸川昌子――推理作家の挑戦(前篇)」伴名練
「SF翻訳、その現在地と十年後の未来」古沢嘉通
「大森望の新SF観光局(85)新しい日本SF短篇に浸るための2冊」
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