『紙魚の手帖』vol.05 2022 JUNE【名探偵と名犯人の攻防を描く倒叙ミステリの最前線】
「世界の望む静謐」倉知淳
「五線紙上の殺意 犯罪相談員〈1〉」石持浅海 ★★☆☆☆
――ミュージシャンの有馬駿はとあるNPO法人を訪れた。悩みを解決するために犯罪に走ろうとする人間の、相談に乗るNPO法人がある、そんな噂を聞いて電話をかけたのだ。殺したい相手の名は福留正隆。相方だ。高校時代の同級生で、福留が作詞作曲編曲とピアノを担当し、有馬がボーカルとギターを担当していた。だがそのうち自分でも曲を作りたくなった有馬は、SHUMA名義で投稿サイトに自作曲をアップロードした。意外なほど好意的なコメントが寄せられて、手応えを感じていたとき、福留がスタッフと話しているのを聞いてしまった。「ああ、あれは有馬だけじゃなく、ほとんど俺の仕事ですね。今とは違ったサウンドに挑戦したくて別名義でやってるんです」。バカな。すべて自分一人で作った。福留の手など一つも入っていない。事情を聞いた相談員は答えた。「あなたの音楽的成功のために、相手の殺害は必要ではありません。殺害しか選択肢がないときと比べて、どうしても詰めが甘くなります。やめておいた方がいいと思われます」「自殺や事故死なら、警察は疑わないんじゃないでしょうか」「稚拙な偽装はあっさり見破られます。あなたと相手には、体格差や体力差はありますか? 対等であるなら、抵抗されて殺せなくなります。断念した方が無難です」相談員に説得されたいったんは思いとどまった有馬だったが、ふと気がついた。相談員が強調していた失敗のリスクを回避すれば、自分は捕まらないのではないか――。
犯罪相談員というシリーズものの新連載のようです。通常、倒叙というと犯行場面から始まるものが多いのですが、この作品では、犯行計画を相談することによってより成功確率の高い犯行方法を選んで実行するという形式が採られています。モリアーティ教授が主役の倒叙みたいなものですが、言ってみれば探偵側からのツッコミを先回りして回避しておくことによって、探偵不在の倒叙を成立させているのは面白い試みだと思いました。ただ、この作者の作品全般に言えることですが、ロジックの粗が気になります。結局選んだのが「稚拙な偽装」にしか思えず、あの長々とした相談は何だったのかと思ってしまいました。
「空ろの匠」大倉崇裕 ★★★★☆
――階段の軋む音がした。ぐっすり眠っていると思っているのだろう。小野坂次郎衛は鉄棒を手にして那須太逸の後を追った。歳のせいで夜目が利かなくなっていたところに、那須の持っていた携帯電話の光で目がくらんだ。「あれ、師匠ですか?」「ちょっと……散歩や」次郎衛は那須の頭に鉄棒を振り下ろした。那須の体は土手から川面へと落ちていった。……後継者不足に悩む伝統文化の担い手を育てるプロジェクトがあり、三年前、身寄りのない那須が飾り職人になりたいといって京都にやってきた。一度も弟子をとったことがない当代一の名人、次郎衛が師匠を引き受けたときはびっくりしたものだ。メキメキと腕を上げていった那須の面倒を見る姿は、本当の親子のようだった。次郎衛の様子を心配したお茶屋の小六が持参した寿司に手もつけない。そこに林城寺の住職が訪れた。住職が手を合わせている間、小六は部屋を見渡す。かつての賑わいを取り戻すことを小六は楽しみにしていた。那須の弟子入りでそれも可能だと思っていたのに。次郎衛が引退したのは、六年前に妻の海世を亡くしたときだった。
福家警部補シリーズ最新作。ミステリ小説の犯人はたいてい、探偵から事件の疑問をぶつけられると、スルーすることができずについ反論を強弁してしまうことが多いのですが、次郎衛は福家からの疑問にも、「そうおっしゃるんやったら、そのどちらかなんでっしゃろ」と軽く受け流します。この時点で、ほかの犯人とはひと味違う印象が残りました。動機が明らかにならないまま終盤を迎え、動機の暴露と共にもう一つの犯罪が明らかになったのには驚きました。妻への思いを再三口にしていたことから、動機は復讐であろうと見当はついていましたが、まさか復讐の矛先はそっちであったとは。八百屋お七というか「木の葉は森に」というか。犯人の最後の一言に、タイトルになっている「空ろ」が響きます。福家は警視庁から京都府警に出張しており、京都府警の刑事に説明する形で福家の推理の過程が明らかにされていました。
「吾輩は犯人である」似鳥鶏 ★★☆☆☆
