『死者の饗宴』ジョン・メトカーフ/横山茂雄・北川依子訳(国書韓国会〈ドーキー・アーカイヴ〉)★★☆☆☆

『死者の饗宴』ジョン・メトカーフ/横山茂雄・北川依子訳(国書韓国会〈ドーキー・アーカイヴ〉)

 『The Feasting Dead』John Metcalfe,2019年。

 日本オリジナル短篇集。前半にクセのある作品、後半に普通の作品が収められています。クセのある前半の話と、「時限信管」のラストシーンが印象に残りました。
 

「悪夢のジャック」横山茂雄(Nightmare Jack,1925)★★★☆☆
 ――ビルマから神像の宝石を盗み出した男たちに奇妙な出来事が起こるようになった。頬に傷が出来、指さす男につきまとわれ始めた。ビルマに宝石を返そうとする盗っ人たちから頼まれた船長〈悪夢のジャック〉は宝石を独り占めしようと企み、呪いを引き継いでしまう。これは悪夢のジャックから十年前に聞いた話だ。

 意図して取っ散らかっているのか、それとも小説が下手くそなのか、よくわからないところがあります。よくわからないけれどとにかく不気味で、全体像が見えづらい語りのせいで不気味さがいっそう醸造されています。盗っ人から話を聞いた悪夢のジャックから話を聞いた語り手の話だなんて、信頼できないも何もほぼ噓といっていいでしょう。酔っ払いが書いたような無茶苦茶な話なのですが、本書後半に収録されている作品は普通すぎてつまらないので、比べると前半作品の方が評価が高くなりました。
 

「ふたりの提督」横山茂雄(The Double Admiral,1925)★★★☆☆
 ――ジョン・チャールズなる主教が旧友の退役提督から招かれた。再会した提督はどこか具合が悪そうで、家には心霊家を自称するベヴァリーなる人物もいた。提督が主教を招いた理由はほかでもない、海上に〈島〉と呼んでいる茶色い染みが現れては消えるのだが、ほかの者には見えないのだという。それを目撃すると生命力が吸い取られてゆくのを感じていた。

 砂時計の砂が上から落ちて消えて下に新たな砂山が創造されるように、逆転してゆく現象――という発想は独創的でかなり面白いのですが、やはり書きぶりが独特で読みづらいため怖くもなんともないただの理屈だけの話になってしまっています。言い落としや構成のバランスが普通とは変わってるのだと思います。創元推理文庫『恐怖の愉しみ(下)』にも平井呈一訳「二人提督」が収録されています。
 

「煙をあげる脚」横山茂雄(The Smoking Leg,1925)★★★☆☆
 ――奥地に住むいかさま医師ゲイガンは、アブダラ・ジャンという水夫を手当てしてやった。「やめてくれ!」と叫ぶ水夫を無理矢理手術し、脚の内側が円形に盛り上がって激しく痛んだ。それからしばらくして、船が燃える事件が起こっていた。アブダラの脚に歌いかけると呪いはなだめられるが、ちょっとでも間違うと炎があがった。偶像にはめこまれていた紅玉をゲイガンが護符と共に縫い込んだのだった。

 新編異色作家短篇集19『棄ててきた女』所収。「悪夢のジャック」と同工異曲ですが、入れ子構造のない分こちらの方がすっきりしています。
 

「悪い土地」北川依子訳(The Bad Lands,1920)★★☆☆☆
 ――十五年前、オーメロッドが神経症治療のためトッドに到着した。神経の症状は改善されたが、散歩に出かけるたび不快感は増した。黄色い砂丘と塔のせいではないだろうか。行ったことのある人間によれば、フェニントンという腐敗した場所だという。オーメロッドはその場所の破壊を決意した。

 セイヤーズ編のアンソロジーに収録されているため比較的人に知られている作品だそうです。本当に悪い土地は存在するのか、はたまた神経症患者の妄想か、というのは、冒頭三作と比べるとオーソドックスな怪談でした。
 

「時限信管」北川依子訳(Time-Fuse,1931)★★★☆☆
 ――ミス・エレン・ムーディは冊子に書かれた霊媒師のことを思い出していた。「ヒュームは数回にわたって赤く燃える石炭のなかに手を突っ込み、いくつかを取り出し、頭の上に置いた」。エレンは石炭の方に手を伸ばし、赤々と燃える石炭を取り出した……。妹のジャネットは下宿人だったエディ・フィスクを快く思っていなかった。姉に心霊主義を吹き込むいかさま師だと考えていた。そして降霊会の夜、エディのペテンを暴こうとしたが……。

 こんな普通の小説も書けるのかと驚くくらい普通に物語が進んでゆきます。ペテンが暴かれた瞬間に魔法も解ける時のイメージが鮮烈です。
 

「永代保有」北川依子訳(Mortmain,1931)★★☆☆☆
 ――ジョン・テンプルは船の上からあの家を眺めていた。ハンフリー・チャイルドが死んでいき、いまは彼の妻となったサロメを救い出したあの家を。クラブハウスまで来ると、屋形船が停まっていた。それはどこかチャイルドの帆船に似ていた。

 亡夫の影(らしきもの)がちらついて徐々に妻が不安定になってゆくという、これまたオーソドックスな作品で、やや長めの三部構成となっていますが、間延びしている印象です。
 

「ブレナーの息子」横山茂雄(Brenner's Boy,1932)

 『怪奇文学大山脈2 西洋近代名作選 20世紀革新篇』に、西崎憲訳「ブレナー提督の息子」が収録されていて、そちらで読んでいるので今回はパス。
 

「死者の饗宴」横山茂雄(The Feasting Dead,1954)★★☆☆☆
 ――母親が世を去ってしまい、わたしは息子のデニスを寄宿学校から連れ戻すことにした。近所にはヴェニョンというフランス人一家が住んでいて、デニスも親しくしていたのだが、突然先方から絶縁を言い渡されてしまった。ところが息子が遊んでいたラウールという少年がやって来て、馬車小屋の二階に住み始めた。あるときラウールが腕を犬に噛まれたが、跡形もなく治ってしまったことがあった。やがて生命力が失われたデニスが失踪した。

 中篇作品。前半で奇矯な作品を読んでしまったため、後半の端正な作品を読んでも地味で物足りなく感じてしまいます。ラウールという吸血鬼めいた不死の少年がおぞましい。

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