――証拠はまだ無い。おそらくは。やってしまったのである。かいぬしのお気に入りなのに。陶器とかいう素材はすぐに欠けてかいぬしに悲鳴をあげさせる。わざとではなかったのである。ただ少々、かいぬしがダイニングテーブルの上に残していったミルクのポットが気になっただけなのだ。如何にして、叱られる事態を回避するか。そして吾輩は、カーペットの一番暖かいところで寝そべっている後輩に目を留めた。そうだ。彼奴がいた。後輩に罪を被って貰うより他に道は無い。吾輩は後輩と遊ぶふりをして現場に誘導した。やがて吾輩の目論見通り、後輩はカップの破片が散乱する紅茶の池の中にばしゃん、と着地した。
古典的な「死体の上に割れた窓ガラス」を動物でやっただけ、と思わせておいて実は叙述トリックだった、というズラシは面白いのですが、その捨て推理に説得力がないのでせっかくの趣向が生かし切られていません。
「ギガくらりの殺人」相沢沙呼 ★★★☆☆
――閉店後に自分がブレンドした味わいと薫りを堪能してから帰宅するのが、森川の日課となっていた。妻である智子は珈琲があまり好きではない。それも森川には好都合だった。森川は珈琲以上に女が好きだった。結婚後にも他の女性に手を出したことは何度もある。スマートフォンが振動を告げた。外田優姫奈からのメッセージだった。『あなたがなくしたと思っているもの、実はうちにあるの』。慌てて連絡を取った。『はい』「困るよ優姫奈ちゃん。明日は結婚記念日なんだよ」『返してほしい?』「そりゃそうだよ」『それなら、すぐにわたしの部屋に来て』。優姫奈があてつけのように同じマンションに引っ越してきたときには、森川は仰天したものだが、これまで部屋を訪れたことはない。「この部屋に隠してあるの。見つけたら持って帰って構わないわ。ヒントを上げる」優姫奈は付箋になにかを書き込んでいく。渡されたメモを見たが見当もつかない。部屋をうろうろと彷徨った挙句、カーペットが小さく膨んでいることに気づいた。「ここだ!」森川は勢いよくカーペットを捲り上げた。
城塚翡翠シリーズ。史上もっとも笑える事件現場です。犯人の失言は、それこそミステリファンには常識レベルでわかってしまうのですが、犯人がくらりを浴槽に沈めた理由からもう一つ推し進めて物証まで手に入れてこその名探偵なのでしょう。
「『Shooting Columbo』の衝撃」町田暁雄
「今現在、TVシリーズ『刑事コロンボ』を、世界で最も深掘りした研究本」とのこと。この記事では裏話的な内容が紹介されています。
「第22回本格ミステリ大賞全選評」
森谷明子氏が『黒牢城』の本格ミステリ部分に疑問を呈しているのが意外な気がしたのですが、よく考えたら鮎川賞受賞者でした。佳多山大地氏は評論・研究部門で法月綸太郎『フェアプレイの向こう側』に投票していましたが、そこで紹介されているロスマクとフェアプレイという組み合わせがまさに法月氏そのものでした。
「台北パテーベビー倶楽部」溝渕久美子 ★★★☆☆
――京都のフィルムアーカイヴで働く真中は、「台北パテーベビー倶楽部」と書かれたフィルム缶と古い日記帳を受け取った。〈大叔母はある人物と映画を撮る中で、潜像《ラテンテビルト》というものに出会ったようなのです。危険なものであると思われます〉。真中はまず日記を読み始めた――。台湾の物産商Kの娘の日本語教師として神戸からやって来た「わたし」は、Kの息子Sから、知り合いだというTを紹介された。Tは白皙の美男子――として生活していたが、実は親に男として育てられた男装の麗人だった。Tと恋愛関係になった語り手はともに映画を作って倶楽部で上映し、高評価を得ていた。そのうちTは意識の下に新たな像《ビルト》を作り出す潜像という現像法を編み出し、それによって世界を変えようという野望を打ち明けた……。
「神の豚」で第12回創元SF短編賞優秀賞を受賞した著者による、受賞第一作。観る者の深層心理に働きかける映像というSFアイデアこそありがちなものの、自主映画への情熱や、世間に秘した男装の麗人というロマンや、その麗人との恋など、舞台となっている戦前という時代の混沌が伝わって来るようです。
「ぼくたちが選んだ」(第3回)北村薫・有栖川有栖・宮部みゆき
「INTERVIEW 期待の新人 京橋史織『午前0時の身代金』」
「INTERVIEW 期待の新人 川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』」
「INTERVIEW 注目の新刊 辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』」
「INTERVIEW 注目の新刊 加納朋子『空をこえて七星のかなた』」
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